新発田市

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新発田市役所

新発田市(にいばた市)とは、新発田県(にいばた県)の県庁所在地にして新潟市(しがた市)の永遠のライバル(自称)である。

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概要[編集]

城下町新発田

新発田県の北部に位置する新発田市は、10万人を超える人口を抱える県北最大級の城下町である。新発田大都市圏を形成しており、平成の大合併以降、半径50kmはもはや新発田藩と呼んでも過言ではないほどに肥大している一方、あまりに巨大化しすぎた都市構造から、市民の意思統一・融和団結が図りにくくなってしまっている。もっとも、この近辺の地域は独立独歩すぎて上杉家を最後まで苦しめた阿賀北衆の伝統を受け継ぎまくっているため、そもそも一本化しようと考える時点でムチャな話である。

また、新発田市新潟市の友好の証であると共に両市をつないでいる新新バイパスは「新潟・新発田」バイパスなのか「新発田・新潟」バイパスなのかはっきりしない。はっきり言って両市民以外の人間にはまったくどうでもいい話なのではあるが、その順番を巡っては水面下で静かながら激烈な抗争が繰り広げられている。第一、うぃきっぺぢあですらこの問題に関わりあうことを拒否しているぐらいどうでもいい話、かつ、真剣な議論である。

新発田城を中心に未だもののふが闊歩しているため、軍事力については、新潟市をはるかに凌駕している。ただし、圏内最強は上杉家の本拠である高田駐屯地であることは間違いない。

市の歴史[編集]

新発田市の名前の由来は、室町時代から当地を治めていた新発田氏に由来する。この地域は平安時代は坂上田村麻呂とドンパチを繰り返したころから、上にたてつくことを至上命題と考える連中がいつまでもいつまでも存在し続けている。さらに言うなら、独立独歩ならまだしも、対等な立場で同盟を結んでいた上杉謙信が一気に勢力を伸ばすと、嫉妬心から地域ごと反逆。大いに上杉氏を苦しめている。極めつけは、幕末、もはや勝てるわけがない戦力だったくせに日ごろの義理で奥羽列藩同盟に加入、しかし、明治政府軍の攻撃で長岡藩が焦土に帰すと一気にその立場をあやふやなものにして、最終的に住民が強訴する形で同盟から離脱。思いっきり新潟県内に禍根を残す。

市出身の超有名人[編集]

そんな新発田市の地域性をもっとも強く表したのが、忠臣蔵で有名な赤穂浪士一の使い手である堀部安兵衛である。彼は当初、中山性を名乗っていたが、13歳のときに城の失火の責をとるかたちで一家ごと新発田藩を追い出される。さすが新発田藩。よーく分かってらっしゃる。そんな彼が本格的に世に出たのは、赤穂事件ではなく、その7年前にあった伊予西条藩の組頭による敵討ち、世に言う「高田馬場の決闘」に助太刀したことに始まる。闘いの中、彼は相手方の助太刀を3人切り殺したことで天下に名を馳せる。その後、ウワサに尾ひれがつく形で18人斬ったことになったが、そんなのはまだ序の口。彼の腕前を気に入った赤穂藩主浅野内匠頭に取り立てられると、新発田の地域性が藩主に伝染。数々の奇行で名を馳せることになる。そして、7年後、江戸城は松の廊下で吉良上野介に切りかかってしまった結果、浅野内匠頭は即日切腹、赤穂藩はお家取り潰しの憂き目にあってしまう。しかし、そんなお家の不幸も外から来た彼の前にはなんてことはない。一度敵討ちの味を覚えてしまえば、こんなのは不幸のうちに入らないとばかりに、藩主が腹を切った直後から、吉良打つべしと声高に言い続けて、お家再興のため奔走する大石内蔵助の足を引っ張りまくる。そして、最終的に赤穂藩の再興がかなわないことが明確になったあとは、率先してあだ討ちの準備に奔走。最終的に吉良上野介を討ち果たすと、意気揚々と切腹。新発田界隈の地域性を体現しまくっている。 そしてそんなオッサンを称えて「安兵衛太鼓」なる郷土芸能モドキを産み出すというバカなこともやってしまうのが新発田市民。市内の小学生(5~6年)は、この地元の祭りでしか披露の機会がない微妙なものを延々と練習させられる。

なお、こういう超絶に特殊な状況下において、彼と同じように有能な働きをした男として、もう1人新発田市に関係する有名人がいる。後の陸軍大将、今村均は出身は宮城県仙台市だが、長じて新発田中学校に転入している。彼は、太平洋戦争に従軍した際、インドネシアのラバウルに着任。当地の占領政策において住民を慰撫、彼らの伝統と文化を守った上でラバウルを徹底的に要塞化し、さらには兵站についても島内を開墾しまくり、自給自足体制を構築。アメリカ軍もそのやり方に閉口し、結局、終戦まで手を出さなかったという逸話の持ち主である。

