教科書には載らないアンサイクロペディアの歴史

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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教科書には載らないアンサイクロペディアの歴史』(きょうかしょ—の—れきし)とは、文字通り教科書に載ることの無いアンサイクロペディア日本語版の歴史を綴ったものである。もしあなたの持っている教科書に載っていると言うのであれば、病院へ行くことをお薦めする。また、自分のことについて書かれている部分が除去されたとしても、超人預言書のようにあなたの体がねじれたり消えたりすることはないので安心して欲しい。

本歴史書の編纂について[編集]

本歴史書は、歴史学者による履歴地層の発掘調査および、各地の伝承をもとに編纂されている。したがって今後、下記の内容が書き換わる可能性は大きい。我々『教科書には載らないアンサイクロペディアの歴史編纂委員会』は発掘調査に協力してくれる有志や、歴史上の人物であるRyoske氏やKasuga氏を現世に呼び出してくれるイタコを随時募集している。

学会議事録[編集]

歴史学会の議事録がここにまとめられている。この学会は過去に「日本語版アンサイクロペディアは現在の場所ではなく英語版アンサイクロペディア高天原にて生まれた」「『国産み』の時期を2005年12月から2006年5月に訂正する」といった功績を上げている。

編纂元の歴史書[編集]

歴史[編集]

神話の時代[編集]

発掘された最初期のメインページ画像。地質調査により2006年1月のものであることが判っている。画像は長い年月をかけてかなり風化している。
  • 2005年以前 - 主神ソフィアがお生まれになる。
  • 2005年1月 - 英語版アンサイクロペディア高天原が創られる。
  • 2005年3月9日 - 最古の投稿がChronarion氏により高天原で行われたと伝えられている。この人物が実在する人物か架空の人物かについてははっきりしていない。
  • 2005年3月10日 - 高天原の日本の記事がブログで日本語に翻訳される。この資料が「バ科事典」の名称の初出であり、「バ科事典はRyoske氏が命名した」という逸話は後世による権威付けであるとされている。
  • 2005年3月12日 - 最古の日本語記事である「日本」が高天原で投下されたと伝えられている。この記事は完全オリジナル記事ではなく、上のブログのコピペ記事であり、いかにもアンサイクロペディアらしいスタートを切った。また、この記事はアメリカから見た日本として風化しつつも現存している。
  • 2005年12月7日 - 高天原に日本用「Babel:ja:メインページ」が創られる。これを日本語版アンサイクロペディアの誕生とする学説もある。

2006年[編集]

  • 3月3日 - 初めてニュースが投稿される。この頃はメインページに直接書き込む形式であった。なお、ニュースの内容については古代語で記述されているため今後の解読が待たれる。
  • 5月25日 - Carlb神とRyoske氏が交わり、高天原の日本語ページを呑み込んで、アンサイクロペディアの前身「バ科事典」をここhttp://ja.uncyclopedia.info/国産みしたとされる。Ryoske氏は歴史上実在が確認されている最初の人物である。
  • 5月26日 - 最古の会話が行われる。この時代に既にニンジャスターが存在したことが明らかとなっている。
  • 6月1日 - トーク:Nihilismにて最古の議論が行われる。
  • 6月19日 - モリッシー・モリッシー氏(Carlb神とRyoske氏以外では最古の利用者)により、コミュニティ・ポータルが設立される。
  • 7月5日 - 祝・日本語アンサイクロペディア項目数100本を突破!
  • 7月10日-7月30日 Ryoske氏が4名を管理者・BCに任命。この頃から編集活動は活発化し、飛躍の時代を迎える。
  • 8月 - 日本語版の通称を「バ科事典」から「八百科事典」へ改称。
  • 9月13日 - Asakaze氏が4名を管理者・BCに任命。翌日にはさらに3名を任命。以後も翌年4月まで「お札降り型」で管理者・BC任命を継続する。これによって管理者の質の低下が懸念されるようになり、後の投票任命制度を求める声につながることともなる。
  • 9月13日 - 同日未明にUncyclopedia:秀逸な記事が開設される。初掲載記事はおばちゃん。正式に議論で決まった開設ではなく、なし崩し的に誰でも記事を追加できるように始まったため、ここから秀逸な記事のバーゲンセールが始まる。上述の管理者お札降りと合わせて9月13日は「粗製濫造記念日」とされている。何やってんだアンサイ。
  • 9月14日 - 日記が始まり、初版とはうらはらにダメ人間を脱出できない人たちの集まりとなり、以降はアンサイ最多編集記事となる。
  • 9月29日 - ひよこ陛下が即位。この年の5月25日に生誕されていた陛下であるが、初めて大衆にその姿を現した。尊ひよこ陛下派と反ひよこ陛下派の仁義無き戦いがここから始まる。
  • 10月6日 - 項目数、何故か1,000本の大台に!!
  • 12月2日 - アンサイクロペディアの創始神、Carlb氏が管理者権限を剥奪される。「活動がない」ことがその理由。神もへったくれもない。
  • 12月4日 - 日本語アンサイクロペディア項目数、遂に2,000本突破!!
  • 12月9日 - マスコットキャラクター「アンサイクロペたん」の正式イラストが募集されるものの、文句なしのハイクオリティな絵が出なかったためうやむやのまま幕を閉じる。

