日本国48番目の都道府県

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ウィキペディア専門家気取りたちも「日本国48番目の都道府県」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。

日本国48番目の都道府県(にっぽんこくよんじゅうはちばんめのとどうふけん)

  1. 日本政府が領土を拡大する為に買収しようとしている外国の地域。
  2. 日本国内において、一つの都道府県内での地理や歴史の食い違いから、特定の地域を現在いる県とは異なる地域として用いる語。例:「敦賀小浜福井県じゃなくて滋賀県だ。」「浜松豊橋静岡県でも愛知県でもない。遠州灘沿岸は浜松県で、日本の48番目の県だ。」
  3. 2.の状態が嵩じて、実際に分離独立を目指している地域や、分離独立が実現して新たに設置された都道府県を指す。例:「舞鶴京都の支配から脱却し、日本の48番目の県となることを目指している。」

本記事では、(1)については#外国地域の例の節で、(2)・(3)については#国内の例の節で、それぞれ解説する。

なお、日本国自体がジャパン州としてアメリカ合衆国51番目の州になりそうなのは、公然の秘密である。

外国地域の例[編集]

第二次世界大戦後の日本は、他の敗戦国に先駆けて、1966年に国民の海外旅行を自由化した。1973年には、それまで1ドル=360円の固定相場制だった為替レート変動相場制になったが、これも、円高を推し進めることにより日本から海外への旅行者を増やすための施策である。

変動相場制移行直後には第一次オイルクライシスが発生したため、日本経済は一時的にマイナス成長となったが、1976年以降は思惑どおり着実に円高が進んでゆき、日本経済は安定成長状態となった。この経済成長や、それに伴う国民生活の安定、円高などを背景に、1970年代後半からは政府の思惑どおりに海外旅行者は増加していった。

何故、政府は海外旅行者を増やそうと試みたのだろうか。それは勿論、“形を変えた侵略”のためである。

第二次世界大戦で日本が敗北したのは周知の通りであるが、しかし敗戦後もなお、“大東亜共栄圏”の思想を捨てずに抱いていた者は決して少なくなかった。彼らは、軍事的な戦略によって領土を拡大することができないならば、非軍事的な戦略をとるべきではないか、と考えたのである。そして、かつて北海道への植民によってアイヌ人を隅に追いやった実績や、琉球王国を滅ぼすにあたって事前に270年も前から経済的交流を進めていたという故事に倣い、今もまた、多数の国民を海外へ送り出すことによって、実際に領土買収を行う際に大きな抵抗が起こらぬよう“準備”が進められているのだ。

買収が予定されている主な地域は、次の通りである。

布哇(ハワイ)県
日本人にとって海外旅行先といえばトップになるであろう日本人の保養地である。日本語の通じる人や日系人が多く48番目の都道府県最有力候補とされる。課題としたら日系人以外の説得とアメリカへハワイ州の割譲を迫らなければならないということか。それは無理だろ。
香港都
イギリスから香港が中国へ返還されるときに日本が代わりに貰ってしまおうという結構ずうずうしい計画が持ち上がった。ただし買収に成功してもメリットがハワイなどより少ないことや、わざわざ中国を出し抜いて香港を都道府県化することは火中のを拾うことと同じと批判が相次ぎすぐにこの計画は泡と消えた。
瓜姆(グアム)県彩帆(サイパン)県
ハワイに次ぐ有力候補。背景も課題もハワイと同じ。ただ、ハワイよりグアム・サイパンの方がのほうが日本本土に近いし、アメリカの州になっていないし、サイパンは日本領だった前歴があることから、こちらのほうが実現しやすいかもしれない。ただし、グアム・サイパンの場合はハワイとは比較にならない程の多額の公共投資が求められる。このため日本のゼネコン各社と開発庁復活を望む官僚自治労組合員たちがハワイ以上に舌なめずりをして求めている所であるとされる。
台湾府
古くから琉球王国を通じてつながりのあった国。しかし今は中華人民共和国の息がかかり日本を含めて国家として承認されていないことが多い不遇の国である。そこで日本が買収して都道府県とすることにより中国への牽制と台湾の地位を引き上げる計画が持ち上がった。しかし中国の圧力や台湾の中でも反対する人が大勢おり、これまた至難の業とされている。
樺太庁
千島樺太交換条約によりロシア領になった場所。戦後ソビエトが解体されロシア領になった際に日本はどさくさに紛れて樺太を買収する計画が持ち上がった。しかし、この計画は「樺太よりも北方領土や千島を取り返すのが先だ。」という圧倒的多数の意見により表舞台から抹殺されたという。
Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

国内の例[編集]

福井県の若狭(敦賀小浜など)、福島県浜通り(旧磐前県)や会津地域(旧若松県)、長野県の木曽・伊那・筑摩諏訪・佐久のように、日本国内では、幾つかの地域で、現在の都道府県の枠組みから脱退しようとする動きがある。これは日本全体として見れば、道州制の導入が囁かれている現在の情勢とは逆行する動きであるが、道州制の区割りは勿論の事、それ以前の県の区割りも住民(地域政界が関係する場合もある)にとっては重大な問題である。現に、第二次大戦後の日本では、県庁から遠い(それも山地を隔てて遠い)地域が冷遇されて、多くの核施設を強制され、最も酷い例では核施設爆発によって強制退去させられる地域(典型:福島核施設を抱える浜通り)まで現れている事からも、県の区割りは軽視できない問題だと言える。

