文京区

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文京区(ぶんきょうく)とは、東京都の中央から北部を占める特別区の名称。東京を代表する千代田区中央区港区に比べると地味で目立たない区だということで定評があるが、区の面積のうち9割以上が山手線の内側に含まれる(23特別区の中では最も率が高い)という真の東京の中心、その割には山手線の駅は一つもない。あのウィキペディアにも「(文京)区内にはJRの駅が一つも無く、繁華街が無い」と書いてある。ちなみに「B」ではなく「V」で発音するため下唇を噛んで「う”んきょうく」と発音するのが正しい作法とされている。

「文京区」誕生[編集]

「文京」なる地名はもともとこの地には存在せず、「本郷区」と「小石川区」が合体して誕生した時に、「文化と教育が盛んである」という意味の「文教」と、「みやこ」を意味する「東京」の「京」の部分を無理やりくっつけた、親父ギャグ真っ青の駄洒落から生まれたものである。その当時、敗戦のショックで気落ちしていた人々はこれに突っ込む気力がなく、そのまま可決されて現況に至るのである。駄洒落が行政区の名称になった珍しい例である。そもそも「文京区」の名称を通過させた役人たちはさしずめウィキペディアンみたいなもので、学校のお勉強はできるが、いわゆる「ユーモア」に大いに欠けていたがためにこのような悲劇が生まれたという説もある。

かねてより東京大学などを始めとする文教施設が多すぎる嫌いがあったこの地域だが、「文京区」の誕生によりお勉強はできるがその他の点でちょっと・・・・という人々が激増することになったらしい(逆に隣接する区からは物凄い勢いで頭脳流出が続き、某区のように脳味噌のしわがツルツルの人しか残らない「頭脳過疎地帯」が生まれている)。まさかと思うがウィキペディア日本語版の書き込みの9割が文京区からだというは本当でなのであろうか。

東大のお膝元[編集]

さて「文化と教育が盛んな文京区」であるが、すでに学園都市となる道筋は江戸時代から敷かれていたのである。幕府の教育政策の中心であった昌平坂学問所から湯島聖堂、そして明治時代になると後の東京大学となる東京帝国大学、後の筑波大学となる東京師範学校、後のお茶の水女子大学となる東京女子師範学校などなど、それこそ雨後のタケノコのように次から次へ学校が建てられまくったのである。

そのため文京区で普通に歩いている人のうち1/3が先生・教師・教授と呼ばれている人であり、1/3が学生(幼稚園児・小学生・中学生・高校生・予備校生・大学生・大学院生)であり、残り1/3がPTA関係者だという恐ろしい数値が算出されている。そうした著しい職業の不均衡がこの地域に集まる人々の風貌を独特なものにしている。すなわちそのほとんどが眼鏡っ子なのである。「眼鏡っ娘」ではない。「眼鏡っ子」である。幼女からおっさんまでそのほとんどが眼鏡をかけている。しかも眼鏡っ子特有の萌えるようなドジキャラは存在しない。「ツンデレ」の「デレ」のないような連中が眼鏡をかけてザッザッと歩いているのである。

加えてここでは教育界の頂点に立つ東京大学の権威は絶対的なものであり、侵すことのできない権威で以ってこの地を統括している。日本を仕切る官僚も、法曹界のお歴々も、言論界で活躍する知識人も、母校である東大に足を向けて寝ることはできない。いわんや東大出身でも本郷キャンパスでなく駒場キャンパスで学生時代を送った者には生暖かい眼差しが向けられ、あろうことか東大出身者でない人が東大についてあーだこーだ文句を言ったら憫笑を以って黙殺されるに決まっている。そのため「学問の自由」を合言葉に東大は日本国から高度な自治権が付与されているのである。

文京区にあっては東大関係者は言うなればカースト首位のバラモンである。東大関係者である証(あかし)である「銀杏バッジ」をつけた人が歩いていると、仮令学校のヒエラルキーとはまったく関係ないような八百屋おっさんでも魚屋のおばちゃんでも地面に頭をこすりつけて恭しく跪かねばならないとされている。そのため闇マーケットではモグリの「銀杏バッジ」は飛ぶように売れており、一見して本物と寸部の違いも見出せないような極めて精巧な「銀杏バッジ」に東大当局は頭を悩ましている。おそらくこのニセ銀杏バッジを東大構内で用いると「死刑」に相当する処罰が加えられるらしい。ちなみに文京区自体が東大の配下に置かれているらしく、文京区の区の木は「銀杏(イチョウ)」である。

