新潟県中越地震

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「新潟県中越地震」の項目を執筆しています。

新潟県中越地震(にいがたけんちゅうえつじしん)は、2004年、10月23日17時56分に発生したマグニチュード6.8、震源の深さが13km、最大震度7を観測した地震である。そのため、新潟県は2004年11月29日より、同地震を新潟県中越大震災と呼称している。

少し気恥ずかしい想いをしている人間は多い。

概要[編集]

本震[編集]

  • 発震 : 2004年(平成16年)10月23日 土曜日 17時56分(JST)
  • 震源 : 新潟県中越地方、北緯37度17分30秒、東経138度52分20秒の地点
  • 震源の深さ : 13km
  • 地震の規模 : マグニチュード6.8
  • 最大加速度:新潟県北魚沼郡川口町:約2,515gal
  • 最大震度 : 川口町:震度7

(以上、ウィキペディアより引用。)

震度計の話[編集]

中越地震では、北は青森から南は兵庫神戸市まで、広い範囲で揺れが観測されている。なお、各地で観測された震度と実際の被害の割合が妙に合わないケースが見られた地震の端緒でもある。これは阪神大震災の後、国の方針で全国各地に多数の震度計が設置されることになったときに、設置条件をあまり考えずに適当に役所などの主要施設がある場所に設置したためである。そのため、以前田んぼ湿地など、地盤が軟弱な場所を埋め立てた土地に設置された震度計は、少し揺れただけでも実際の震度よりも相当上の数字をはじき出すこととなってしまう。実際、中越地震以降に起こった様々な大地震でも、全国ニュースで各地の震度を表示すると、震源地を取り巻く色合いの中、なぜか緑の外側に赤が存在するようなケースが多発している。

なお、中越地震ではその本震において震源地からはるか遠く埼玉県久喜市で震度5弱を観測している。同じように2007年に発生した中越沖地震においても、震源地から大きく離れた長野県飯綱町で震度6強が観測されている。

余震[編集]

中越地震は、震源の深さが非常に浅く、まるで嫌がらせのように余震が続いたことも大きな特徴である。ちなみに、2009年現在でもまだ余震が続いている。本震発生後2時間の間に3回の震度6(弱が1回、強が2回)、地震発生日に計164回の有感地震、翌24日も計110回の有感地震を観測。ここまで続くと住民はもう、笑うしかなかった。しかも、本震の発生時間は、ほとんどの家庭において調度夕飯の支度をしている真っ最中だったため、カレーが鍋ごと宙を舞ったり、てんぷら油がぶちまけられたり、炊きたての魚沼コシヒカリが炊飯器ごと転げ落ちたりと、ある意味精神的な被害も甚大だった。そのため、各地の消防団には夕飯も食わずに、家族の安否だけ確認して外に飛び出た人間も多い。

停電[編集]

また、本震の直後、各地の電線が寸断され、中越地方全体を大規模な停電が襲う。幸い、当日はほぼ満月であり、晴れていたため、被災者は真っ暗な中を避難するというほどではなかった。が、地震でしっちゃかめっちゃかになった各家庭の台所&各人の部屋の惨状は、翌朝、全ての家庭においてどうしようもないため息とともに被災者の眼前に姿を現すこととなる。

もっとも、震源から離れた地域では、本震直後に懐中電灯を手に片付けを始めた人間も多い。しかし、その後、嫌がらせのように3回ほど最大震度6の揺れが襲ってきたため、結局、多くの人間が家の中での片付けを諦めて外に避難することを選択することとなる。

その後[編集]

中越地方ではその後も大きな余震が続き、10月31日までの間に計600回、11月30日までの間に計825回の有感地震を計測した。ここまでくると、いい加減地震なれしてしまい、体感で震度と震源の距離、方向を当てることも可能になってた人間が続出する。何の役にも立たないが