運転免許の更新の為だけに、相模湖町から横浜二俣川まで行くよりも、武蔵府中都留まで行く方がどう考えても楽だろ、常考…。浪江市民が陳情する為に、なんで福島市に行かなきゃいけないんだよ!中村仙台の方が近くて便利だろ、常考…。そんな例は、全国に腐るほどあるのだ。

一部の地域においては、既に様々な形での運動が行われている。署名運動や抗議活動などは容易に目に見えるため、余り大きな効果を上げるには至っていない。しかし、例えば大企業の工場や研究施設や大型商業施設などを誘致することで、住民の生活圏・商圏を変化させ、無意識下の規模で住民の地域認識を変化させるという戦略が実行されている例がある。品斉えが悪く、夜も19時には閉まってしまう地元商店街よりも、広大な駐車場と多種多様な専門店を斉えて22時まで営業している大型ショッピングモールに行くのは、自然な行為であろう。

あなたの家の近所――、いや、近所でなくとも、電車や自家用車で行ける範囲内に、「ジャスコ」とか「アピタ」とか「○○モール」のような大型商業施設が、新たにオープンしたりしてはいないだろうか? この不景気にそれらの施設が次々とオープンできるのは、運営会社の経営がたまたま上手くいっているからというだけではない。そこには必ず、その地域を新たな「県」として独立させようという動きが背後に隠れているのだ。

しかし、大型ショッピングモールは、すぐ進出したかと思えばすぐ撤退する施設であり、地元に根差そうとする意志をもっていない。又、このような費用と手間の掛かる手法とは別に、「ウェブ上の情報操作」により住民の意識を変える戦略が実行されている例もある。ある種のイデオロギーを持っている集団による情報操作が行われている事で有名なサイトといえば、ウィキペディア2ちゃんねるまちBBSなどは誰でもすぐに思い衝くであろう。しかし、特定の地域を分離独立させよう、あるいは分離して他県に編入しようという勢力によって、積極的に情報操作が行われているサイトは、霞ヶ関の理屈に染まっているウィキペディアや2ちゃんねるやまちBBSではなく、アンサイクロペディアがその一つである。

「――え、アンサイクロペディアも?」そう思われた読者も少なくないだろう。勿論アンサイクロペディアは、「誤りと偽が満載の八百科事典」であり、その記述内容が事実かどうかについては何らの保証もされていない[要出典]。しかし、これを裏返せば、「事実かどうか確認できない事柄であっても、それだけでは削除の理由とはならない」という事でもある。これにより、既にいくつもの勢力によって、「自分たちが理想とする県の姿」が投稿され、他の記事に混じってさりげなく存続しているのだ。

又、アンサイクロペディアは外見がウィキペディアに酷似しているため、検索サイトなどから直接記事を閲覧した際などには、その記事が事実であると誤認する者もまた少なくない。これにより、投稿当初は「架空の県」でしかなかった記事は、少しずつ現実味を帯び、やがて「実在の県」に姿を変えるのである。

このような目的でアンサイクロペディアに投稿された記事には、以下のようなものがある。

魚沼県頚城県筑摩県
地理的食い違いが大きい新潟県長野県を解体・再編しようという勢力による投稿。
浜松県
掛川浜松豊橋など、静岡県愛知県に切り売りされている浜名湖近辺・天竜川流域沿岸部を独立させて統一しようという勢力による投稿。
舞鶴県
府県庁所在地まで余りにも離れ過ぎている、京都府兵庫県日本海側地域を、舞鶴を中心に再編し、丹国(にのくに)を復活させようという勢力による投稿。
庄内県
内陸の県庁所在地までが山地を隔てて遠い山形県の庄内地方を、分離独立させようという勢力による投稿。
釜石県
内陸の県庁所在地までが山地を隔てて遠く、しかも一部が宮城県に切り売りされている岩手県の沿岸部(三陸地方)を、釜石を中心として独立させようとする勢力による投稿。
伊豆県
伊豆半島を独立した行政区域にしようという勢力による投稿。
飾磨県
1876年8月21日に、大久保利通の命令によって神戸県に編入された。しかし、1878年5月14日に大久保利通が死んだ後に、飾磨県復活運動が活発化している。他の地域からも、「京都から140km圏の愛知県が分離独立してるなら、同じ京都から140km圏の飾磨県も分離独立させろ!」という声が出ている。
北方道
説明不要。以上全ての地域よりはるかに馴染み深いものであるが、現実味が最も薄いのは気のせいだろうか?

これらの記事はいずれも、当該地域について幾らかの知識を持っている者にとっては、楽しんで読めるように書かれている。しかし、記事を読み終えたときに「こんな県もアリかな」と思ってしまったら、要注意だ。あなたはもう既に、投稿者の術中に嵌まっているのかも知れない。

関連項目[編集]


Wiki-globe.png この項目「日本国48番目の都道府県」には、執筆者が大真面目に書いた可能性もありますが、今はまだ周知の事実しかありません。嘘を追加するか、ウィキペディアに転載して下さるボランティアを求めています。 (Portal:スタブ)