「これもまた学歴社会の弊害か」[編集]

とにかく文京区ではこの学歴ヒエラルキーが目に見えない糸のように仕掛けられており、それを知らずしてこの地に乗り込むなど地雷のありかを知らずに目をつぶってスキップしながら戦場を進むようなものである。こうした東大の磁場に惹かれたかのように、今日もまた牛乳瓶の底のようなメガネをかけたガリ勉くんと、未だに「スネ夫のママ」のような「ザマス言葉」をぺちゃくちゃくっちゃべる「お受験ママ教育ママママゴン)」が手を組んで文京区にやってきている。

ママが「パパみたいな安月給のペーペーのサラリーマンになっちゃダメざます」というと、息子は「うん、ボクがママを幸せにしてあげるよ」とかなんとか、さもそれらしい猿芝居をしているじゃありませんか。日本のお受験ママの9割がこの文京区に集まっているといわれ、お受験ママが列をなして「ざます」「ざます」と鳴く姿はそれなりに見ごたえがある。しかし一見のどかに歓談しているように見えるお受験ママも一皮ひんむけばヒステリックな闘志が渦巻いており、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の亡者ではないが、スキあれば相手を蹴倒そうとしか考えていないようである。「そうざますわね(逝け)」「そうざますわね(死ね)」「そうざますわね(死ねばいいのに)」・・・・。この真実の声が聞こえなくては文京区では生きていけない。

文京区で生きていくのも大変である。幼いころはうっかりすると嫉妬に駆られたお受験ママのヒステリーで殺されるかもしれないし(○奈ちゃんお受験殺人事件)、いじめやらなんやら小中高の親子での軋轢(○島金属バット殺人事件)をなんとか潜り抜けて、大学院から教授職に上り詰めたとしても今度は学生に殺されるかもしれないからである(中○大理○学部教授殺人事件)。「文化と教育の盛んな」文京区だけに「文化と教育にまつわる殺人事件も盛ん」なのである。こうした「文化と教育の盛んな」文京区の事件の多さに想を得て書き上げられたのが、怪奇作家江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』である。まあこうした生き馬の目を抜くような過酷な「お受験地獄」を潜り抜けた文京区随一の「受験勝者」が、スタンフォード大学卒で内閣総理大臣ともなった「鳩山由紀夫」だというのが、この項の執筆者にはどうも合点がいかないのだが・・・・。

文京区の社寺事情[編集]

東京の古社・古刹といえば浅草寺・寛永寺(台東区)、神田明神・山王神社(千代田区)だが、「文化と教育の盛んな」文京区も負けていない。東大合格者の9割が正月に参拝して受験祈願の絵馬を書いているという学問の神様「湯島天神」などはその顕著な例である。湯島天神から東大までは歩いて5分だが、絵馬に祈願してそれっきりの人も少なくない。

しかしやはりここで特筆すべきは徳川時代の教育ママたちが関わった社寺を紹介するべきであろう。初代将軍徳川家康の母を祀った伝通院、三代将軍徳川家光の乳母春日局の墓がある麟祥院、そして何より五代将軍徳川綱吉の母であり元祖教育ママとも言える桂昌院の発願で建てられた護国寺、これらすべて文京区にあるものである。

ちょいと桂昌院のことに触れておこう。桂昌院はもともと京都の八百屋の娘であり「たま」というのが本名である。しかし何の因果か徳川家光に見初められ綱吉を宿すや、とんとん拍子に大奥で偉くなっていったのである(世に「玉(たま)の輿に乗る」とはこの故事を指す)。しかしその地位に安住することなく、八百屋の娘という負い目のためか、誇り高い京都人のプライドのためか、有無を言わさぬ徹底的な教育を将軍綱吉に注ぎ込んだのである。

ツナちゃま、お勉強の時間ザマス」「護国寺の隆光どのが「おさまを大事にしろ」といってきてるザマス」「赤穂浪士なんかみんな死刑ザマス」・・・・。その熱烈な教育によって綱吉は、狂ったように嫌がる大名たちに儒学を講義しまくるとともに、天下の動物愛護法「生類憐れみの令」を下したことでも知られる、少々イカれた名君(迷君)となったことは、みなさんご承知のとおりである。護国寺で売っている「桂昌院(タマちゃま)とツナちゃま」の親子キャラのストラップは、全国のお受験ママにとって受験祈願の必須アイテムとなっているそうである。

