徳島ヴォルティス
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
徳島ヴォルティス(とくしまヴォルティス、Tokushima Vortis)は、日本の徳島県徳島市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブであり、2008年、ぶっちぎりでJ2のトップを突っ走っている。主に、下方向に。
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[編集] クラブの概要
[編集] ホームタウン
[編集] ホームスタジアム
ポカリスエットスタジアム。これは、大塚製薬がスポンサーであることから名づけられたものである。旧名は徳島県鳴門総合運動公園陸上競技場。前者のほうが覚えやすいことは確かである。なお、オリンピックの日本選手団公式スポーツ飲料はアクエリアスであるため、どこからか冷たい視線を感じることも多い。
[編集] 他県との交流
四国全体を代表するチーム作りを行うという考えのもと、J2参戦後はJリーグチームのない高知県・香川県でもホームゲームを行っており、2005・2006年は高知県で、2007年は香川県で各1試合ずつホームゲームを行っている。なお、そんな考えをよそに、各県ごとに独自のチーム編成に動いており、香川県は2006年にカマタマーレ讃岐を結成し、高知県でも南国高知FCがJリーグ加入を着々と狙っている。
もちろん、愛媛県では独自に結成した愛媛FCがヴォルティスと同じくJ2で活躍している。
そのため、後はいつ大風呂敷を片付けるかが問題となっているが、後述するように、四国を代表するチームになるという理想は名前にも深く刻み込まれているため、香川と高知がJリーグ入りをしないことをひそかに祈っているのが現状である。
[編集] 応援スタイル
徳島ヴォルティスのサポーターは得点を取るとアホになる事で有名である。スタジアムを埋め尽くす観衆がいっせいに踊るアホになる様は徳島の新名所に登録されている。なお、相手サポーターは見るアホになるため、すなわち、ヴォルティスの得点=観衆全員アホという公式が成り立つ。これは阿波を統治した蜂須賀家からの伝統であり、決して、3の倍数などという歴史の浅いものではない。また、チームのJリーグ加盟が決まったときもクラブ事務所でアホになったほどなので、ある意味サポーターの遺伝子にまで組み込まれている可能性が高い。
応援に用いる鳴り物としては太鼓が一般的であるが、徳島ではアホ化するために用いるチャンカチャンカチャンカチャンカ鳴らすアレも併用される。そのため、ザスパ草津との試合ではスタジアムの中で片方は湯揉み、片方がチャンカチャンカチャンカチャンカ鳴らしながら阿波踊りと、いったいどこの国の何の儀式か分からなくなる光景が繰り広げられる。
今後、この2チームが天皇杯決勝に進出し、国立競技場がこの2チームのファンで埋まり、なおかつ試合も3対3ぐらいの点の取り合いになったとしたら、世界中のサッカーファンが爆笑する異様な光景が繰り広げられること間違いなし。ぜひ、がんばってもらいたい。
なお、チャンカチャンカチャンカチャンカの応援スタイルはプロ野球四国・九州アイランドリーグの徳島インディゴソックスでも取り入れられている。
[編集] マスコットキャラクター
地名+ニックネームで表記されているJ1・J2の29チームの中で唯一マスコットが存在しない。これは、後述するボール君があまりにも素晴らしすぎるためである。
[編集] 非公式マスコットキャラクター
ポカリスウェットスタジアムで行われるホームゲームや徳島県内で開催されるイベントでは非公式マスコットの「ボール君」がクラブを代表して参加する。では、ボール君の雄姿をご覧ください。なお、最後の写真で、自分の仲間を足蹴にするボール君が見受けられるが、目の錯覚である。
せっかくなので、もう一枚。
がんばれ!ボール君!いろんな意味で!
