徳川家定

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「くっさい!くっさいわ!!こんな下品な奴が将軍とは信じられん!!」
徳川家定 について、足利義昭
「…そうか!!江戸の火事の原因はこやつか!!屁をこく前に腹を切らなければならないようだな!!…その前に臭すぎる。」
徳川家定 について、織田信長

徳川 家定(とくがわ いえさだ)は、徳川王朝の第13代将軍。通称放屁将軍である。

概要[編集]

しょっちゅう屁をこいていた上自分の屁を他人に嗅がせる事をこの上ない喜びと感じていた真性の変態。薩摩芋が大好物である。ちなみに薩摩芋はその名の通り当時倒幕にやや傾きつつあった薩摩藩の薩摩隼人達が作った食物兼科学兵器であり、家定は大量に薩摩芋を薩摩藩から購入して薩摩藩のふところを肥やしていた。敵の財布に金を注ぐ辺り相当おめでたい将軍である。ちなみに正室は薩摩から来た天璋院篤姫である。家定は彼女を本場鹿児島から現地直送された「放屁する女」と思ってはしゃいでいたようだが、そういったプレイに篤姫があまり興味を示さないので、かなり意気消沈し、短い結婚生活の後、肛門が閉まる病を得て、まもなく逝去した。

人物・逸話[編集]

  • 家定は他の幕僚達にも「良質なオナラを出すために薩摩芋を食え」と薩摩芋を食うように強要した。そのために松平春嶽からはイモ公方と呼ばれた。
  • 家定の屁の臭さはスカンクの屁の比ではなくもはや有害物質そのものであった。2000人以上の旗本が家定の屁を嗅がされた瞬間に即死したと言う。
  • 家定は屁のジェット噴射を利用してで火星まで旅行に言った事もあり、そこで火星人に拉致されてしまい幕府の幕僚達が大慌てした事件がある。
  • オナラフェチである家定は大量のスカンクをペットとして飼育していた。家定の時代の江戸城は異常な悪臭に包まれていたと言う。
  • あまりにオナラを出しまくるものだからガス欠に陥ってしまう事もある。
  • 家定を音読みするとかてい=家庭となる事からも分かる通り私生活面においては妻に優しい家庭人であり、彼の妻篤姫は家定の臭いオナラにもガスマスク無しで平気で耐えたと言うから大したものである。なお家定は篤姫にも好んでオナラを嗅がせまくっていた。これは一種の求愛行動ととれる。


先代
徳川家慶
1837年-1853年
徳川幕府将軍
徳川家定
1853年-1858年
次代
徳川家茂
1858年-1866年