日本の歴史

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この記事「日本の歴史」は何故か「日本史」とネタや題材がダブっています。どちらが真実なのかは神のみぞ知ります。
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日本の歴史(にほんのれきし)、日本史(にほんし)とは...学生を苦しめる選択科目!選んだら後悔するぜ!少なくとも俺は後悔した。ここでは、日本の歴史を愉快に概説する。

先史時代[編集]

旧石器時代[編集]

我々の祖先が狩りのためにマンモスとかを追いかけていたら、大陸と陸続きだった日本が地球温暖化のせいで島に。大陸に戻れなくなった我らが祖先は仕方がなく日本に住むことに。基本的に石器を使った時代以上。わざわざ教科書に載せるほどのものでもないのに...俺の妹は覚えることが少ないから歴史の中では旧石器時代が一番好きらしい。

縄文時代[編集]

約1万2千年前頃からは縄文時代と呼ばれる。ちょっと文明的になる。土器とか竪穴式住居が有名。今では跡形もなくその痕跡はないとされるが、竪穴式住居はホームレスのテントとしてわずかながら縄文時代の影響が脈絡と残っている。俺の妹は歴史の中では2番目に好きらしい。理由は2番目に覚えru以下略

弥生時代[編集]

やっと、歴史としてちゃんと語れる時代が来たぜ。そして、稲作は集団作業なので地域集団が生まれてやがて、クニが生まれた。そして、今話題の「格差社会」が生まれたのが、この時代。一番偉い首長は墓を造るようになった。ちなみに、弥生人たちは縄文人よりガリガリで食べ物に困っていたという。

邪馬台国卑弥呼が占いで国を統治。細木数子オーラの泉もビックリである。基本的に巫女コスプレを着て、民衆を惑わしながら政治をしていた(魏志倭人伝に本当にそう書いてある)。どう惑わしたかはお察しください

古墳時代[編集]

ある意味、日本で初めて起こったバブル景気公共事業が頻繁に行われた結果、古墳がたくさん建った。その中で、一番古墳の建設を請け負い建設業界で最大手となったのがヤマト建設だ(サラリーマン金太郎とは関係ない。金太郎はフィクション。私が話しているのはノンフィクションだ。)。後に、ヤマト建設は政治分野に進出し、ヤマト王権を形成。

バブルの時は常にお金が余っているものだ。ヤマト王権は積極的に海外進出し、今の朝鮮半島南部に進出した。ジャパンマネーは大陸の資源や企業を次々と買収。大陸の技術が大量に流入した。しかし、バブル崩壊後は対外投資を収縮。海外進出も手控えた。

飛鳥時代[編集]

法隆寺などの仏教建築に代表される飛鳥時代は、同時にチャゲ不遇の時代と言える。

西暦607年(皇紀1267年)には、小野妹子らを隋に遣隋使として遣わせ「隋の皇帝に日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。」などのヒットを飛ばした飛鳥に比べ、チャゲの方は石川優子と「ふたりの愛ランド」がわずかにヒットチャートをにぎわすに留まった。

しかしチャゲ&飛鳥の台頭により、各地でデュオが流行し「蝦夷&入鹿(えみし&いるか)」は日本書紀にも登場するなど一大ブームを巻き起こした。しかし、「蝦夷&入鹿」は調子に調子に乗りすぎ、芸能界からシカンクを食らうようになる。そこで西暦645年(皇紀1305年)、敏腕で知られる孝徳天皇プロデュースによる「大化の改新」をひっさげデビューした「おおえのおうじ&かまたり」が大人気となり「蝦夷&入鹿」は凋落の憂き目に遭う。

この後も飛鳥が着々と地位を固めていくのに比べ、チャゲは今ひとつパッとしない生涯を送った。

奈良時代[編集]

ウグイス鳴くよ平城京奈良市民の誇りの源。はっきり言ってネタに出来る物が少ない時代。律令制という名の構造改革を行った日本は、朝廷による支配を強固にした。律令制では全ての土地は国が所有していることになるので、初期共産主義の形をとっているといえる。

律令制の基本は米。収穫量が増えれば自然と税収が増える。ってことで、三世一身法(さんぜいっしんのほう)と早口言葉みたいな法律を制定。要は、もし土地を開墾したら三世代に渡って所有できる仕組み。けど、農民たちは「結局、全部国が持って行くんだろう。」とやる気なし。朝廷は場当たり的に「安売り大サービス!土地を永遠に持ってよし!」と墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいのほう)を制定。朝廷の弱体化の原因となった。北朝鮮農政並みの失敗であった。

