愛媛大学

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愛媛大学(えひめだいがく)とは、愛媛県に存在する国立大学法人である。

キャンパス[編集]

キャンパス(CAM-PUS Committee of Association and Major-Phantom of United Speciality)は城北キャンパス、重信キャンパス、樽味キャンパスの三つである。

  • 城北キャンパスには工学部法文学部教育学部理学部が統治しており、各学部の長年にわたる抗争を経て現在は共和制をとっている。本学と呼ばれる愛媛大学の中枢である。
  • 重信キャンパスは医学部が単独で統治している。あまりにも辺境であるため、他の学部から忘れられていることが多く、現在愛媛大学全体に対する影響力はほとんど持っていない。理学部との冷戦は長年にわたっており(#統一までの歴史の項参照)、近年徐々に悪化している。
  • 樽味キャンパスは農学部が単独で統治しており、他の学部から忘れられがちという点で重信キャンパスと状況がよく似ているが、重信キャンパスに比べ、明らかに城北キャンパスに近い。また、石手川沿いの公園にも近いため、春になると花見という名の酒盛りに勤しむ者たちが相次ぐ。

統一までの歴史[編集]

第二次世界大戦直後、愛媛大学は国立大学として愛媛県に発足した。当時は城北キャンパスのみが創られ、工学部、法文学部、教育学部の3つの学部が発足した。温厚な性格の愛媛県民が関係者の多くを占めていたため、発足当初は問題もなく、国立大学として国の方針に完全に準拠する教育方針をとっていた。5年後、理学部と農学部が発足するが、このころから他県からの入学者が増え始める。このことにより、悪く言えば事なかれ主義であった校風が徐々に変化する。やがて、一部の理学部の学生が一年次の必須科目である「'みかんを知る'~みかんの構成成分について」の存在意義を疑問視し、カリキュラムを決定した国に抗議。この抗議行動がやがて学生運動に発展し、愛媛大学は独立国家となる。

その後、医学部を設置することが本学の最高委員会(愛媛大学における政策決定機関。法文学部6階に位置する)において決定される。当初、医学部は理学部の隣に用地を確保していたが、研究施設など様々な事情でこれを嫌った理学部の上層部(主に物理学科のひねくれものの教授たちである。上記の「みかんを知る~みかんの構成成分について」を大変重要視しており、現在でも推薦入学の試験において毎年必ず出題し、赤本の製作者を困惑させている)により、医学部本館建設着工3ヶ月前になってこの土地が医学部に無断で松山赤十字病院に譲り渡される。このことにより医学部の生徒ならびに教職員らは一時的に城北キャンパス内の共通教育講義棟に避難することとなり、城北キャンパスの生徒及び教職員らに迷惑がられることとなる。このことから医学部の孤立は決定的なものとなり、医学部と理学部の溝は深まっていった。

医学部は広大な敷地を持つ理学部の物理学科棟と理学部及び松山赤十字病院の敷地を一部解体し、そこにキャンパスを構える計画を立てる。この時、秘密裏に工学部との交渉がなされていたことが後で判明。物理学科が使用している研究用の機材の一部を工学部に移動させる見返りに、最高委員会において最も生徒・教員数が多い工学部がこの計画を承認することとなった。が、理学部は松山赤十字病院と結託し、この計画を中止させる。その結果、血気盛んな医学部の学生が松山赤十字病院を占拠する事件(日赤事件)が起こり、追い出された病院関係者及び患者が隣の理学部になだれ込む騒ぎとなった。医学部の教員たちはこの計画の存在を知っていたことが後で判明。小森教授がこのことについて『知ってはいたけどね』と爽やかスマイルで返答した事件は記憶に新しい。このことが理学部と医学部を冷戦状態に陥らせる決定打となった。

