処女捨て島

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処女捨て島(しょじょす-しま)とは、1980年代後半まで伊豆に存在したと記録されている島である。

概要[編集]

第二次世界大戦後の日本は「強くなって立ち上がる[1]」というコンセプトの元で男尊女卑思想を強め、男の誇りを取り戻すため赤線を始めとする男性向け風俗は非常に盛んになった。戦後の歌舞伎町が「東洋一の歓楽街」と呼ばれるまでに発展したのも、その流れである。しかしその一方、戦前戦中に比べて女性の性欲は軽く扱われるようになり、ウーマンリブだのフェミニズムだのが流入したことで「女はセックスを求めてはいけない」という価値基準が強くなっていった[2]。その為望みもしないのに清い身体でいることを強要される女性が増えていった。

しかし1960年代になり「もはや戦後ではない」時代になると、性欲をもて余す女性たちがその捌け口を求めるようになっていった。また価値観の激変から、女性同士で「早く処女を捨てる方が格上」という格付けが為されるようになり[要出典]、どうにか手っ取り早く処女を捨てる為の場所を作れないかと思案するようになっていく。そこで、官権の目が届きにくい諸島部を観光スペースにして人を集めて自由にセックス出来る環境を作ろうという動きが加速していった。そうやって生まれたのが処女捨て島である。

発展と衰退[編集]

処女捨て島は当初、ブームになりつつあったサーフィンやダイビングの環境を整えた若者向けリゾートアイランドとしてメディアに紹介された。が、若者が集えば当然のようにセックスが励行されるようになり、防音設備の整ったホテルや風光明媚な青姦スポットが「穴場」として愛されるようになっていく。元々ここに来る女性は処女を捨てたいわけで、非日常の空間でセックスを楽しもうと思っているのだから常時ノーガードである。男も男で、どんな容姿でも職業でもここに来ればガッツンガッツンヤりまくれると確信すると凄まじい勢いで島へと集まるようになった。最盛期の処女捨て島は、破瓜の血で海岸が真っ赤に染まったとさえ言われるほどだったという。

しかし、1990年代になりバブルが弾けると一気に処女捨て島は閑散とするようになった。「何処の馬の骨か知らない奴に処女膜破らせても一銭にもならない」と気づいた女達は自分の処女を商品価値として扱うようになり、高額で取引するようになったのである。また男達も男達で、バブル崩壊により島で豪遊する暇もないほど財政事情が逼迫していったこともあり処女捨て島自体の需要がなくなってしまったのである。その後、処女捨て島がどうなったかは記録に残っていない。名を変えて伊豆近辺にまだ残っているという説もあるが、詳細は不明である。

脚注[編集]

  1. ^ ちなみに当時のイタリアも同様で、肩パットの自己主張が強いコンケーブショルダーが流行した。
  2. ^ 元々日本の性的価値観は非常にライトであり、例えば盆踊りはセックス相手を探す一面もあったし相手が拒まなければ夜這いだって美談であった。明治のキリスト教的禁欲思想に戦後価値観が加わって、禁欲至上主義が形成されたのである。

関連項目[編集]