文京区各地の様子[編集]

目白台地区[編集]

日本列島改造論」からロッキード事件まで日本の政治史に大きな足跡を残した田中角栄元首相の邸宅。今ではその息女である田中真紀子女史が住んでいる。門には故角栄氏と真紀子女史の銅像が仁王像のように立ち並び、ボタン一つ押すと角栄像からは「まぁその~、よっしゃ、よっしゃ!」お国訛りの選挙演説が、真紀子像からはこの場ではとても申し上げられない言葉が次から次へ出てくる。操作しだいでは空も飛んでくれるようだが、角栄像はロッキード社製のエンジンのかかりが悪いらしく30年近く動いていない。真紀子像はすこぶるエンジンのかかりがよく、近所の子供がこっそり操作して宙を舞わせては、近隣の家屋敷を破壊しまくって、兎角評判が悪いらしい。地元では「新潟屋敷」と呼んでいる。

音羽地区[編集]

鳩山ファミリーの権勢を示す壮麗なバロック式邸宅。鳩山一郎から鳩山威一郎そして鳩山由紀夫鳩山邦夫の三代にわたる歴史が刻み込まれている。近年では鳩山ブームのあおりを受け「ルーピー御殿」とも呼ばれ、生ルーピー見たさの外国人の観光客も多い。ちなみに還暦を越えた由紀夫元首相がその母から10数億円をお小遣い子供手当)としてもらっていた現場がここである。
いわゆる「音羽グループ」の総帥としてこの地に君臨している出版社。「日刊ゲンダイ」を代表とするその徹底的なメディア攻勢により2009年の衆議院選挙でみんす党を勝利に導き、鳩山内閣を成立させたことは記憶に新しい(これが「音羽の密約」である)。小学館などを中心とする「一ツ橋グループ」とは犬猿の仲であり、街で社員同士がすれ違うとよく刃傷沙汰になっているらしい。こうしたケンカ三昧の「講談社」のやりかたに憤り、たけし軍団ビートたけしが乱入した際には「フライデー」編集部が血潮に染まったと伝えられており、今でも壁や柱にそのときの血痕が色鮮やかに残っている。ちなみに「講談社」が正式名称とされているが、創立当初からの正式名称「大日本雄辯會講談社」と宛名を書かないと郵便物は届かないらしい。そういえば、お察し下さいで刃傷沙汰が起こったのも音羽だった……。

大塚地区[編集]

文京区にはいくつもの女子大があるが、それら女子大界の頂点に君臨するのが「女東大(おんなとうだい)」とも呼ばれる「お茶女(おちゃじょ)」である。かつて「師範学校」であった名残で、お茶女の卒業生のほとんどが一路邁進わき目も振らず、人生に何の疑問も持たずに「女教師」への道を突き進む。教師以外は人間ではないと思っているからであり、そうした教育によってここは日本一の「女教師」の名産地となっている。「女教師」はこうして全国の学校に輸出され、ごく一部は「いけない女教師、秘密のお仕置きレッスン」などに見られるSM業界からもお声かかりがあるらしい。

小日向地区[編集]

受験戦争その他で頭脳に普段から負荷がかかりすぎている文京区民の脳が、暴発してバーンアウトを起こさないように設けられた癒しと憩いの楽園。この地には敷き詰められたように茗荷(ミョウガ)が植えられており、これがリタイア寸前のストレスフルな文京区民の脳を穏やかなものにしている。お釈迦様の偉大な弟子周利槃特(しゅうりはんとく)の故事で知られるようにここのミョウガは強烈なもので、口に入れただけで瞬間的に「忘却力」を最大限に拡張し、ありとあらゆる記憶が吹き飛び、イヤなことをほとんど無痛で忘れ去ることができるので、癒しには最適である。しかし効能が強すぎて「ここはどこ?私は誰?」という状況に追い込まれてしまうらしい。もっとひどい場合には「ここは誰?私はどこ?」という、かなりヤバイ事態に至る場合もあるらしい。その時は別の病院に見てもらうしかないだろう。

後楽地区[編集]