この後、理学部と医学部が双方に宣戦布告する。具体的に何をしようとしていたのかは不明。感情の赴くままに宣戦布告したものの、何で戦うのかは決めていなかったのではないかと思われる。この時、医学部と秘密裏に交渉していた工学部は医学部側についた。この時陸本名誉教授が言った『毒を食らわば皿までも』という言葉は有名である。法文学部は『公平』をモットーに中立を表明。理学部に「医学部には工学部がついているんだから大丈夫」という意味不明の説得を受けた教育学部は理学部側についた。農学部は一切の意見を表明しなかった。これが一番賢かったと思われる。二大勢力に分かれたはいいものの、どうやって争えばいいかわからなかったため、結果的に理学部と医学部の陰湿な嫌がらせの応酬のみが行われるという尻すぼみで最悪な結末をたどった。現在でも医学部学生と理学部教授が互いに陰湿な嫌がらせをするという体質が残っている。

理学部対医学部の諍い(本人たちは『抗争』であると主張し続けている)が陰湿な方向に激化したため、中立であった法文学部がついにしびれを切らした。 法文学部議長は最高委員会にて緊急集会を開き、「どうでもいいけど医学部のキャンパスどうすんのよ! いつまでも共通教育講義棟占拠させるわけにいかないでしょでしょ!?」という名言をかまし、我に返った各学部から派遣されている委員達により全会一致の決議がなされた。キャンパスを造る場所について、巻き込まれてほとほと嫌気が差していたのであろう教育学部から「とにかく理学部から離すべきだ」という意見が出され、最高委員会がこれを承諾。このことで医学部の松山市追放が決定し、建設されたのが現在の重信キャンパスである。

重信キャンパス建設後、「もう二度とこのようなバカげた悲劇が起こらないように」と教育学部が提唱したのが愛媛大学完全共和主義化である。事実上何も変わらないのではないかという意見も続出したが、最高委員会はこれを無視し、共和主義化を宣言。とりあえず平穏な共和主義が続いていた。

だが、その平和もある事件がもとで一変。かねてより、松山市内で大きな公共事業をしまくって巨万の利益を得ていた中ぴーぴーは、新たなキックバックの手配先として、定期的に起こる松山の渇水を名目に、西条から導水管を引こうと考えていた。だがそこに立ちはだかる正義の影が!! われらが愛媛大学学長である。学長は導水管なぞ不要だという正論を盾に、導水管利権を目指そうとする中村相手に県知事選へ立候補。だがあえなく敗れる。愛媛における保守とは、単なる「利権の保守」に過ぎないのである。利権づくめでしかものを考えられない連中(愛媛新聞とかマスコミも含む)しか松山にいなかったがため、敗北は必至であったのだ。

そして事件はこれだけに収まらない。

後日、その導水管知事が愛大に要らんことを言ってくる。新しい学部を作れと。で、できたのが、社会ナントカ学部という、何をするんだか分からん学部である。それも当然。何せ、知事が愛大の学生の質をわざとより落とすために作らせたのであるから。 そしてその目論見通り、よくわからない学生がそのよくわからない学部に入り始めている。このままでは内部抗争どころか、愛大自体自然消滅してしまうであろう。我々は小松先生の仇をとるため、中村を何らかの形で亡き者にせねばなりません。

主な研究・組織[編集]

みかん成分研究室
言うまでもなく、理学部に存在するみかんを中心とする柑橘系植物を精密に調査する研究室である。オレンジカラタチの中間的植物であるオレタチを大量に栽培しているのではないかと囁かれているが、真偽及び目的は不明。研究室の付近からは大量の「俺たち」と書かれた札が見つかっている。
電子機械研究室
工学部に設置されている研究室である。どう考えても他の学部の研究室に比べ、建物が立派すぎることから汚職があるのではないかと囁かれるほどである。根拠はない。
医学開発研究室
医学部に設置されている研究室である。研究結果などが比較的オープンになっている研究室である。しかし、時折「ウサギ一匹」とか「ハムスター二匹」といった不思議な実験動物の購入が行われ、しかも実験後に埋葬している気配がないことから不気味がられている。「ハムスターのおもちゃ」「ハムスターの餌」といったものが研究費を使って購入されており、この研究室にいる生徒はペットを買っている者が多いという報告がある。