しかし、度重なる余震に住民が異常に冷静でいられるようになったことも事実である。3年後の2007年7月16日に発生した新潟県中越沖地震では、テレビやラジオで盛んに柏崎刈羽原子力発電所の被害を放送したにも関わらず、中越の人間は笑いながらテレビを見ているという、むしろこっちのほうが異常なんではないかという光景が頻発している。実際に原発から放射能が漏れたとか、実害のある被害は無かったので、中越住民の冷静な判断は正しい。馬鹿騒ぎしていた反原発団体は何だったのだろう。日本の原発が震度7にも耐えられる頑丈さを持つことが証明されたのに馬鹿騒ぎして滑稽である。彼らには家で電気を使う資格は無い。これらは住民が地震なれしすぎてしまったため、テレビで伝える被害と、自分の足元が感じる感覚の乖離、および、人間これぐらいでは死なないという悲しい実感がかけ合わさって現れた光景である。なお、この中越沖地震は、国や地質学者が中越地震と関係がないことを表明したが、実際のところ中越地方の人間は誰も信じていない

一覧[編集]

下記は新潟県における震度5弱以上の余震(ウィキペディア調べ)。3ヶ月の間に、震度5以上のゆれを18回観測している。気象庁発表(時刻は全部日本標準時

2004年10月23日
  • 17時59分/M(マグニチュード)5.3/最大震度5強
  • 18時3分/M6.3/最大震度5強
  • 18時7分/M5.7/最大震度5強
  • 18時11分/M6.0/最大震度6強
  • 18時34分/M6.5/最大震度6強
  • 18時36分/M5.1/最大震度5弱
  • 18時57分/M5.3/最大震度5強
  • 19時36分/M5.3/最大震度5弱
  • 19時45分/M5.7/最大震度6弱
  • 19時48分/M4.4/最大震度5弱
10月24日
  • 14時21分/M5.0/最大震度5強
10月25日
  • 00時28分/M5.3/最大震度5弱
  • 06時4分/M5.8/最大震度5強
10月27日
  • 10時40分/M6.1/最大震度6弱
11月4日
  • 08時57分/M5.2/最大震度5強
11月8日
  • 11時16分/M5.9/最大震度5強
11月10日
  • 03時43分/M5.3/最大震度5弱
12月28日
  • 18時30分/M5.0/最大震度5弱

そして時は過ぎ、疵痕は消えずとも傷そのものはどうにか塞がりつつあり、誰もが復興から次の一歩を踏み出そうとしたその時、そうあれからちょうど5年

2009年10月23日
  • 18時31分/最大震度4

さらに倍[編集]

そして、近世日本史上最大の地震となった2011年3月11日の東日本大震災の発生から13時間後の翌3月12日に、なぜか新潟県十日町市を震源とする最大震度6強の地震(栄村大震災)が発生。

しかも3回

はい、そうです。どう考えても中越地震と関係しまくりです。

しかし、何事もなかったかのように死者0の雪国人。しかも、土砂崩れで家が流されて3人行方不明という一報が流れた直後に、3人全員救出

人間というものはしぶといものである。

なお、詳しくは栄村大震災のページを参照されたい。というか一回見て。

実際のところ[編集]

なお、中越地域のほとんどの住民にとっては、連日続いた余震よりも毎年毎年、半年は必ず続くのほうがつらいと思っているのは、悲しい事実である。付け加えると、この地震の3ヶ月前に、平成16年7月新潟・福島豪雨(通称、7.13水害)が発生していたため、計らずも大規模災害を一度経験していたことも大きい。その上、平成16年の冬は十数年ぶりの大雪により、各種機関が麻痺するなど、まさに踏んだり蹴ったりの状況だった。さらに、翌年の12月にはのちに平成18年豪雪と呼ばれる大寒波が押し寄せている。

その2年後には中越沖地震が起こっている。

多分、何かの呪いと思われる。

発生要因[編集]

この地震は、新潟県の糸魚川市から静岡県静岡市へ連なるフォッサマグナの糸魚川静岡構造線のすぐそばで発生している。つまり、日本列島を真っ二つに分ける大断層のそばの、これまた大変に力がかかり続けるろくでもない断層群で起こったということである。この地震で分かったことは、実は中越地方の地下に眠る断層は、大変に素晴らしくぐちゃぐちゃであって、1回の地震だけならまだしも、一つの断層がずれてしまうと、まるで積木崩しのように他の断層もバラバラに動いてしまうという、ろくでもない話だった。そのため、その原因となった断層を探す作業は、正直、200日戦争ですむような話ではなかった。