[編集] クラブの歴史
[編集] 旧JFL・大塚FCヴォルティス徳島時代
徳島ヴォルティスの母体は1955年に結成された大塚製薬サッカー部である。戦後の混乱期、新薬の被験者たちが、明日をも知れぬわが身の恐怖から少しでも逃れるためににスポーツに走ったのであり、決してドーピング目的ではない。彼らの存在無くして、オロナインH軟膏の存在は語れない。その後、無事に新薬から生き延びた彼らは1978年開始の四国社会人リーグで第1回から3年連続優勝する。ちょうどポカリスエットが発売された時期であるため、もちろん、新しいスポーツ飲料の被験者として、明日をも知れぬわが身を嘆いての連覇である(残念なことに、甘くておいしいオロナミンCの実験は読売ジャイアンツに持っていかれてしまった)。その後、いろいろあって大塚薬品サッカー部として1992年に新発足したジャパンフットボールリーグ(旧JFL)1部へ参加した。大塚製薬は四国最強の社会人サッカーチームとなったが、1993年にリーグ戦を開始するため全国から参加チームを募っていたJリーグには参加しなかった。ここで、鳥なき島のコウモリという信長の言葉を思い出したヤツ、後で職員室まで来い。
Jリーグが開幕すると一気に方向転換し、徳島県に四国から初めてのJリーグチームを誘致しようという動きが本格化する。徳島県を中心に約24万人の署名が集まり、その結果、1994年から本格的にJリーグ参加へ向けて動き出すことが決まる。本拠地は徳島県営の「徳島県球技場」を新規に建設し、大塚製薬を責任企業とした新会社がクラブの運営に当たるという計画がまとまった。
そして、見事にポシャったわけさ。
なぜなら、当時のJリーグは1リーグ制で、収入に見合わない額まで運営費が高騰するという、どこぞのパシフィック・リーグなみの赤字垂れ流し体質が問題化しており、徳島の新チーム計画でも年間運営費20億円以上、補填が必要な赤字額は年6-7億円と見込まれていた。なお、その原因は緑色のチームとそのオーナーにある。この多額の出費に対する疑問が生まれ始め、大塚製薬を一代で大企業に育て上げた大塚正士元会長の強硬な反対が決め手となって、見事「四国初のJリーグ参加クラブ」という妄想を封じ込めることに成功した。拒絶理由の一つに、高額なプロ契約選手は大塚製薬の社長よりも給料が高くなるのを嫌ったという説がある。そう、前園さんの言うとおりなのだ。
しかし、なんとしてでもJリーグに参加したい人たちは、1995年、大塚製薬サッカー部は従来の体制のまま、「大塚FCヴォルティス徳島」という、名詞を四つも並べた一種異様な愛称で活動し続ける事を選択した。ヴォルティスとは古くから有名な鳴門の渦潮からヒントを得たもので、イタリア語で「渦」のヴォルティチェ(VORTICE)に、T-土佐(高知県)、I-伊予(愛媛県)、S-讃岐(香川県)と四国各地の旧国名を絡ませ、四国全域からの応援を受けようという姿勢を表現したものと説明された。ただし、徳島県だけ旧国名表記にしていないことについての説明はなかった。なお、ヴォルティスに阿波のAを入れると、アヴォ・・・いや、なんでもない。
しかし、他のJFLクラブの多くがプロ化してJリーグを目指してクラブチームを林立させていく中、大塚FCヴォルティス徳島はアマチュアを堅持する。そのため、1999年に創設されたJ2への参加も見送ることになる。これは、当時のJリーグが一時期のブームを過ぎて低迷していたことも大きいが、それ以上に1998年に社長が贈賄で逮捕されたことが大きい。つまり、目立つことをしてはいけなかった。
[編集] 新JFL・大塚製薬サッカー部時代
1999年、大塚FCヴォルティス徳島は大塚製薬サッカー部に登録チーム名を戻すという英断を下す。そして、アマチュアチームを中心に結成された日本フットボールリーグ(新JFL)に参戦し、2002年の第4回JFLでは17試合10勝7分というリーグ無敗記録を作る。なお、残念なことに大塚正士総帥が2000年に永眠された。徳島県民の悲願だったJ参加チームを見ないで旅立った総帥に、多くの関係者は涙した。ただし、それが悲嘆の涙ではなかった関係者も・・・。
2003年、大塚製薬サッカー部はJFL初制覇に挑み、勝ち点差5の首位で迎えた後期第14節は2位のHonda FCとアウェーの本田都田サッカー場で対戦となり、3-3で引き分け、残り1試合を残してJFL初優勝を達成し、ついに念願のJリーグ参入を発表。2005年度からのJ2参入に県民は狂喜した。
[編集] 現在まで
2004年、アマチュアチームとして最後の年も独走でJFLを制覇し、翌年度のJ2への参加に弾みをつける。そして、12月6日、ついに徳島ヴォルティスのJ2入りが認可され、関係者はアホとなって踊り狂った。しかし、残念ながら、当然のことながら、Jの壁は思ったよりも厚く、J2入りした初年度は9位、2006年、2007年度もぶっちぎりの最下位に沈んでしまっている。これは、一重に得点力不足という一点につきる。
貴様ら!そんなにサポーターがチャンカチャンカチャンカチャンカ踊るのが見たくないのか!!
・・・もしかしたら、見たくないのかもしれない。
なお、このチームにコートジボワール代表の10番が所属していた事は秘密だよ。
[編集] 外部リンク
- 徳島ヴォルティスオフィシャルサイト・・・君もボール君の雄姿をチェック!


