常磐線

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曖昧さ回避 このページでは日本国有鉄道が建設した常磐線について説明しています。旧チバラギ共和国が建設した路線についてはJR千代田線を参照するばい!
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常磐線(じょうばんせん)とは、北は宮城県仙台市仙台駅、南は東京都上野駅、そして真ん中の水戸駅を結ぶJR東日本の主要路線の一つである。

駅ナンバリングは某女性雑誌である。

概要[編集]

JR常磐線は、上野と仙台を結ぶ路線とされているが実際はこの両方の駅は東北本線のであり、正式な常磐線の区間は日暮里から岩沼までの間なのである、て言うか路線自体が東北本線のおまけに過ぎないので常磐本線と名乗れない。これは信越本線上越線の関係に似ている。もっとも、上越線は東北線の部に入るのであるが。

東京及び仙台近辺ではエクストリームスポーツの会場となっている(水戸付近はそこそこ安全)。間違えて朝の7時過ぎなんかに乗り込むとさあ大変! あり得ないほどの圧迫感に乗ることもままならなくなってしまう。仮に乗れたとしても、後から来る奴らにプレスされ、降りることが出来なくなってしまう。

東北本線より海側を走るので、車窓からの眺めは良い…はず?

歴史[編集]

東京から水戸への経路は、最初は小山東北本線から分かれる現在の水戸線ルートで建設された。チバラキ県(旧新治県)を避けて建設されたと言われるが、実際は東京から見た水戸の方角が鬼門である為に捻じ曲げて造られた。

そのような陰陽道の精神に則って敷設されたにも拘らず、水戸から平 (岩城)中村 (相馬)に延伸する際、水戸の西側でも時間短縮を口実に、東北本線の田端(後に日暮里駅)から水戸の20km西にある友部まで、チバラキ県を突っ切るばかりか、東京都心から見て鬼門の方角へ線路を無理やり引っ張って完成させた。

そして、路線や分岐点や機関庫などが建設される過程では、「大名城下町vs鉄道城下町」「大名城下町に強請る鉄道城下町」という地域構図まで惹き起こしてしまった。この有名な例が、旧佐竹家領の「水戸vs友部」、旧相馬家領の「中村vs原町」という構図である。

かくして常磐線は神のご加護から見放され、ありとあらゆる黒歴史を積み重ねた結果、国鉄を崩壊させる根源となったのである。

又、この常磐線は、東京にエネルギーを送る為に建設された色が濃い。というのは、明治政府による殖産興業政策で、助川富岡の間には常磐炭田や助川銅山が立地したが、この常磐炭田から出た石炭が、東京に送られたからである。

そして、広島と長崎の二発によって明治政府が崩壊すると、明治政府の末裔鉄腕アトムに心酔して、常磐線沿線に鉄腕アトムを祭る神殿を林立させた。1963年設立の東海村、1971年設立のフクシマがある大熊、1978年設立の楢葉が、この神殿の所在地である。勿論、この鉄腕アトムを祭る神殿も、東京のエネルギー源になったことは言うまでもない(後で詳述)。

主な黒歴史
  • 1943年、土浦駅で操車係と信号係の誘導ミスにより列車を衝突させ100人以上を殺害。
  • 1949年、上述の事故を起こしながら運用復帰したD51651機が綾瀬駅付近で下山事件を起こす。これ以後常磐線がグモッチュイーーンのメッカと囁かれるようになる。
  • 1960年、気動車に置き換えたはつかりが相次いで故障する。
  • 1962年、三河島で史上最大規模のグモッチュイーーンが開催される。
  • 1971年、北千住~我孫子間の線路に平行してチバラギ共和国鉄道中央本線が勝手に建設される。(後に取手まで延伸)
  • 1973年、首都圏国電暴動で完全に破壊される。
  • 2011年3月11日には東北地方太平洋沖地震が発生、そのせいで土浦より先の区間はギッタギタのメッタメタになってしまった。更にこの路線はフクシマの近くを通るため、フクシマから漏れ出る放射能の影響で、竜田~小高は永久封鎖される可能性が高いと予想されていたが、総理の一声によって、復活することが決定した。又、相馬~浜吉田は津波によって壊滅してしまったが、新しい線路を山側に敷いて復活する予定である。よって、竜田~小高と相馬~浜吉田は 運休中である。現在はは代行バスで対処している。上野駅の駅長は「えらいこっちゃ」と叫び「東北地方の人達に元気を分けてくれ」と世界中の人達に言った。