発生直後の2004年10月24日、政府の地震調査委員会は臨時会議において、この地震の原因が長岡平野西縁断層帯の活動によるものではないという見解を示した。つまり、それまで知られていた地震を起こしそうな断層じゃないとの声明を早々に発表した。直後、地震予知連絡会会長は、原因を新潟県六日町(現南魚沼市)の真下にのびる六日町断層が活動したためではないかとの見解を示した。実際、10月26日には、名古屋大学東洋大学の合同調査チームが新潟県広神村(現魚沼市)にある小平尾断層上の地表で、今回の地震の地震断層と考えられる地表変形を確認している。この段階で、この地震を引きおこしたのは、新潟県六日町などを縦断する六日町断層か、新潟県広神村にある小平尾断層だと思われていた。しかし、断層というものは、その真上にある場所にもっとも大きな被害を及ぼすため、六日町や広神村の震度が5しかなかった段階で、かなり奇妙な話となる。実際に、広神村で断層の活動が見つかった翌日に、震度6弱の余震が発生するが、六日町、広神ともに、断層はまったく動いておらず、この時点で、地震調査委員会は、中越地震の原因は未知の断層だった、というしかない状況に追い込まれている。これは、いかに中越地方が断層の密集地帯で、地震学者ですらてこずらせるほどの複雑な構造をしているかの証明である。

よって、以下に述べる話は単なるヨタ話である。

楽しい話[編集]

世界の地震の歴史の中には、人間の活動が原因で発生した地震が存在する。アメリカにはフーバーダムの水圧によってマグニチュード5.0の地震が発生した事例が存在し、インドでも、貯水池の水圧によって地震が引き起こされた事例も存在する。そんな中、アメリカのデンバーでも、軍事工場の廃液を地下に圧縮して押し込めようとした際に地震が発生した事例が存在していたりもする。

もちろん、中越地震においてそんな軍事工場だの廃液だの言う話は存在しない。ただ、新潟県長岡市の深沢集落において、帝国石油が温暖化防止の一環として2003年7月より、地中に二酸化炭素圧縮して押し込めようとしていただけである。ちなみに、2005年の1月まで続けていただけである。

なお、中越地震で一番被害の大きかった小千谷市や長岡市、川口町で未知の断層が見つかったという話は特にない。

結論[編集]

2005年11月、地震調査委員会は最終報告を発表し、中越地震の震央は川口町の木沢集落にあるとし、そこから、北東、および南西に向けて逆断層が動いたために発生した地震であると結論付けた。もちろん、これは一番最初の地震についてであり、その後に頻発した震度6以上の地震については、この断層では到底説明できない。

しかし、結論が出てしまった以上、住民は納得するのが人情というものであり、いわゆる雪国人の特性というやつである。

ちなみに、中越地震のメカニズムを詳しくしるしたページでも、その断層の動きには、意味不明な部分があるとしており、地下に溜まったガスの爆発によるものではないかとしている。

まぁ、そういうことにしておこう。


ネタバレになっちゃうけど、ま、いっか。今回の地震は原因は大蛇

水郷地域には、大抵大蛇伝説がついてまわり、信濃川が流れている新潟県も例外ではない。特に関川村の「たいしたもん蛇祭り」ギネス級に有名。

江戸時代頃までは、大蛇が自分の住処を作る為に、あちこちで地滑りを起こしていたことが文献にも記されている。 昭和に入ってから、文献の示した辺りから地滑りを鎮めるために埋めたと思われる人身御供が偶然見つかっており、この人身御供を掘り出したら、また地滑りが再発する様になったというシャレにならない話が実際に起こっている。

地震のおこる1年ぐらい前から、震源地付近で小規模ながら開発事業が進んでいたから、ユンボだかブルドーザーだかが、大蛇の尻尾か脇腹でも突いて、文字通り逆鱗に触れるようなことしちゃったんじゃないかな。 特に、地震の4ヶ月ほど前、新しくかける橋の橋桁を作るため河の中で杭打ちをしていた重機がひっくり返るという大事故が起こっていたから、これが怪しい。

被害[編集]

あぁ!僕の大事なコレクションが!!