2007年[編集]

  • 1月2日 - 現人神Kasuga氏により、記事の廃棄処分場アンディクショナリーが作られる。
  • 1月5日 - アンサイクロペディア運営委員会設立。第三者諮問機関として健全な運営がなされる・・・わけがなかった。
  • 1月9日 - 利用者名に@が使えなくなった
  • 1月11日 - 夢の3,000項目達成。
  • 2月17日 - 驚愕の4,000項目達成。
  • 3月4日 - だいひまじん氏により、Uncyclopedia避難所が設立される。
  • 3月23日 - Portal:国が設立される。
  • 3月25日 - 元老の一人モリッシー・モリッシー氏、置き土産を残してアンサイクロペディアから完全に隠遁。
  • 3月26日 - Portal:スタブが設立される。
  • 3月29日 - 待望の5,000項目達成。
  • 4月3日 - 管理者数がアンサイクロペディア日本語版史上最高となる27名を記録。この日を境に、管理者任命は転機を迎える。
  • 4月8日 - Amatias氏が投票による管理者任命制度を提起。従来の「お札降り型」任命方式からの変革が始まる。
  • 4月11日 - 話切徒氏が独自に投票による管理者任命制度を提案、実施に移される。この制度に基づいて、7月1日までにNisehoka氏と八月十五日氏の2名が管理者となる。投票による管理者任命制度はこれが最初で最後である。
  • 4月27日 - 増殖を続けた管理者・BCの見直しが開始。この日4名がAsakaze氏によって休職となり、以後も休職者が続々発生。任命者は軽く落ち込むことになる。
  • 5月20日 - ひよこ陛下崩御!
  • 5月21日 - ひよこ陛下が復活
  • 5月28日 - ロール神のお導きにより6,000項目達成。
  • 6月3日 - 利用者‐会話:Bcrowにて最古のようこそが行われる。
  • 7月13日 - phoque氏がアンサイクロペディア史上、最初で最後の「臨時管理者」となる。
  • 7月17日 - 管理者見習い制度である「のびた君制度」設立。今日に至るまでの管理者任命制度となる。もう少しセンスのいい名前はなかったのかと、皆首をかしげることになる。同日、春野秋葉氏が初ののびた君となる。7月中にさらに3名が就任。
  • 8月2日 - アンサイクロペディア運営委員会で推敲されていた「アンサイクロペディア (エロゲ)」の記事が投下され、のちに名物記事に成長する。
  • 8月6日 - 魔法使いの魔力により7,000項目達成。
  • 8月17日-8月31日 - 第一回人気投票が開催。Muttley氏が堂々の1位に。キッコーマソ氏は管理者で最下位となり涙目になる。
  • 8月30日 - くぎり氏が高天原から言行録を持ち帰る。が、誰の気にも留めてもらえず。
  • 9月1日-10月8日 - 記念すべき第1回執筆コンテストが開催される。なお、結果発表は避難所で行われた。[1]
  • 9月4日 - 初ののびた君である春野秋葉氏が投稿皆無によりのびた君の役を休職。
  • 9月9日 - 伝説の短い記事兄弟船誕生。これ以降9月9日は兄弟船の日という祭日になる。
  • 10月10日 - ネ申のお導きにより8,000項目達成。
  • 10月13日 - 8月30日に臨時管理者から移行する形でのび太君となっていたphoque氏が、のび太君制度最初の卒業生となる。
  • 10月15日 - 一大勢力を誇った広東糸瓜共和国が滅亡。ノート:広東糸瓜共和国では、間違った方向に向けられた努力の残骸たちを確認できる。
  • 10月26日 - くぎり氏によりアンブックス神社が建てられる。信者はこぞって書物を納品する。
  • 11月6日 - Portal:アニメが設立される。
  • 11月7日 - Portal:漫画が設立される。
  • 11月8日 - 多くのパワーユーザーを黙らせた伝説的なフォーラムが建てられる。
  • 11月9日 - Portal:人が設立される。
  • 11月10日 - Portal:画像Portal:食が設立される。なお、ポータルに利用者がいるのかは果てしなく謎である。
  • 11月13日 - 高天原にある神楽の文化を取り入れないかという提案があったが地上には踊り手がいないためなかったことにされる。
  • 11月15日 - Portal:都市が設立される。
  • 11月20日 - ムツケ氏が最初の自薦(立候補)によるのびた君となる。
  • 11月26日 - Portal:放送が設立される。
  • 12月4日-2008年1月1日 - 拡張王執筆コンテスト(第2回執筆コンテスト)が開催される。Template:Expansionを輸入した利用者自身による製造物責任法遵守の事例として名高い。
  • 12月9日 - 早すぎる大掃除にて発見されたへそくりが原因で9,000項目達成。
  • 12月14日 - 7月18日にのびた君に就任したPeacementhol氏がおもいっっっきり紆余曲折したうえで結局権限放棄。
  • 12月25日 - Muttley氏によりアンチューンズが創設される。11月13日の議論で人が来ないだろうという意見が大勢であったがやはり人は来なかった。
  • 12月28日 - 高天原の使者NXWave氏がアンチューンズ乗っ取りを計画しMuttley氏に襲い掛かるが退治される。またネッツ氏により、Portal:ゲームが設立される。これによりネッツ氏は新規ポータル設立数最高記録を樹立するが、後にPortalの粗製濫造・放置が問題になったとかならなかったとか。
  • 12月31日 - 氏、管理者就任を目前にして突如消息を絶つ。古参の管理者ら保守派による大晦日の暗殺説が濃厚。