平安時代[編集]

源氏物語の初版本。オールカラーだよ☆

ウグイス鳴くよ平安京。紫式部がエロ小説「源氏物語」を書いたのはこの時代。馬鹿の一つ覚えのように「いとをかし」を連発する「枕草子」を書いた「清少納言」もこの時代に生まれた。日本語古文の授業で、学生を苦しめる二大悪役の誕生だ。

こうした文学が栄えた理由として、政治をする男たちとちがって、貴族の女性たちが暇人で、ニートだということに原因がある。そこで、源氏物語という名のエロ小説を読んだり、「ほら、こんな所に『いとをかし』が...」と学生にしてみれば「お前が『おかしい』んだろ。暇人め。」と日常の些細なところを「いとをかし」と感動するのだ。

武士という戦いの鬼が歴史の舞台に登場することで日本の歴史はエキサイティングな展開になる。

平氏でないと人間じゃない」と厨房発言で有名な平家が全盛期を迎える。で、当然のように調子に乗った平家は叩かれた。けど、戦国無双でいえば999人切りを達成した源義経は一人もなぎ倒せなかった源頼朝に「弟のくせに調子乗んな...」と弟を殺された。ちなみに、源頼朝の祖先の末路はググってください。天誅です。

鎌倉時代[編集]

いざ鎌倉。誤って北京に到着。※あまりにも鬼気迫る表情のため、配慮いたしました。

いい国作ろう鎌倉幕府。おさんにしたくないランキングで必ず5本の指に入るであろうドS北条政子が夫を駆逐する。もちろん、夫が死んだあと、その子供を駆逐するんだぜ...おぉ恐ろしい。まぁ、色々あって、北条家の天下がやってきたのだ。

元寇つまりモンゴルがやってきた!今まで海に守られた日本は、外国人軍事的レイプされたことがなかったが、今回初体験の時を迎えたのだ。しかし、神風という名の勇者が現れ、モンゴルのあれは途中で中断させざる負えなかった。まぁ、モンゴル軍が来たのは台風シーズンだったのが運のつきだね。(でもモンゴル軍のほとんどは朝鮮人だったから当のモンゴル人は痛くも痒くもない。まぁ属国だからね。)

南北朝時代[編集]

お察しの通り、南斗と北斗の争いである。朝鮮半島とは何のかかわりもない。足利尊氏率いる北斗神拳と、後醍醐天皇率いる南斗聖拳の戦いが起きた時代。

後醍醐天皇がクーデターを起こして北条王朝を倒し、天皇王朝は政権を奪還した。しかし、後醍醐天皇はクーデターの論功行賞をろくに与えなかったので、足利尊氏は後醍醐天皇と仲違いして、自分に親しい天皇を王位に就かせた。60年間も戦いが続いたが、大きな戦いとして「サザンクロスの変」や「天帝の変」、「修羅国の変」などが有名である。有名な武将も沢山おり、中でもケンシロウラオウを昇天させるということはバトルボーナス(BB)が20連チャン以上したという証であり、多くのパチスロファンが一喜一憂したと言われる。そこまでは行かなくとも、やはりBB中にシンサウザージャギアミバが登場するとドキドキする人が多いようだ。尚アミバに限っては対戦演出に入った瞬間にBB確定なので注意が必要である。

このように、天皇王朝が分裂して戦いの日々が続いた南北朝時代だが、土地支配も大きく変化した。武家の統治機構である守護・地頭が次第に支配力を強め、守護大名と呼ばれるようになり、天皇の政治力が衰えたのだ。つまるところ土地を持ってるヤツが強い時代になったと言えよう。まるで少し前の日本のようである。地球はみんなのものなのに。

室町時代[編集]

これがアサヒビール本社ビルのあれ

足利義満(体型はミートボール)による、「アタタタタタタタタタ!!!攻撃」(正式名称は北斗百裂拳。正直やかましい)により南北朝は終わりを告げた。そして、からの右翼の検閲により削除。要は、明の下っ端になったのである。

そして、バ☆ブ☆ル!!どうみても、クレージーな金閣寺が出来たのはこの時代。金ピカピンのお寺はバブルの象徴!まるで、アサヒビール本社ビルほにゃほにゃの像(本来は縦だったのが重すぎて横に...)。それにあやかって銀閣寺も銀ピカピンにしようという案も出たが、財政難により没。余談だが、銀閣寺を作ろうとした人は将軍として初めてのニートだった。基本形は働きたくない、遊びたい、贅沢したい。その後の室町幕府の結果はあなた方には察しがつくでしょう。