中越地方の各市町村における被害は、死者68名、負傷者4,805名を数えた。家屋の全半壊は1万6千あまりにおよび、一部で火災も発生するなどまさに未曾有の大災害であった。

ちなみに、1995年阪神・淡路大震災では、死者6,437人、負傷者43,792人、避難人数30万人強、住宅被害46万世帯におよび、地震後の火災で9,017世帯が被災している。

一応、同じ震度7の話である。これほど大きく差が開いた原因は、当前のことだが、中越地方が人口の少ないド田舎だったためである。また、一日で1mの降雪がザラという地域がほとんどだったため、各住宅の柱や梁がいわゆる雪国仕様の極太のものであり、さらに、多くの住宅の1階が鉄筋コンクリートの車庫でできているという、これまた雪国仕様の家であったことも大きい。住民の中には、家にいるのは怖くても、車庫にいると安心、という光景もよく見られた。幸い、地震後の天候も秋ではあったが温暖な日が続いたため、昼は家で片付け、夜は車庫で睡眠という形で、自分の家の敷地内を往復するような生活をしていた人間も多い。

長岡市の被害[編集]

インフラや交通網などの甚大な被害は、特に中越地方で一番人口の多い長岡市で大きかった。市内に通じる主要交通網がことごとく分断されてしまい、長岡は地震直後に陸の孤島と化してしまったのである。その上、市内を流れる信濃川にかかっている4つの橋のうち「蔵王橋」「長岡大橋」「大手大橋」の3つまでが崩壊あるいは半壊し通行不能となってしまい、長岡市そのものがベルリンのように分断される危機に晒されることになるが、老朽化のため、普段でもダンプが通ると地震の様に揺れることで有名な「長生橋」がその柔軟さを活かしてこの難局を見事に乗り切り、長岡市は危ういところで完全分断を免れる。(余談ではあるが、長岡市民は、自分達の危機を救ってくれた長生橋への感謝を忘れず、後日、ペンキの塗り直しなど補修工事を行っている。)幸い、隣接する高柳町との間に通じていた山道が一本だけ生き残っていたため、その後、他の道路が復旧するまで唯一の命綱として物資の搬送などに使われることとなる。どれぐらい渋滞したかは聞かないでくれ。

また、電気やガス、水道などの主要ライフラインの被害も甚大であった。しかし、皮肉なことに山間部であればあるほど、ライフラインが強固なものになっており、特に農家は無敵だった。電気はこなくても(もっとも中には農家得意の自家発電を行って楽しい被災生活を満喫する者もいた。)井戸やプロパンガス、何よりも近所との連携はまさに異常であり、応援に来たボランティアが拍子抜けするほど打たれ強い住民が大勢いた。まぁ、雪があったから。そのため、田舎、特に山間地におけるボランティアは家の片付けが主なものとなっている。

しかし、都市部になるとそうもいかず、水道ガスなどの地面に埋もれた配管を修理し終えるのは、およそ1年後になる。

なお、原子力発電所への被害はなかった。このときは。

ボランティアの被害[編集]

中越地震の死者の中には、きのこ工場の片付けをしている最中にアレルギーで死亡したボランティアや、直後の大雪で雪崩に巻き込まれたボランティアが含まれている。また、地域の炊き出しで、多くのボランティアが「魚沼コシヒカリ」中毒に感染している。新米で炊きたて、なおかつあまりおいしくない救援物資との食べ比べが行われる中、無視できない多くのボランティアが魚沼コシヒカリ中毒になっている。

鉄道の被害[編集]

鉄道の被害も甚大で、特に上越新幹線において、歴史上初めて脱線事故が発生、関係者に大きな衝撃を与えている。どこぞのアホなマスコミは、安全神話の崩壊だのなんだのとのたまったが、震度7に安全神話もクソもあるかというのが、多くの被災者の実感であり、それ以上に、死者も負傷者も出なかったことに大笑いした人間のほうが多い。特に、脱線した際に雪国仕様で設置されていた除雪用のミゾに車体がはまり込んだおかげで、転覆や橋梁からの落下などの考えうる甚大な被害を免れたという部分がツボである。しかし、在来線の被害は尋常ではなく、上越線信越本線飯山線只見線越後線が長期運休、他にも長岡駅で駅舎が崩壊するなどというたわけたデマが発生、利用者が一時避難するなどの被害が出ている。なお、地震の影響により、なぜか、長野新幹線首都圏私鉄各線においても運休や遅れが発生している。これは、首都圏の電車を動かしていたのが、実は長野県と新潟県の境に多く存在した信濃川のダム群から供給される電力だったためである。そのため、急遽、鉄道各社は東京電力から電気を購入して当座を凌いでいる(2006年3月に復旧)。しかし、3年後、今度は東京電力のほうが原発の真下で起こった地震の影響で電力不足に陥るとは、このとき誰も想像だにしていなかった。

