庵原之政

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庵原之政
武者震い侍.jpg
時代 戦国時代
生誕 未詳
死没 永禄3年(1560年)?
別名 元政、武者震い侍
戒名 駿河武者震動大居士
官位 美作守
氏族 武者震い流庵原氏藤原氏
父母 父:庵原忠胤、母:武者震い子
正室:本仮屋ユイカ

庵原 之政(いはら ゆきまさ)は戦国時代に実在した武将。駿河今川氏の重臣庵原氏の当主。

どんな危機的状況に陥っても空気の読めない発言を繰り返し、挙句の果てには武田軍が来たらやばいかもしれないというのに「武田の騎馬武者か……ますます身震いがするのぉ!!」と発言し、家臣を大いにあきれさせた。上記の理由故に武者震い侍と呼ばれる。

大体「城攻めが初めて」だとか「だから武者震いがする」だとか誰も聞いてないから!!

概要[編集]

一連の空気の読めない発言は若気の至りだとか、若さゆえの過ちだとか言われているが、庵原が年を重ねてもこれらの言動はまったく改善されず、結局桶狭間の戦い直前までこういった無神経な発言を連発していたと思われる。

しかし、主君・今川義元は無視するどころか「武者震いが致しまする!」との発言に対し「(武者震いがするのは)我もじゃ」と丁寧に返してあげるなど重臣としての配慮がなされていたようである。また、義元は庵原のKYな発言を優しく受け止めた唯一の人物でもある(これまで庵原の言動はほとんどの人に無視されていた)。

周辺地域への影響[編集]

今川家で戦が始まる度に駿河・甲斐地方では震度4以上の地震が観測されている。これは庵原の武者震いによる地震であるという説が有力である。これにより周辺国は今川家の軍事行動を先読みすることが出来たため、義元は度々重要な戦は庵原には事前に知らせないようにしている(ただし必ずどこかから漏れてしまうため効果はなかった)。武田信玄をして「庵原之政は名将だが今川家にいるからこそ役に立つのじゃ」と言わしめたほどである。また、震度によって大きな戦かどうかを判別できた。桶狭間の戦い直前はさすがに大地震が起こっては戦どころではなくなるため、直前の直前まで庵原本人には伏せていた。それでも結局彼に通知していたのは庵原が武勇に長けている名将で、戦略的に必要な人材であったからということになる。