ニートな将軍なので、部下(守護大名)は権力闘争を展開。後に本当の闘争(応仁の乱)になって京都をペンペン草も生えない焼け野原にした。ただし、応仁の乱は11年も続いたので、11年間国を留守にした守護大名寝取られたりして、皮肉にもニート将軍と一緒に没落した。自業自得である。

戦国時代[編集]

下剋上が当時の流行語大賞になり、油売りも一国一城の主になれる希望の時代であったと共に、農民にとっては戦乱によって田畑が荒された絶望の時代だった。

有名なんでサクっとこの時代を超ダイジェストでお送りします。

中国地方には毛利氏が、北九州には大内氏が、東海には今川氏等々戦国乱世の時代だった。そんな中、「京都上洛ツアー」を思いついた今川義元はそのツアーのついでに天下に号令しようと思った。しかし、通り道だったはずの尾張織田信長という名の死亡フラグが立ってしまいあえなく討ち死。その後、織田信長は数々の有力武将の死亡フラグになり、天下統一をする...はずだった。本能寺の変イベント発生により、明智光秀が織田信長の死亡フラグとなってしまい織田信長は強制終了。しかし、三日天下補正と中国大返しイベントにより明智光秀はどう頑張っても豊臣秀吉に勝てなくなり、槍型最終決戰兵器「TaKeYaRi」により殺された。

ちなみに、今でも駿河尾張は仲違いしてるのは、戦国時代に作られた住民気質と遺恨が今でも引きずっている証拠である。

安土桃山時代[編集]

豊臣秀吉は、これでは満足せず中国も頂こうと朝鮮に「道先案内」をお願いした。明の下っ端だった李氏朝鮮は、「意味不明な手紙をよこしやがって」と無視する。そしたら、逆ギレしてきた日本が攻めてきた...!朝鮮人民は一致団結して日帝を粉砕し鉄砲の威力と李氏朝鮮が末期的症状だったので日本軍は結構奥地へ進めた。しかし、大国明がやってきて戦線が膠着。休戦の後にもう一回攻めたけど、秀吉が死んだのでムリポ

豊臣家文禄・慶長の役で寿命を縮め、逆に戦争に参加しなかったタヌキ親父が力をつけた。関ヶ原の戦いは筆者がこの記事に費やした時間と同じくらいの5時間で終了。戦術的に俄然優勢だった豊臣軍は、タヌキ親父の策略により、敗北を余儀なくされた。

江戸時代[編集]

ポンポコタヌキの策略によって、江戸幕府は盤石な体制を築いた。簡潔に言うと、ヤバイ奴は手取りは多いけど僻地に飛ばし、親しい奴は手取りは少ない代わりに中央で働かせ、自分の手取りを極力多くする。正に、ワンマン社長が支配する会社の構図である。

260年間も続いた江戸幕府は、文化の発展に寄与した。現代に当てはめると、平和な日本国(=戦後)を通じて生まれたオタク文化が、江戸文化と同義であるといえる。つまり、「ずっと平和閉塞感はあったけど、楽しければそれでよし」みたいな風潮なのだ(本当かよ?)。ひとまず、莫大な徳川埋蔵金のおかげで、江戸幕府はしばらくの間浪費しても大丈夫だった。

しかし、大奥という名のハーレムの維持と経済政策の失敗により、埋蔵金が底を見え始める。税収増と経済振興を狙った改革を次々と実行した田沼意次は「商人に買収された腐敗政治家」の代名詞だったが、今では「実務的政治家」として見直されて来ている。歴史は常に書き換えられるのだ。

幕末[編集]

ペリーがやってきて「開国してくださいよ(脳内再生)」とおねだり。あわよくば植民地化しようと考えたが、なぜか地方自治体の一である、薩摩・長州藩が中央政府にやられて、明治新政府が誕生する。この状況は東京都日本政府に反旗をひるがえしたら、成功したようなものである。石原帝国の完成か...やだな。

近代史[編集]

近代史は学期の最後に習うことから授業数の関係上先生が超ダイジェストで授業を進める。歴史の先生が戦国時代とか江戸時代に時間を割きすぎたせいでもあるが...そういうことで、近代史は骨の髄まで理解してもらいます。

