日清戦争

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日清戦争(にっしんせんそう)とは1894年(一杯食うよ年)にラーメンの文化の主導権をめぐり、日本とその発祥国である中国とが争った戦争、ないしは日清食品がそのライバル会社である東洋水産明星食品サンヨー食品エースコックなどと激しく争った一連の商戦のことをさす言葉である。

戦争の概要[編集]

ラーメン戦争こと日清戦争は、主に以下の各種戦争を総称して呼ぶ言葉である。

帰属国問題[編集]

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ラーメンは別名を「中華そば」とか「支那そば」というように、中国の代に汁麺として水戸にすむ徳川光圀に伝えられ、それを食したのが日本における創始だといわれているが、その後の発展は中国と全く別物の流れでなされたため、日本のラーメンはどこの国に帰属すべきかということが問題となり、日中間でそれを巡って激しい争いが繰り広げられることとなった。結果、平行線をたどったままの話し合いでは解決しないということになり、1894年に日本は朝鮮を自国の味方側につかせるべく中国(朝)と戦争を開始、西太后の浪費で戦力を強化できなかった北洋艦隊を打ち破ってこれに大勝、下関で結ばれた条約により、朝鮮半島と日本のラーメンは中国とは別物であるということをはっきりと認めさせるに至った。

だが、その後中国は軍事力や経済力を高めて再びこの条約を不服とみなすようになり、今では日本に対してかなり高圧的になってきている。現在、中国語圏では日本のものは「日本拉面」としており、自国の文化とは別物であることは承認しているものの、ラーメンの語は自国に属するものという姿勢を崩していない[1]

なお日清戦争の勝利に伴い、日本は台湾太平洋戦争で敗北するまでの約半世紀にわたって領有することになるが、この領土獲得を記念して名古屋市では、新たに「台湾ラーメン」という激辛のラーメンを作成している。当然、当の台湾とは余り関係が無い。

日清食品と競合他社[編集]

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日清食品は太平洋戦争後、安藤百福によって上記のラーメン戦争に勝利したことに因み、日本のラーメン界を支配する目的で設立された。そして1958年にチキンラーメンを販売、一歩先行していた松田食品(現:おやつカンパニー)の味付中華めんなどを凌ぎ、本格的に即席(インスタント)ラーメンの時代を日本に到来させ、日清食品のラーメン支配の時代が到来したかに見えた。

しかしすぐ100社近い業者が参入し、激しい競争の時代に突入する。その中には粗悪なものも数多く含まれており、即席ラーメンは健康に悪いという風評被害までも受けるに至った。乱立と淘汰を経て日清食品とシェアを激しく争う存在となったのは、東洋水産やサンヨー食品、明星食品といった面々であった。

これら三社、すなわちマルちゃんのブランドで1962年に参入した東洋水産、1959年に参入してチャルメラなどを生んだ明星食品、そして1961年参入でサッポロ一番を生んだサンヨー食品は関東出身の企業で現地に強く、関西出身の日清食品が同地に進出するのに大きな障壁となった。そのため日清食品は状況を打開すべく、新商品の開発に躍起になった。

そして1962年に初めてスープを分けて鍋で煮る方式の麺を開発し、味のバリエーションを広げることに成功、さらにアメリカへの進出を狙って現地へ赴き、そこでどんぶりの代わりにマグカップに麺を入れたのを見たのをきっかけとして、初のカップラーメンであるカップヌードルを1971年に販売開始するなど切磋琢磨を続け、現在の4割というシェア獲得を達成している。

現在では明星食品を自社の傘下に収めており、実質的にはこの業界の売り上げの半分を支配しているといえる。

参考[編集]

  1. ^ そのため、ラストエンペラー宣統帝溥儀が、死の間際に「チキンラーメンが食べたい」と哀願したにもかかわらず、その願いを中国政府が無視するという悲劇も起きている。