徳川御三家の一つ水戸家の上屋敷があった場所。五代将軍綱吉の永遠のライバルの水戸黄門こと徳川光圀は、ここで助さん・格さん・うっかり八兵衛由美かおるとともに犬狩り・ツーリング・政府転覆などの陰謀をしていたらしい。ちなみに「後楽園」の名称は黄門が三葉葵の印籠を手にしてから、悪党たちに向かって呟いたという「お楽しみはこれからだ!」の名セリフからとられたもの。
日本最大の場外馬券場のこと。頭に赤鉛筆はさんで、競馬新聞とワンカップ大関を抱えた酒臭いオヤジがわんさと集まってくる文京区で最もレアな場所。文京区お受験ママ軍団とここの酒臭いオヤジ連中は不倶戴天の敵である。

春日地区[編集]

文京区は文教地区ということで繁華街はなく、学校と社寺ばかりの区のため、23区で最も税収が見込めない区とされ、貧乏区と位置づけられていた。ところが1999年に文京区役所が完成すると、区内の住民もよその区の住民もその建物のズバ抜けた高さと威容に恐れおののいた。貧乏区であるはずなのに23区で最も高い展望台がついた区役所が姿を現したのである。スカイツリー完成する暁までは都内最高峰として君臨し続けるはずである。あまりに高い建物のためこの地・春日全体が日が照らない地区となり、「暗いよ狭いよ怖いよ」と泣き叫んでいる住民の「日照権問題」は今もまだ解消されていない。この高層建築がどんな横流しの税金で建てられたのかもまったく不明であり、区長も「蛇の道は蛇でねェ」としゃべるばかりで真相は明らかにされていない。一説にはお受験ママたちの地道な募金活動で賄ったというが。

白山地区[編集]

読みは「えんじょうじ」で同じだが、「炎上寺」が正式名称だとされている。日本を代表する「愛と炎の戦士(ラブ・アンド・ファイヤー・ファイター)」であり、江戸時代のくまぇりでもある八百屋お七の墓があることで有名。処刑されたお七の名言「とは燃えること、燃やすこと、燃やされること」が墓石に刻まれている(*注釈「燃えること=一目ぼれ」「燃やすこと=一目ぼれした相手に会いたくて火をつけること」「燃やされること=火付けの罪で火刑にされること」)。今でも命日には日本各地から愛の戦士たちや放火魔が集まって香華が絶えない。

本駒込地区[編集]

五代将軍徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保がその下屋敷に造った江戸時代の大名庭園を代表する名園。柳沢吉保といえば将軍綱吉に媚びへつらった奸臣・佞臣と世間では言われているが、実際は綱吉と吉保が嫌いな水戸黄門とその仲間たちが意図的に流した悪評である。それが証拠にこの六義園は、吉保が和歌の六つの心得を庭で表現したものとして知られ、この庭園の格調高さ見事さ清らかさからは吉保が悪人だということは全く考えられない。さらに将軍綱吉もここの庭園が大いに気に入り、自分のうちでもないのに58回もちゃらちゃら遊びに来たというから大した庭園である。この庭には綱吉をひきつける何かがある。おそらくは大好きの綱吉が母桂昌院の目を盗んで思いっきり数百匹の犬と身悶えながらハァ、ハァ・・・ハァ、ハァ・・・戯れる用意があったものと考えられている。風光明媚な庭園で数百匹の犬と身悶えながらハァ、ハァ・・・ハァ、ハァ・・・。でなきゃ58回も部下の庭に遊びに行かないだろう。なおそれがきっかけで綱吉と吉保がアーッな関係をますます深めていったかどうかは定かではない。

向丘地区[編集]

東京地下鉄南北線の駅、建前上は本郷キャンパスに隣接した最も近い駅、ということになっているが、かなり場所が偏っていて、東大正門からは若干遠く、東大赤門からは幾分遠く、飲食店立ち並ぶ本郷三丁目界隈からはうんと遠いため、「東大前」でなく「東大横」「東大脇」「東大はずれ」「東大かなた」という呼び名がされている。しかもこの駅で最も近いのが東大農学部の地区なので「東大農学部前」「東大付属農業試験場前」「本郷農協前」「明るい農村前」「田吾作前」とも呼ばれている。ちなみに「駒場東大前駅」は本郷キャンパスの者からすると「なにそれ?」らしく、「「駒場」つきの東大は別物だから……」と言われている。

