斎藤朝信

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斎藤 朝信(さいとう とものぶ)とは、戦国時代に活躍したお医者さん。副業で戦国武将の仕事もしていた。上杉謙信の家臣の一人で、お医者さんの癖に統率が上手で、柿崎景家らと共に上杉の将として多くの合戦に参加して武功を立てた。

人物[編集]

越後の医者、斎藤定信の子として生まれた。そのまま医者として一生を終え、軍事とは関わりのない生涯を歩むはずであったが、合戦に継ぐ合戦に明け暮れていた長尾為景が、とにかく兵力がほしいので赤紙をばら撒いて手当たりしだいに徴兵を行い、朝信も軍人の仕事に就くことになった。そして軍人として戦争に参加してみると、医者の息子のくせに相当に戦上手であることが発覚して為景に見出され、500騎を率いる大将となる。しかし、越後の情勢が少し安定すると、医学の勉強に専念したいという理由から、前線を離れる。

時は流れ、為景は既に鬼籍に入っていた。後を継いだのは嫡男の長尾晴景だったが、晴景に冷遇されていた本庄実乃など一部の家臣が自分の待遇への不満を爆発させ、晴景は病弱だからとかいう根も葉もないいいがかりをでっち上げ、弟の長尾景虎(上杉謙信)を擁立して晴景を隠居させようと迫ってきた。ここで朝信は再び歴史の表舞台に躍り出る。病人を助ける医者である朝信にとって、病弱な晴景を助けるどころか追いつめてゆく本庄らは悪党以外の何者でもなかった。義によって助太刀いたすと月並みなせりふを言って、朝信は晴景に合力した。朝信は晴景に協力する傍ら、晴景の看病もしていた。だが病弱というのは本庄実乃らがでっち上げた嘘っぱちで、晴景は至って健康だった。それどころか、逆に本庄らが擁立した景虎の方が高熱にうなされて倒れてしまった。すると人が良い晴景は、朝信に弟を看病してやって欲しいと頼み込んだという。晴景からの依頼を受けた朝信は、景虎の元に赴いて看病に専念した。

初めは敵対していたが、懸命に看病する朝信を見て、景虎は感銘を受けた。史料に記述されている看病の経緯はなんとも奇妙なもので、景虎が夜眠っている時に夢を見ていると、その夢の中で、景虎の体内で暴れまわる病原菌を、武者姿の朝信が大きな太刀を片手に蹴散らして「治療」し、翌日になると景虎の容態が快調に向かってゆくという内容であった。

やがて景虎は完治し、晴景の方が妥協して家督を譲ることになり兄弟の相克は終結、景虎が当主となった。上杉謙信の誕生である。すると朝信も、謙信の高熱を治癒した功績を評価されて、重臣の一人に列席した。以降の朝信は武将として各地を転戦する傍ら、謙信が病に伏したときはその治療をする重役を担い、医者と武将の二足の草鞋を履いて越後を疾駆した。健康を管理する医者としての立場から、大酒呑みである謙信の酒の飲みすぎについて度々苦言を呈したことがあるが、景虎は無視していた。忠告を聞き入れて節酒していたら上杉謙信はあと10年は長生きできたという。

1561年の川中島の戦いにも参加。戦闘での戦績は柿崎景家らと比べると地味なものだったが、戦後負傷兵の治療に尽力し、負傷兵達から越後一の名医と礼賛された。

1578年、上杉謙信が死去すると、養子の上杉景虎上杉景勝との間で跡継ぎをめぐり御館の乱が勃発。朝信は景勝に味方し、景勝側の負傷兵の治療を担当した。おかげで景勝側は負傷兵の死亡が少なく、また兵士達が負傷から早く立ち直れることもあって優勢となって勝利した。その後も晩年まで、医者兼戦国武将として上杉家を支えたという。曲直瀬道三と並ぶ戦国時代の名医としてその名は現代に伝わっている。

越後の鍾馗[編集]

朝信は越後の鍾馗という異名で呼ばれている。鍾馗とは、中国の玄宗皇帝を蝕んでいたマラリアを治したとされる名医であると同時に、武勇に優れた軍人でもあった。医者と戦国武将を兼業していた朝信とは共通要素が多い。また、玄宗のマラリアを治したとされる経緯も、玄宗が夢の中で病原菌の象徴である鬼を鍾馗が退治するのを見たところ、翌日になると病気から回復していたというもので、朝信が病原菌を蹴散らしたという謙信の夢と一致する。なお、玄宗のマラリアを治したとされる鍾馗だがこの時既に死亡しており、幽霊医者として玄宗の病気を治したということになるが、朝信にも、死後幽霊として上杉家当主の病気を治したというエピソードが伝わっている。米沢藩三代藩主上杉綱勝は若くして病没してしまったが、朝信の霊が治療をしてくれたおかげで、1年近く延命に成功し、そのおかげで上杉家は吉良家から養子をもらう段取りをなんとか整えることができて、跡継ぎなしによる改易を免れたという。

また、鍾馗はひげが濃く剛毛であったことでも知られていたが、朝信もそれはそれは髭が毛深かったらしい。髭が濃い名医で戦闘要員もこなすという共通点から、現代では越後のドクターマリオという異名でも呼ばれている。