主な列車[編集]

ひたち(旧「スーパーひたち」)
運転区間:上野・品川~いわき
上野から水戸まではほとんどの便は止まらない
使用車両はE657系
ときわ(旧「フレッシュひたち」)
運転区間:上野・品川~土浦・勝田・高萩・いわき
上野から水戸までは柏・土浦・石岡などに停まる
使用車両はE657系
特別快速
運転区間:品川~土浦
上野~取手までは日暮里・北千住・松戸・柏に停車する、取手~土浦は各駅に停まる。E531系で運転(開始当初から)、グリーン車付き。
現在は土浦止まりだが、つくばエクスプレスの水戸延伸計画を見据えてか水戸駅まで延ばす計画がある。しかし今はじめてしまうと特急が駆逐される恐れがあるので当面は延伸しない予定。
かつてあった通勤快速とほぼ入れ換えで登場。こちらは朝上り(特快登場しても1年だけ2本残った)、夜下りの運転で取手~土浦でも通過運転をしていた(牛久のみ停車)。
快速
運転区間:上野・品川~土浦・勝田・高萩
上野~取手までは快速運転、取手から先は各駅に停まるE531系で運転、グリーン車付。
快速
運転区間:上野・品川~取手成田
停車駅:品川・新橋・東京・上野・日暮里・三河島・南千住・北千住・松戸・柏・我孫子・天王台・取手(成田線直通は我孫子~成田まで各駅に停まる)。
普通
運転区間:土浦~いわき、いわき~富岡、相馬~原ノ町、浜吉田~仙台(震災、原発事故のため一部区間寸断中)
使用車両:E531系(基本付属、土浦~高萩(大津港)の一部列車にグリーン車付)・E501系・701系・E721系・651系0番台付属編成(いわき~富岡)
各停
上野、東京へは逝かない
詳しくはJR千代田線を参照。

主要駅[編集]

品川駅

常磐線列車の南側の終着駅。特急は9番、快速は10・11番に止まる。但し臨時列車は東海道線に入るため東海道線ホームにつく。唯一大きく「上野東京ライン」用のホームがある。

新橋駅

直通運転で忙しくなった駅。ホーム改装中

東京駅

品川行を見た瞬間に怒られてしまう駅。

上野駅
東京都台東区に位置する、結構でかい駅。
東北新幹線山形新幹線秋田新幹線上越新幹線長野新幹線山手線京浜東北線高崎線宇都宮線(東北線)・京成本線東京メトロ銀座線日比谷線と接続。
常磐線は6番ホーム(品川発)、9番ホーム(品川行き)、10番ホーム(快速)11・12番ホーム(快速)ひたち・ときわは8・9番ホーム(品川発着)、16・17番ホーム(上野発着)から発車。高崎線の特急も同じホームから発車する。
日暮里駅
東京都荒川区に位置する駅。山手線京浜東北線京成本線日暮里・舎人ライナーと接続。ここから本来の常磐線が始まる。朝には何と特急が停まる。ただそれは上りだけ(しかも上野行)で、平日2本、土休日1本なので、誰も気にしない
三河島駅
誰もが忘れる駅。忘れてはならない大事故が発生した駅でもある。
南千住駅
千住という駅は日本には存在しない。東京都荒川区に位置する。
すぐ側に隣接する、隅田川貨物駅と明治通りが邪魔をして居て、常磐線の南側に移動しやすい。
南側は、言わずと知れた山谷であり、無理して行くな。
北千住駅
千住という駅は日本には存在しない。東京都足立区に位置する。東武伊勢崎線アキバエクスプレス東京メトロ日比谷線千代田線と接続。日比谷線とは上野~北千住でバトルだが、のんびり各停しか走らない日比谷線には圧勝。
東武伊勢崎線の特急や千代田線のロマンスカーが止まってるのに、特別快速に無視されていたが、最近ようやく止まるようになった。
綾瀬駅
千代田線の駅なので略。この路線から奪ったなんて知ってる人は誰もいなくなった
亀有駅