道路の被害[編集]

道路の被害はさらに甚大であり、高速道路国道県道市道私道農道は、それぞれ、拘束道路酷道険道死道屍道NO道へと変化した。皮肉なことに田中角栄が引っ張ってきた神の道はとんでもない事になったが、前からある地元民が数十年かけて掘ったトンネルや山道は無傷であった。とりわけ、全国的にも名高い山古志村の惨状は悲惨の一言に尽き、ほとんどの集落が孤立、山古志村自体も孤立した結果、長島忠美村長が全村放棄を決断する事態にまでなる。さらに、村内を流れる芋川土砂崩れでせき止められ出来上がった天然ダムに住宅が水没するなど、まさに全国の涙を一身に集める結果となった。

ちなみに、一番震度が大きかったのは、隣の川口町だったりする。

二次被害[編集]

阪神大震災とは違い、中越地震では二次被害にスポットが当たっている。特に大きく取り上げられたのは、深部静脈血栓症、通称エコノミークラス症候群と呼ばれる、下半身にできた血栓が肺の血管につまることによって引き起こされる病気で、日韓ワールドカップでスシボンバーを地獄に叩き落したことで知られる。この病気は、狭い場所で長時間いることによって引き起こされるという特徴があり、中越地震の際に、多くの被災者が車中泊を繰り返したために発生した。そのため、現場を知らないマスコミは医療関係者の言葉を引用し、「危険な車中泊はやめよう!」と被災者に訴えたが、誰も守らなかった。地震の揺れが続く中、地元の医療関係者も安全のために車中泊している状況では、どう考えても車中のほうが安全だった。そのため、最終的には報道も方向転換し、血栓をできにくくするために、水分の補給と適度な運動を進める程度に抑えられることになった。

なお、ウィキペディアにおける新潟県中越地震の項目では、車中泊のためにエコノミークラス症候群の被害者が続出したとの記述があるが、車中泊のおかげで阪神大震災で問題となった避難所での人間関係のトラブルが相当数回避されてもいる。むしろ、今後起こりうる大災害において、エコノミークラス症候群に気をつけながらある程度でかい車に泊まったほうが、体はもとより、精神的に楽。というどうしようもない現実を知らしめた感もある。

報道被害[編集]

新潟県のド田舎が日本中の注目を集めるという通常ではまったくありえない異常事態の中、全国から多くのマスコミ関係者が秋の山里に殺到してくる。そこで待っていたものは、つまり、なんというか、その、田舎人であった。彼らは、まるで地震などなかったかのように笑い、めちゃめちゃになった家の前で談笑し、壊れた家の中で世間話し、極め付きとしておばあちゃんが自分の半壊した家の前で言い放った「よくこんな田舎まできたね~、ところでなんのために来たんだい?」である。そのため阪神大震災で全国民の涙を誘った被災者の姿なぞどこにもなかった。そのため、マイクを向けるリポーターが一番悲しそうという、それまでの報道ではあまり見られなかった光景が全国に放映された。これは、住民の感性がぶっとんでいるというわけではなく、単に阪神大震災よりマシだとか、その2ヶ月後に起こったスマトラ島沖地震よりマシという精神的な予防線が存在していたことと、何よりも豪雪で培われた、雪国人特有の打たれづよさが出てしまったためである。やつらは、春を待つためなら半年間は平気で雪の中に暮らす