2008年[編集]

  • 1月1日 - NXWave氏最後の抵抗、しかし現人神Kasuga氏の宝物草薙剣により完全に封印される。
記憶喪失で、アンサイクロペディア日本語版は1年前(2007年2月)にタイムスリップしてしまう。

2009年[編集]

2010年[編集]

2011年[編集]

2012年[編集]

省エネモードのメインページ。全記事が、派手な装飾が無くなり、簡素なテキスト表示となった。
  • 3月 - アンサイクロペディアの仕様が、今までの重いものから省エネモードで稼働開始。ただし画像が表示出来ない・レイアウトが崩れる等の弊害が長期間生じた。
  • 3月31日 - 新年度を迎えるため、アンサイクロペディアの仕様が従来のものに戻される。再び重くなってしまった。
  • 4月5日 - アンサイクロペディアの版数が100万版を突破。記念すべき100万版目は、ただの会話であった。これがどこかのクソ記事ならば削除されてしまうところであったが、会話ページのためこの利用者が消されない限り半永久的に残り続ける。なお、この偉業を達成した利用者は「何で宝くじで100万円当たった訳じゃないのに命を狙われなければいけないのか」と困惑気味。
  • 4月上旬 - 前年6月下旬に大ヒットした『UnNews:ツイッター日本語版、7月から全面有料化』がツイッターでリバイバルヒット。6日にはアンサイクロペディア記事初となる言及ツイート1万件突破を果たす。同記事の執筆者はこの事態を見て全力で苦笑した模様。
  • 6月11日 - 5回もの投票の末ようやくUncyclopedia:助役CheckUser制度が正式発効する。
  • 7月中旬-8月上旬 - 第20回執筆コンテストが開催される。
  • 8月13日~9月9日 - お盆の時期に第一回帰ってきて欲しい利用者投票‎が開催される。ご先祖様と一緒に一部の先人たちが帰ってきたが、お盆と同じく、すぐに去っていった。
  • 9月6日 - Rotoryu氏と突撃ひとり氏が相次いでのびた君に立候補する。
  • 10月21日 - 逢沢 茅氏が7月21日からののびた君修行を経て2度目の管理者就任。
  • 11月10日 - パイロットを辞めていたシンジ君が、加持さんの説得により再びパイロットを志願する
  • 12月15日 - Rotoryu氏がのびた君を卒業し、管理者に就任する。
  • 12月21日 - 17000項目達成。執筆者達も年始までには記事の納品を済ませておきたかった様子。
  • 12月31日 - アンサイクロペディアも年末の大掃除。修正が必要な記事が90個を超える。これは2008年秋以来の数字である。