こち亀ファンの聖地。客多いけど、各駅停車と準急と多摩急行以外にはシカトされる。

金町駅

脱酸素剤発祥の地。

松戸駅
東京から矢切の渡しを越えた所にある駅新京成線と接続。:「曲調があまりにも暗い」との理由で、2004年8月25日をもって発車メロディが変更された。朝のみスーパーひたちが停まるがフレッシュにはスルーされる。2015年3月のダイヤ改正で特急の停車取りやめ。
柏駅
東武野田線と接続。開業したのは1896年の12月25日で、思いがけないクリスマスプレゼントに、千葉県民はさぞかし驚いただろう。茨城県の青年にとっては渋谷のような存在である。
我孫子駅
駅業務をあくまで副業にするそば屋である。成田線と接続。そば屋の南北はセブン&アイ・ホールディングスの領土となっている。
取手駅
常磐線内では茨城県内最南端の駅である。常総線と接続。この駅からは私立江戸川学園取手中学校高等学校への直通バスが通っており、毎日多くの学生が利用している。
牛久駅
牛の輸送や大仏の輸送に使用。
土浦駅
イトーヨーカドーと直結しているが、閉店してしまい、市役所がそこに移転した。昔は丸井とか西友とかあったのによ!筑波鉄道筑波線というローカル線地方鉄道があった。
この駅は東口と西口で大きく外見が異なることでも有名である。
石岡駅
少しさびれたノスタルジックな駅。
鹿島鉄道線というローカル線地方鉄道があった。昔は常陸国国府のあった町の駅だが、駅構内でどんどん店が潰れていった。現在は橋上駅舎になっている。
友部駅
茨城県笠間市に位置する駅。笠間といえば旧市街の陶磁器が有名だが、友部は水戸線と常磐線の分岐点として栄えた「鉄道城下町」である水戸線と接続。一日の平均利用者人数は、4000人足らずと、常磐線内では最低ランク普通ランクである。
偕楽園駅
臨時駅。春しか使われない。……だけならまだ理解できるが、下りしかホームがないため、使用期間でも上りにスルーされる。故に運賃計算がめんどくさい。
水戸駅
県庁所在地ということもあって、茨城県の中ではかなり発展している駅である。水郡線大洗鹿島線と接続。
水戸駅の改札付近にはヤンキーがほぼ毎日たむろっており、「茨城なまりなのにヤンキー口調」という、面白い光景を見ることも出来る。また、当駅の南口にはビックカメラや、ヤマダ電機を完備している。
勝田駅
茨城県ひたちなか市に位置する駅。クリスマスになると、イルミネーションがきれい。ここでひたちなか海浜鉄道湊線と接続。
駅構内にある音声案内板は、施設の書かれたボタンを押すと音で案内してくれるのだが、一回押すとかなりのボリュームの音が鳴り響く。
常磐線を走る大多数の車両のねぐらである勝田車両センターがある。普通電車で、この駅を境に短くなったり長くなったりする列車が結構ある。
大甕駅
茨城県日立市に位置する駅。
日立電鉄線という地方ローカル線地方鉄道がここから分岐していた(現在はBRT化してる)。駅名が読めない君、大丈夫。この駅周辺に住んでいる人らでさえ読めないから。地名を「大みか町」にしちゃったんだ。「大甕」って、「大きい器」を意味するんだけどな。
日立駅
旧名は「助川駅」(SUKEGAWA)。助川駅だった頃には鉱山鉄道という地味な鉄道があった。常磐線の上り列車と下り列車はそれぞれ2つのホームに跨がっており、使いにくい「面白い」という意見が出ている。
小木津駅
日立という大都市(?)に在りながら指定席券売機はおろか、自動改札すら無い哀れな駅。
高萩駅
ここで多くの電車が水戸方面に折り返し運転をする。駅舎は、1926年に改築されたものがそのまま残っており、とても古くさい情緒がある。快速のグリーフ車はここまで。
泉駅 
福島県いわき市に位置する駅。
小名浜臨海鉄道:本線(貨物線) と接続。
湯本駅
トロピカルムード満点であり、駅にある足湯は多くの水虫持ちの救世主。
いわき駅
旧名は「平駅」で、「平行」のサボから「平駅行き」と「交わらない状態」を混同する者が多数いた。「いわき」は姓名で、ここを本拠地にした大名・岩城(いわき)家が由来。「平」は本拠地名で、岩城家の姻族の出身地である平泉に由来する地名。東北新幹線が開業する前には、平泉駅に行く特急も在ったとか。
磐越東線と接続。浜通り(旧磐前県)の中では最も発展している駅である。suicaが使えるのはここまで。
四ツ倉駅
福島県いわき市に位置する駅。ここから南が複線区間。ここから北が単線区間。
広野駅
お化け煙突二本の巨塔で有名な火力発電所は、ここから海側。J村にはここからタクシーで行く。
富岡駅
原発事故後はここが南側関門。祝、竜田〜富岡間復旧!
夜ノ森駅
浜通りのど真ん中にある駅である。常磐線では最大の花見スポットで、駅ホーム内のツツジと、駅から海側の桜並木が有名………だが、原発事故によって花見は夢と散った。
ここが水戸支配圏と仙台支配圏の境界。
大野駅
「ニュークリアマネー」で豪華になった駅の一つ。爆発した福島第一原子力発電所の所在地の駅。
浪江駅
20世紀前半には、森林鉄道という貨物列車が発着していた。原発事故当時の駅舎は、日立駅と同様の白い平屋建てであった。
原ノ町駅
原発事故後はここが北側関門。20世紀前半には、森林鉄道という貨物列車が発着していた。東京タワー(333m)が建てられる前には、当駅から海側に、アジア最大の電波塔である原町ラジオタワー(200m)が建っていた。ここから北のsuicaは仙台都市圏内。
相馬駅
旧名は「中村駅」で、全国の中村さんと馬ファンには有名。鉄道の「四大中村駅」は、この相馬駅(元祖中村駅)、高知県の中村駅大分県の豊後中村駅、富山県の越中中村駅。
亘理駅
伊達家が入る前には亘理家の本拠地だった所。この経緯から、城郭風の駅舎が名物になっている。
キャッチフレーズは、「阿武隈を 渡る手前の わたり駅」。
岩沼駅
東北本線と接続。日暮里で別れた東北本線とここで再会。本来の常磐線はここまで。小野篁ゆかりのお稲荷様として有名な竹駒神社はこの近く。
名取駅
仙台空港アクセス鉄道と接続。旧名は「増田駅」で、1950年代後半に増田市が名取市に改名した。
仙台駅
東北地方で最も発展している都市である仙台市に位置する駅。
上野で別れた東北新幹線秋田新幹線と再開。上越新幹線·北陸新幹線が行方不明になるという事件が多発しているが、誰も気にしない東北本線仙山線仙石西線仙台市地下鉄南北線とも接続。
鹿児島県民には川内駅と誤認される。

