摂津市

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摂津市 (せっつし) は大阪府北部、北摂の中にあっては最も南の端という中途半端な位置にある大阪府の都市である。人口約8万人。

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概要[編集]

市域は「」の字を逆さまにしたようないびつな形をしており、面積も約15平方キロと小さく、まさににも値しない市である。このような中途半端な市が存在する理由は歴史的・経済的理由がさまざまに交錯するため詳しくは後述する。
市域の西北部から西部をJR東海道本線、及び阪急京都本線が通り、市の北端部にあるJR千里丘駅が本市の玄関口となっているが、駅から北に200m程度で隣接する吹田市に、また北東に400mほどで同じく隣接する茨木市に入るという極端に偏った位置にあり、代表駅にはほど遠い状況にある(家の外側に面しているという点ではまさしく「玄関口」である)。一方、阪急京都本線正雀駅は、改札口こそ摂津市側にあるもののホームの大半は吹田市内に存在する有様で、本市の駅としてはまったくと言っていいほど機能していない。
こうした状況が戦前から60年近く続いたが、1997年8月22日に大阪モノレール線摂津駅南摂津駅が開業し、高額の運賃を搾り取られる代わりに、恒常的な道路渋滞を見下ろしながら市域中央部を南北に抜けるルートが開けた。2010年3月14日には阪急京都本線摂津市駅が新駅として開業したが、市名を冠した駅にもかかわらず各駅停車しか止まらないうえに、大阪方面行きは次駅の正雀で特急・準急2本連続待避を強いられるため5分以上も漫然と停車する惨状となっており、利用者数は低迷している。
長年にわたる交通資源の市域辺縁部への偏在は、本市住民の帰属意識の低下・隣接他市への従属化として顕在化しており、南部においては大阪市東淀川区や淀川対岸の守口市門真市に、東部においては茨木市高槻市にその生活基盤を委ねる傾向にある。また、千里丘地区においてはその商業基盤を吹田市からの通過人口に頼るなど、単体の市としては自立できない状況を露呈している。歪な本市の形状と相まって、東部の鳥飼地区などでは車で市役所に向かうのにも茨木市内を横切るのが常態化しており、本市の求心力の低さは他市には見られない特徴となっている。
このようなことから、本市には中心となる市街地が形成されておらず、市域のほぼ全域で住宅地と工場と田畑が入り乱れた状況となっている。なお、本市の市役所は、裏は一級河川の土手、表は大阪中央環状線近畿自動車道となっているため居住地域とは隔絶されており、徒歩で気軽に足を運べる場所ではない。ちなみにMIT(真中摂津工科大学)はここからアメリカに移転したとされる。かもよ?

歴史[編集]

昭和30年代の昭和の大合併期に茨木市や吹田市から合併を拒絶された不採算地域である味舌町、味生村、鳥飼村が仕方なく合併、三島町となる。その後も隣接する茨木市から不採算地域を2度にわたり移譲されるなどして現在の領域となる。1966年11月1日に市制施行したがすでに静岡県三島市が存在していたため仕方なく摂津市と改称した。

浪速のキューバ[編集]

市制施行後の最初の市長選挙となった1968年10月の市長選挙で、左翼連合候補となった井上一成が当選し市政を私物化、その後実弟である井上信也にその地位を禅譲し計5期20年にわたり市政を混乱・疲弊させたことは「浪速のキューバ」と評され、ただでさえ不採算地域を寄せ集めただけの本市の財政は一段と悪化し、市内の基本的生活インフラは今もって整備されていないのが現状である。とりわけ1978年に地方公共団体の分際で財源無心のために日本国政府を裁判で訴えるという前代未聞の暴挙「地方財政超過負担請求事件(摂津訴訟)」を引き起こしたことは、本市が反政府組織として経済制裁の対象に認定されるなど、本市の財政崩壊への一大契機となった。

分割統治問題[編集]

本市の隣接他市への従属関係は住民生活のみならず市の基本的な公共インフラにまで及んでいる。1990年に摂津警察署が開庁するまでは市の警察権力を吹田警察署に委ねており、一方、親書の取り扱い権限は1984年の摂津郵便局開設までは茨木郵便局の管轄下に置かれるなど、全く主体性のない寄生虫自治体となっていた。また、現在でも基本的通信媒体である固定電話の市外局番が市域東西で06地域(吹田市従属地域)と072地域(茨木市従属地域)にほぼ真っ二つに分かれており、市内同士で市外局番が必要な状況となっている。本来であれば早い段階で主従関係にある茨木市か吹田市に吸収合併してもらうのが本筋だったのだが、両市とも本市を領土編入することはなく植民地統治に留めている。

生き残り戦略[編集]

このように存立基盤がきわめて脆弱な本市であるが、その生き残り戦略は明確である。本市は実質公債依存率全国上位20位圏内に入る慢性的赤字体質と、総額670億円、市民1人あたり80万円にも迫る累積市債残高を武器に周辺各市を牽制している。また、周辺各市もこの卓越した財政状況に恐れをなし敬意を払い、本市に対しては合併の魔手を向けようとはしていない。この破綻財政状況こそ平成の大合併期を経てなお本市が存在している最大のよりどころとなっている。

また2010年より本田圭佑の町として脚光を浴びようと目論んでいるが、彼のファッション以外は地味な私生活により未だ目立った成果は出ていない。

関連項目[編集]