その結果、通常とは違った映像に混乱したマスコミは、数々の暴挙を行っている。特に有名なのは、山古志村で家屋倒壊の犠牲になった小学生の取材で、友人にあまりにもぶしつけな質問をしたリポーターが、それまで笑っていた子供を大泣きさせてしまった上、その映像を子供たちの心のケアなどという名目で全国放送。この放送はその後、徐々に顕著になっていくマスコミの質の劣化を示す一例としてインターネットを中心に数多く取り上げられることになる。その他にも、全国紙の記者が住民以外立ち入り禁止の区域に進入した事例や、取材にいった後、自衛隊のヘリコプターで帰るという、被災者の心を逆撫でしたように見える行為を数多く行っている。

もっとも、そんなことを気にする田舎人はまずいなかったが。

なお、そのような報道関係者の中には地元密着で活動しているミニコミ誌の人間も存在しており、彼らの活動は全国レベルの報道が途絶えた後も、地域の話題として中越地震に関する情報を伝え続けていくことになる。

行政の対応[編集]

国の場合[編集]

震災直後、当時の小泉純一郎総理は映画の観覧中だったが、一報を受けた1時間後に公邸に戻り、対応に当たった。ちなみに阪神大震災における村山富一総理は、地震の情報をテレビで初めて知った。また、中越地震では発生から4分後に緊急対策室が設置され、翌日には防災担当大臣が被災地を訪問したが、阪神大震災では総理大臣が公務をしながら地震に対応していた。その後、「なにぶん、初めての経験ですので・・・」という迷言を残している。自衛隊の派遣についても、派遣から救助活動の開催まで3日かかっていたが、中越地震の際は翌日に派遣されている。

まぁ、なんだ。前回の轍を踏まずによくやってくれたというのが、被災者の感想である。

その結果、発生から1ヶ月あまりで中越地震のほか、直前に近畿地方を襲った台風23号の被災地とともに激甚災害として認定が行われ、多額の復興資金が中越地方に振り分けられることになった。この迅速な対応の結果、小泉内閣の支持率が急激に上昇したことは言うまでもない。併せて、小泉総理自身、支持率が急落してもおかしくないイラク戦争に関する法律を採決した直後に、東北地方で強い地震が発生するような運気に恵まれていたことも併記しておく。そのおかげで、地元の中小の土木業者が異常に潤ったことは事実である。中越沖地震についてもしかり。そのため、なぜか県外ナンバーの作業車が道を行きかう光景が長く中越地方で見られることとなった。

新潟県の対応[編集]

地震が発生した10月23日は、当時新潟県知事であった平山征夫から新しく知事になった泉田裕彦へ移動する前日であった。そのため、泉田知事にとって震災で大騒ぎをしている中で知事の引継ぎが行われ、なおかつ、知事としての最初の仕事として、関係者へのあいさつ回りよりも先に震災に関する対応が優先されるという、ある意味、絶好のアピールの場、かつ、最悪の状況ともいえる中でのスタートだった。しかし、このような異常事態の中で、議会運営やら野党対策といったムダな労力をまったく行わずに県議会ともども一致団結して地震に対応した結果、県民から県政に対して地震対応に関する文句はほとんど出なかった。感謝が出たという記憶もないが。そのため、新知事就任から泉田に対する支持率は急上昇し、併せて、泉田といえば常に作業着という姿が強烈に新潟県人にすり込まれてしまう。これは、3年後に発生する中越沖地震についても同様である。その結果、2008年に行われた新潟県知事選挙では、ぶっちぎりで再選。

しかし、災害対応以外、どんな県政をしたかについて、ほとんどの新潟県民がまったく知らないのが現状である。

ちなみに、被災者への援助金や義捐金の配分といったとにかくもめやすい話についても、雪国人特有の面白みのなさによって、さほど大きな混乱もないままに国との折衝が行われ、激甚災害として多額の支援金を獲得している。

ヨタ話その1[編集]

2009年1月よりNHKで放映が始まった大河ドラマ天地人』では、中越地方でロケを行い、雄大な越後の山々を背景に戦国時代の人間絵巻が繰り広げられるが、よく見ると、背景の山々がシャレにならないぐらい崩れまくっている。これは、中越地震の復興が主に人間の住む地域で行われたためであり、人が住んでいない山中の土砂崩れなどは、まったく手をつけていないためである。そのため、事情を知る地元民にとって、あのドラマは少々痛々しい。


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