2013年[編集]

  • 1月7日 - 新年早々、第21回執筆コンテストが開催される。
  • 1月13日 - 管理者修行中だった突撃ひとり氏が、妖精さんの魔法により置き手紙を残して失踪。同氏と同じように職場からアンサイクロペディアを利用しているあなたにとって他人事とは思えない事件であった。
  • 1月27日 - 昨年末の大掃除の対象記事がまとめて削除議論にかけられ(1日で48個)、削除議論祭りが開かれる。
  • 1月27日 - 2012年流行記事大賞の結果が発表される。柳絮氏が作成したかえるの合唱が金賞、ローマ皇帝一覧が銀賞に輝き、同氏の存在感を示した。
  • 2月1日 - ウィキペディアのデザイン変更に合わせて、アンサイクロペディアのメインページが改訂される。
  • 2月18日 - 第21回執筆コンテストが終わったそばから、第22回執筆コンテスト開催。ウィキペディアに存在しない記事をテーマに、ウィキペディアンの鼻を明かす戦いが始まった。
  • 2月19日 - 2012年11月19日からののびた君を経て、SHINJI氏が2度目の管理者就任。
  • 3月1日 - 第22回執筆コンテスト開催中にもかかわらず、第23回執筆コンテスト開催。訃報の赤リンクがテーマだが、啓蟄の時期だけに死者を呼び起こす懸念も。
  • 4月5日 - コンテスト連続開催にもドクターストップはかからず、第24回執筆コンテスト開催。
  • 7月6日 - でみ庵氏がのびた君を卒業し管理者に就任。
  • 8月1日 - 第3.5回誤報コンテスト開催。誤報の嵐がアンサイクロペディアを飛び交った。
  • 8月18日 - 芸術の秋に向けて、第26回執筆コンテスト開催。
  • 11月1日 - 第1回UnTunesコンテストが開催。質はもちろん、出品記事の数でも苛烈な競争が繰り広げられた。

2014年[編集]

2015年[編集]

2016年[編集]

2017年[編集]

歴史ミステリー[編集]

アンサイクロペディアの歴史において、大きな3つの謎が存在する。これらは常に歴史学会でも争論となっている。今後の研究と発掘調査により、これらの謎が明かされていく事であろう。

1. 2005年12月のメインページ設立より前に、複数利用者の投稿記録があるのは何故か。
編纂委員会が見事に謎を解明した。これらは元々日本語版アンサイクロペディアが英語版の1プロジェクトだった時代に英語版利用者が投稿した記録である。
2. 2006年1~5月、いわゆる「空白の5ヶ月」における記録。
歴史書の編纂が始まったときは空白状態であったが、発掘作業が進んでこの空白は埋められつつある。日本史の「空白の四世紀」に一歩先んじることに成功した。
3. 神話の時代のCarlb神(サーバー管理者)とRyoske氏は、どこでどのように結託して2006年5月の「国産み」を行ったのか。
これも編纂委員会が謎を解明した。Carlb神が勝手にhttp://ja.uncyclopedia.info/wiki/を立ち上げてバベル日本語版ウィキペディアを始め複数箇所で公開し、それを知ったRyoske氏が一番に利用者登録して編集活動を始めたとする説が有力である。

関連項目[編集]

将軍様
流行記事大賞 金賞受賞記事

この記事は2009年流行記事大賞にて金賞を受賞しました。
この記事は偉大なる将軍様のように尊敬されるでしょう。