弥生地区[編集]

弥生時代土器(弥生土器)が掘り出された初めての場所。この地には2000年以上前に巨大な集落があったらしく、その時代の地層からざくざく土器が発見されている。あまりに出土した土器が多すぎて、街のあちこちに剥き出しのまま土器が並列されており、漬物をつける入れ物として、植木鉢や金魚の鉢または野良猫の住まい、あるいは死体処理のに困った人のための甕棺(かめかん)としてあますところなく使われている。道も土器のかけらが砂利のように広がっており、歩くとパリンと土器の割れる音がするので曲者はこの街をうかつに歩けないらしい。この大量の土器で町おこしをしようとしているらしいが、そのキャラクターとして「弥生ちゃん」にするか「土器ンちゃん」にするか、意見が真っ二つに割れており、目下計画は暗礁に乗り上げているらしい。

本郷地区[編集]

現在は東大本郷キャンパスを象徴する建造物として、受験シーズンになるとおもしろおかしく取材しにマスコミ関係者がやってくる場所。ただ東大に合格するような人はナイーヴなのででしゃばらず、こっそり心の中でガッツポーズして人知れずさっさと帰っていく。テレビに流される胴上げして大喜びしている「合格者」はもちろんマスコミ関係の全部ヤラセである。ちなみに十二代将軍徳川家斉の娘・溶姫(とろけひめ)が嫁入りするときに、迎え入れる加賀・百万石の前田家が見栄張って急ごしらえであつらえたものなので赤門は実ははりぼて出来ていて中身は空洞であり、よく台風で吹き飛ばされている。
今を去ること40年前、全共闘という学生運動のしつこい連中が立て籠もったアジトの遺跡。ものの見事に鎮圧されて現在は「よい子はここで暴れちゃいけません 東大当局」の立て看板がしてある。未だに団塊世代サヨクにとってはかけがえのない聖地であるらしく、「安田講堂落城」の日には長髪にジーパンといういでたちで『朝日ジャーナル』を手にした還暦前後の男女が「資本主義を打倒せよ!」「異議なーーーし!」と涙目になりながら叫んでいる。大学生でも還暦でも中二病にかかると手がつけられない、まして長引けば長引くほど完全治癒は不可能に近い、手遅れである、だから気をつけよう、という意味の記念碑でもある。
「かねやす」とは江戸時代に創建された歯磨き粉の店、現在も本郷三丁目に存在している。「本郷もかねやすまでは江戸のうち」と言われ、ここから先は町奉行も手を出せず、法律もまったく通じないド田舎であり秘境であり人外魔境であるとされた。なぜ歯磨き粉屋が江戸と田舎の境になったかというと、江戸の庶民が使う歯磨き粉が「田舎もんを追っ払う魔よけ」になったからだと言われている。威勢はいいが本当は臆病者の江戸っ子たちが「て、てやんで、べらぼうめ・・・」と言いつつ(田舎怖さでここでオシッコをちびりまくったらしいが)、そんな時は田舎もんに目がけてお口クチュクチュした歯磨き粉入りの唾液を吹き飛ばしてやっつけたらしい。ちなみに歯磨き粉の名店「かねやす」から生まれたのが「ライオンこども歯磨き」であり「ポリデント」であり「キシリトール」である。

谷根千自治区[編集]

東京地下鉄千代田線のこれら2駅界隈(+台東区の谷中霊園周辺)は、上記のいずれにも当てはまらず、台東区や北区や荒川区と接している辺境の地である。この地域はエアポケットとして機能しており、女性編集者らがミニコミュニティ誌を創刊させると同時に「俺が谷根千だ!」と特別区を宣言、独立を果たした。かつては文京区全体からすれば、他区に対するバリアーに過ぎなかった。だが、前述してきているような世俗的価値観に塗れることなく、隣接区とのほどよい人的交流が功を奏し、文教地区と下町双方の良さを温和に兼ね備えている。このような矜持を保っていたが、独立を果たして有名になってしまったため、90年代後半より地域経済人口の流入が顕著であり、だんだん「フツーの観光地」に成り下がりつつあるのが残念。
ヨンヨンカンチョー!!!」って思い浮かんだことある奴ちょっとこっち来い。

関連項目[編集]

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