大日本帝国の78年間は、戦争ずくめの世界大戦の時代である。日清戦争日露戦争第一次世界大戦シベリア出兵満州国第二次世界大戦…と、10年おきに戦争を繰り返して来た。

明治時代[編集]

腐った(と言うより平和ボケした)江戸幕府を倒した明治新政府は、列強のお兄さん達のマネをし始めた。これを文明開化と呼ばれるが、「植民地争奪戦」という名の陣取り合戦にも参加した。と言っても、進出が遅すぎてゲームに参加するどころか、陣取り合戦はほぼ終わっていた。そういうことで、最後の陣取り合戦「中国争奪競争」に参加することに。

日清戦争をきっかけに、「中国争奪競争」は開始され日本は地理的に近かったが、イギリス様とフランス様が強くて思ったより権益は獲得できなかった。とりあえず、韓国で足場を固めて中国に進出しようとしたが、ロシア様が邪魔。ロシア様をけん制するため当時世界最強のイギリス様と同盟を結んだ。以後、日本の外交の基本はスネ夫外交と呼ばれ、基本的な姿勢は「ジャイアン(世界最強国)とくっつくことで自分の身を守ること」である。

ロシア様を倒して、おいしい権益を獲得しながら、西暦1910年(皇紀2570年)には朝鮮を併合した。

大正時代[編集]

大正デモクラシーと呼ばれ、とっても自由だった時代。戦前の昭和生まれの人は「大正天皇さんがおかしかったから大正生まれもおかしい」と言う人もいるが、そういった人は俺のばあちゃんに謝れ。おばあちゃんは変わった人だけど、とっても理解があるんだぞ...!

明治新政府もよく見ると「薩摩」と「長州」が、幕府が駄目なら「自分の政府を作ろう」と思って作った政府なのだ。そして、薩長出身者以外の日本国民が「おらたちの政府を作ろう」と立ち上げた。これが、大正デモクラシー。「おらたちの政府」は議会設置が決まった瞬間一気に熱が冷めた。日本人は熱しやすく冷めやすいのだ。

第一次世界大戦でヨーロッパがテンワヤンワになっている時に、漁夫の利を狙って中国のドイツ権益をゲットしようとする。そんな中、中華民国に「おねだり帳」を手渡した。さすがに、一部の右な人たちから見てもおねだりし過ぎたようで、これを機に日本は中国に嫌われることになる。

日本は地球の隅っこ兵器庫として、バブル景気を味わった。大戦バブル景気では成金が勃興したが、その反動で西暦1920年代は不況になった。

昭和時代[編集]

昭和元年は年末の7日間しかなく、昭和は2年から(西暦1927年から)始まる。

アフォな政治家のおかげで不況でもまだ元気だった銀行を「破綻しました」と言い、結果的に破綻寸前に追い込んだ。そして、世界恐慌で日本経済はカウンターパンチを喰らい再起不能に。上記のアフォな政治家とかで政党政治は衰退した。破綻した経済を立て直すべく、軍部は「海の向こうには未来があるよ」と軍事的な対外進出を加速。丁度、中国が三国時代ならぬ、戦国時代状態だったので漁夫の利を狙って干渉。見事、満州をゲット。国民に「北の楽園」と称して殖民するように勧めた。

中国にちょっかい出しすぎて泥沼の戦争に突入している日本を尻目に、ナチ政権ドイツが15日間でポーランドを占領。イギリスフランスソビエト連邦を塵を吹くかのように倒すドイツ様を見て、近衛文麿は「バスに乗り遅れるな」と叫んだ。つまり、スネ夫外交論で話すと、世界最強国は「ドイツ様」なのだ。しかし、結果的にみると地獄逝きのバスに乗ってしまったのだ。誤ったバスに乗った日本は、真のジャイアンアメリカ合衆国」にコテンパンに潰されたのはいうまでもない。ドイツ様も結局連合軍によってコテンパンに潰された。

平成時代[編集]

戦後、世界最強のアメリカ様と同盟。伝統的なスネ夫外交の踏襲なのは言うまでもない。アメリカが程良く日本を教育した後、逆に日本がアメリカを経済的に追い上げてきた。自分が開国させた日本がちょっと邪魔になったので色々邪魔もしたけど、いつの間にか日本がバブルで自滅したので、「まぁいいか」となる。

次の時代[編集]

この時代を作るのは、パソコンの前のアナタたちです...!


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