戦国時代
戦国時代(せんごくじだい)とは、後世の人間からは武将の活躍などによって羨ましがられる時代であるが、当世の一般民にしてみれば迷惑以外の何者でもない時代のことである。
各国の戦国時代[編集]
中国[編集]
中国の黄河流域を中心に、諸侯の覇者として一帯を統治していた周王朝が衰退したため、都としていた王都を追われて洛陽へ逃げた。この後、周王朝は周辺の覇者を「名目上」は支配している没落国となり、春秋時代となった。
そしてその後、覇者は「周王朝なんかもはやどうでもいい」と思うようになってしまい、勝手に自分たちが中国の代表国だと主張し始め、7つの国が乱立する時代になった。これが戦国時代である。
この時代は長く続き、おかげで孔子などといった諸子百家が生まれたりして文化思想面における発展を遂げるが、戦のたびに民は借り出されて死ぬ羽目になり、田や畑も荒らされた。
この乱世は斉と秦の二大国時代、そして斉没落に伴う秦優勢と「合従連衡」の時代を経て、最終的に始皇帝の手で天下統一が果たされた。しかし始皇帝は無理やり小国のシステムを大国のシステムに拡大して統治を行おうとしたため、見事15年で王朝もろとも崩壊し、最終的に楚漢戦争で劉邦が項羽に勝利し漢を建国し、呉楚七国の乱を治めるまでの間、中国の一貫統治は達成できなかった。
日本[編集]
日本の戦国時代は、足利王朝の無能将軍であった足利義政が優柔不断のため応仁の乱を巻き起こし、その結果守護大名や、それらを下克上で討ったものが「あんな愚王朝はもう不要だ」とばかり勝手な統治を始め、その利権が対立するようになったために引き起こされた。
北条早雲や毛利元就など辺境でまず有力大名が生まれ、後には甲信越地方で武田信玄や上杉謙信のような面子争いのために5回も対戦をするプライドの高い大名(今ではパフォーマンスとも噂されている)が登場し、更には油売り転じて大名になった人間、引きこもり症候群にかかった大名などといった変態も現れ、まさに混迷の世となった。中国のときと同様、一般民も戦のたびに物資や人材を要求され、時には襲撃されて命を落としたりしたため、生活がどれだけ大変だったか想像に余りある。
最終的に「うつけ」の織田信長が足利王朝を倒して中央に君臨したが、これ以後も長篠や小牧長久手など戦乱の世は続き、それを継承したサルの手で戦国時代は終わりに近づいた。この後、サルの子では仕える気にならないと転がらない狸がクーデターを起こし、徳川王朝を立てると、これで戦国時代は完結した。
関連項目[編集]
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