結論。新発田人には敵味方関わらず、強大な戦力を見せてはいけない。

そのほか、43年間かけて親の敵討ちをした武士や、関東大震災で家族ともども殺されたアナーキスト、さらにはインパール作戦で最後の最後まで防衛戦を行い、敵味方から称えられた中将など、多士済々すぎるような気がしてならない出身者、関係者ぞろいである。

新発田城[編集]

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カッコイイ新発田城

別称、菖蒲城(あやめじょう)と呼ばれる荘厳な美しさを誇り、日本百名城にもノミネートされている新発田城は、新発田市民の象徴的存在のひとつであると共に、彼らの心のよりどころとなっているらしい。しかしその外壁は乾燥海鼠(ナマコ)によって固められており、雨が降るとなんだかヌルヌルしてしまうのは気のせいである。また、1581(天正九)年に起こった新発田重家の乱(~1587年)の首謀者一味を壁に塗り込めてあるといういわくもある。その呪いのせいであるのかないのか、その後新発田城はたびたび火災やなんやかんやで焼けたり崩壊したり、その都度建て直してきたのだが、1873(明治六)年に政府から「めんどくせぇから全国の有名じゃないとか残る価値のない城は全部ぶっ壊しちまえよしゃらくせぇ」という指令(いわゆる廃城令)が達せられ、そのあおりで表門・二の丸隅櫓と石垣のみを残してあとは全部さら地にし、陸軍歩兵第16連隊のレクリエーション施設にされてしまった。

戦後、住民の要望によって重い腰を上げた市は2004(平成十六)年、三階櫓と辰巳櫓だけを再建したが、明治資料館として一般公開されているのは辰巳櫓だけであり、その奥では旧陸軍の伝統なんて知ったこっちゃない陸上自衛隊が何やら企みごとをしているとかいないとか。

また、城内はずれにある西の井戸にはアメリカザリガニトノサマガエルが生息しており、たまにミジンコやらゲンゴロウなども巻き込んで、それぞれの生存権を賭けた派閥抗争を繰り広げているが、誰も気にしない

すぐそばにある元女子校にして現在は日本一男子生徒が頼りないとされる共学校西新発田高等学校では城址公園辺りを運動部のジョギング用に占有しているが「毛虫多い」「微妙に道幅が狭くて走りにくい」「だから毛虫多いって」「帝国軍がウザイ」「毛虫何とかしやがれ!!」と大不評である。卒業生が言うのだから間違いない。

株式会社ハードオフコーポレーション[編集]

新新バイパスを降りてすぐに存在する、新発田市を代表する全国企業。本社ビルが新発田市役所と兼用している。なお、古書業界において悪名高いブックオフとは別の会社である。ブックオフとは別の会社である。衝撃的な話であるため、3回言わせてもらう。ブックオフとは別の会社である。あまりにも衝撃的な話であるため、新発田市民でもこの事実に気づいている者は少ない。本社に隣接する店舗でもブックオフが一階で売り場面積も広いがブックオフとは別の会社である。もっとも、社長同士が仲がいい=お互いにフランチャイズしまくり、という出店形式が一般化しているため、さほど気にする必要はない。きっと。

蒸気パン(ポッポ焼き)[編集]

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ポッポ焼きとは新発田市の伝統料理であり、活〆にしたポケモン(ポッポ)を強力粉と黒砂糖と炭酸水とミョウバンを加えてこねあげた生地のようなものに練り込んだものを酒蒸しにした上で、さらにナン焼き窯でじっくりと焼き上げると、茶褐色で扁平かつ細長くよくわからないものができるので、それをのササミとバルサミコ酢味噌に付け合わせて食す。もちもちとした食感が根強い人気を誇っている。[要出典]

しかし、人気が出ると元祖と本家で争いが起こるのは世の常であり、新潟市三条市上越市村上市その他もろもろが「わが市がポッポ焼きの起源だ」「違う、ウリの市が発祥ニダよ」と名乗りを上げ、さらには「黒糖を使用している」というだけの理由で沖縄県までもが起源争いに参加する始末である。ますます混沌とするポッポ起源抗争に、新発田市も負けてはいられない状況に立たされている。

「ポッポ焼きは、新潟県民だけの伝統料理(もの)ではない。」
ポッポ焼き について、鳩山由紀夫

ポッポ焼きの命名の由来には諸説が存在し、中でも有力なものとして以下が挙げられている。

  1. 酒蒸しにする蒸気が、機関車(ポッポ)のようであるとする説。
  2. その形状がガマの穂(穂ッ穂⇒ポッポ)に似ているとする説。
  3. 沖縄の駄菓子「ポアポア」が伝来し、それが訛ったとする説(沖縄起源説の提唱者によるが、両者は似ても似つかぬものである)。

…いずれにせよ、他県民にとってはまったくどうでもいい話である。

そもそも古い新発田市民は、イカの丸焼きを「ポッポ焼き」と呼び「蒸気パン」以外の呼称を嫌がるが、これまたどうでもいい

関連リンク[編集]