日本プロバスケットボールリーグ

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日本プロバスケットボールリーグとは、日本に存在したプロバスケットボールリーグである。通称はbjリーグ(ビージェイ-)。日本におけるバスケの発展を目的に設立され、すべての都道府県にプロバスケクラブを設立することを目標としていた。


設立までの経緯[編集]

日本においてバスケットボールは決してマイナーなスポーツではなく、多くの人が高校までの体育で一度は触れたことがあるほどである。バスケットクラブは小学生向けのミニバスから存在し、中・高・大学では人気の部活の一つとなっており、全国大会は熱気あふれるものとなっている。また社会人リーグも存在し、日本でバスケのトップレベルを目指す場は一応存在していた。

しかし、日本にはバスケのプロリーグは存在しなかった。社会人リーグをプロ化しようという案は何度も浮上したものの、すでに参加している企業チームはプロ化に伴う負担増に難色を示し、日本バスケ協会も有効な手立てを打てずにいた。NBA(アメリカのプロバスケットボールリーグ)人気や『スラムダンク』などの漫画によって何度かバスケットブームが起こっても、サッカーがプロリーグを作って人気になっても、オリンピックのアジア予選で負け続けても、協会と企業の態度は変わらずバスケットのプロリーグができることはなかった。

こうした状況に危機感を抱いた新潟と埼玉のクラブが日本バスケ協会から脱退し、この2チームを含めた6チームで『日本プロバスケットボールリーグ』を作り上げた。1企業が1チームを所持する社会人リーグと差をつけるため、多くの地元企業がクラブを支える地域密着を打ち出し、『日本全国にプロバスケットボールクラブを作る』ことを目標に掲げ、知名度の低さや経営の不安定さなどの問題を抱えつつも目標に向けて動き出していった。


リーグの歩み[編集]

加盟するためのハードルがプロ野球Jリーグより低いため、リーグ設立から毎年多くのチームが参入してきた。これによって秋田や島根、宮崎といったプロスポーツクラブ不在の地域にもチームが誕生した。特に沖縄は、途中参入にもかかわらず強豪チームとなり、多くの県民の支持を受けるようになった。

6チームで始まったリーグは、最盛期には42チームにまで増加し、大都市部には複数のチームを抱えるなどすさまじい隆盛を見せた。残る都道府県にも参加審査を受けているチームやチーム設立を希望している団体がおり、目標としていた全都道府県制覇も間近…かと思われた。

しかし一方で、消滅するクラブも多かった。経営困難になったクラブに対するリーグ運営会社のサポートが弱いため、経営状況が大きく悪化すると立て直しは不可能だった。また、地域密着を謳いながらも、実際は運営資金は親会社頼みというチームもあり、親会社の不振による支援打ち切りで潰れたチームもあった。

また、新たに参入してきたクラブには経営が杜撰なところもあった。bjリーグ自体の知名度が低く、新規にチームができても誰も気にしない状況であったというのに、宣伝や広報が不十分で客が集められないといったチームが多数存在した。さらに運営でも素人ぶりを現し、予定時間に試合が始まらない・マスコミに対する対応が杜撰・スタッフがトラブルに対応できないといった試合運営上の問題や、選手を全員解雇し新しい選手を入れようと思ったら集まらずに試合ができない・ホームタウンの体育館を確保できず、ホームゲームのほとんどを他県でやることになった・外国人選手と契約したら別人が来た・スポンサーがついたと思ったら闇金だった…といった経営上の問題を抱えるチームもあった。しかも問題がシーズン中に発生し、チームがいきなり無くなって試合の日程に穴をあけるということも起こってしまう。

短い最盛期の後、こうした不安定な状態に耐えられずに潰れるチームが続出し、それを見て新規参入を考えていたチームが参入を取りやめるという負のループが発生する。42あったチームは10にまで減少し、リーグ自体も存続の危機に陥ってしまう。

その後選手やスタッフの地道な宣伝活動、チアリーディングのお姉さまや少年少女たちの検閲により削除のおかげで何とか立て直し、チーム数は再び増加した。しかし多くのチームが経営不振や戦力不足で苦労しており、予断を許さない状況が続いていた。


リーグの特徴[編集]

  • 繰り返しになるが、世間の注目度は低かった。ニュースのスポーツコーナーや民放のスポーツニュースではまず取り扱われず、マイナースポーツにやさしいNHKでも結果を出すのみであった。地元にチームがない人間がbjリーグのことを目にするのは、優勝決定戦の結果が新聞に載った時ぐらいで、あとは新聞のスポーツ欄を気合を入れて探さないと見つからないほど影が薄かった。
  • リーグ開始当初は外国人選手に対する人数制限がなかった。しかし初年度に優勝した大阪のチームで日本人がほとんど試合に出なかったことが問題視され、同時にコートに立てるのは2~3人(年によってルールが違う)というようになっていた。しかし強いチーム=強い外国人選手がいるチームという図式は続き、優秀な日本人選手を育成できているとは言い難かった。
  • 応援やハーフタイムのパフォーマンスはNBAを参考にしていた。とくにチアリーディングに力を入れており、どのチームもトップチームのほかにジュニアやユースチームを持ち、ダンスが好きな子供たちの育成にも力を入れていた。彼ら・彼女たちは試合会場には必ず現れ、試合前からトークやダンスで会場を盛り上げようと奮闘していた。
チアリーディングチームはバスケの試合とは別に握手会や写真撮影会も行っていて、球団の貴重な収入源になっていた。値段はチケットにプラス500円で握手会参加券、プラス1000円で握手会+写真撮影会参加券、プラス10000円~15000円で1対1でお茶、プラス20000円~で検閲により削除といったところが相場であった。このシステムが女の子が好きな紳士や少女が好きな紳士少年が好きな淑女といった方々の間で話題となり、バスケに興味のない人がたくさんチケットを買っていくようになった。
  • 設立の経緯ゆえ日本バスケ協会とは絶縁状態でリーグが始まったが、2010年に協会に日本のバスケットボールリーグであることが認められた。その後、社会人リーグとの人材交流やチームのリーグ移籍などが行われていた。
ちなみに、日本バスケ協会も社会人リーグをプロ化する構想は持っていて、毎年のように「来年…いや再来年から社会人リーグをプロ化する!それに向け各チームと交渉している!」という発表を繰り返していた。しかし、これまで何年もプロ化できなかった協会にそんなことができるはずもなく、『社会人リーグのプロ化発表』は日本バスケ界における夏の風物詩として、ファンやマスコミはおろか地域のバスケ協会からもスルーされていた。そしてついに2016年、社会人リーグに所属するチームの多くはプロ化することとなった。


リーグ解散[編集]

2015-2016年シーズン終了後、bjリーグは解散することとなった。運営資金が無くなり倒産した…わけではなく、社会人リーグとbjリーグを統合し、新たにバスケのプロリーグ・Bリーグを作ることとなったためである。bjリーグのほぼすべてのチームがこの新リーグに加入することを決めたため、bjリーグは解散することとなった。

bjリーグはバスケットリーグのプロ化による日本バスケの実力・人気向上のために作られたが、目的を達成できたかと言われれば疑問符が付く。大半のチームが常に資金難と人気のなさに悩まされていたし、bjからバスケ日本代表は数人しか出せなかった。だがこのリーグがなければバスケのプロ化は不可能と言われ続けていたであろう。bjリーグはバスケプロ化の可能性を感じさせるという功績を残したリーグであった。

関連項目[編集]