沿線の特徴[編集]

核銀座[編集]

草津から岩沼まで、もっと拡張して京都から仙台までの沿岸に見られる地域的特徴として、「東京以西(東海道線沿線)は太平洋ベルトの素通り地域、東京以北(常磐線沿線)はニュークリアベルトで核銀座」となっている点が挙げられる。

東海道線沿線は、開通は早いが通過されるだけで、観光宣伝力がが今一つ弱い地域が大半である(例外:伊豆半島)。一方、この常磐線沿線は、「核銀座」と呼ばれるように核施設が密集していることである。常磐線沿線は、戦国大名で言えば小田原北条家領、小田家領佐竹家領岩城家領相馬家領伊達家領、の計6地域に分けられるが、「ニュークリアベルト」と呼ばれている地域は、佐竹家領から相馬家領までの地域で、城下町である水戸から中村まで190kmに亘る地域である。佐竹家領に「日本のニョンビョン東海村、岩城家領に富岡核電所、相馬家領に「日本のチェルノブイリフクシマが立地している。ただし、核銀座の形成は関ヶ原よりも戊辰戦争の影響の方が大きく、徳川時代に佐竹家領は水戸徳川家(水戸藩)領に、岩城家領は徳川譜代の安藤家(磐城平藩)領になっていた。

電波過疎地域[編集]

常磐線沿線は、「核銀座」となっている反面、「電波過疎地域」になっている。というのは、原町ラジオタワーに象徴されるようにラジオ局は存在するが、茨城県浜通りにはテレビ局が無い。この為、茨城県民は東京のテレビ局、浜通り住民は中通り郡山福島市に立地)のテレビ局に頼らざるを得ないというのが実情である。

従って、利根川以南と新地以北を除いて、常磐線沿線の大半は映像発信力に乏しい地域になっている。実際に、2011年の東日本大震災では、茨城県の状況がろくに報道されなかったが、東京のテレビ局にとって、茨城県は「おまけ」扱いだもの。

関連項目[編集]