巨大組織

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襟糸貫遼(えりいと かんりょう、1944年-)は巨大組織省を中心に活躍した日本の官僚。巨大組織省事務次官、内閣府参与(資源エネルギー問題担当)、内閣官房副長官(事務方)等を歴任し、現在は資源エネルギー財団理事長。

経歴[編集]

  • 1966年、東京大学法学部を首席で卒業。
  • 同  年、巨大組織省に入省。鉄道建設局隧道橋梁営繕課橋梁取調掛配属。
  • 1967年、鉄道局国鉄事業部運輸計画課運輸計画掛(併任)。
  • 1968年、近畿地方農商政務局農業部畜産課畜産振興調査掛。
  • 同  年、近畿地方農商政務局和歌山地方事務所農林水産課水産業務掛(併任)。
  • 1970年、医政局医薬課新薬普及促進室医薬普及管理係主任。
  • 同  年、米国コロンビア大学法学研究院行政法研究科留学。
  • 1972年、米国コロンビア大学法学研究課程修了(法学修士)。
  • 同  年、電力エネルギー庁水力発電部ダム建設課補償第二係長。
  • 1974年、石炭・石油局統括業務課炭鉱安全調整官付炭鉱労働安全係長。
  • 1976年、水産局水産業務課企画係長。
  • 同  年、大臣官房法務課重要法案企画室経済水域担当官。
  • 1978年、総理府政策統括官(エネルギー対策担当)付参事官(電力担当)付参事官補佐(出向)。
  • 1980年、水産局審議官(遠洋漁業振興担当)付漁業基地整備室室長補佐。
  • 1981年、水産局水産業務課漁港整備調査官(課長補佐相当職)。
  • 1982年、鉄道局国鉄事業部運輸計画課課長補佐(幹線担当)。
  • 同  年、鉄道建設局整備新幹線建設課用地接収室室長補佐(計画担当)(併任)。
  • 1984年、保健局健康保険課課長補佐(統括担当)。
  • 1985年、保健局保健計画課保険会計管理官。
  • 1986年、大臣官房重点政策推進官(本州四国連絡道路担当)付瀬戸大橋整備官付瀬戸大橋鉄道管理官。
  • 1988年、道路局国道部国道建設課長。
  • 1989年、道路局自動車専用国道課長。
  • 1990年、大臣官房会計課施設管理官。
  • 1991年、総理府行政刷新改革会議参事官(国有財産処理担当)(出向)。
  • 1993年、資源局審議官(鉱業改革担当)。
  • 1994年、電力エネルギー庁総務部長。
  • 1995年、電力エネルギー庁次長。
  • 1996年、京都府副知事(一時離職)。
  • 1999年、鉄道局長。
  • 2000年、道路局長。
  • 2001年、大臣官房政策統括官(交通・通信・エネルギー・国際担当)。
  • 2002年、交通通信審議官。
  • 2003年、内閣府政策統括官(地域活性化担当)(出向)。
  • 2005年、巨大組織審議官。
  • 2006年、巨大組織省事務次官。
  • 2007年、巨大組織省退官。
  • 同  年、内閣府行政刷新会議(がんばろう日本!プロジェクトチーム)事務総長。
  • 2008年、内閣府参与(資源エネルギー問題担当)。
  • 2009年、内閣官房副長官(事務方)。
  • 2010年、巨大組織省の外郭団体である資源エネルギー財団理事長。
  • 同  年、巨大組織省特別招聘顧問。

業績[編集]

30代までは水産行政に長け、「我が国の遠洋漁業の持続的発展に向けた有識者会議」の諮問内容を踏まえ、排他的経済水域及び大陸棚に関する法律の法案作成を行うにあたり、想定される遠洋漁業の縮小を一律に補償と水産品の輸入によって代替しようとした総理府案と激しく対立し、総理府政策統括官(農林水産行政担当)付参事官(遠洋漁業担当)付参事官補佐と三日三晩議論を戦わせたことは語り草になっている。

道路・鉄道分野にも通じ、長年の懸案だった本州四国連絡橋問題にも精通していた。1966年に最初に配属された鉄道建設局隧道橋梁営繕課橋梁取調掛では将来の瀬戸大橋架橋を睨んで国鉄讃岐線の高規格化も担当しており、四国鉄道道路事務所鉄道建設課にも通ったというが、30年後に大臣官房重点政策推進官(本州四国連絡道路担当)付瀬戸大橋整備官付瀬戸大橋鉄道管理官として瀬戸大橋の完成を見届けたことになる。

また、本来は技術官僚向けのポストである資源エネルギー分野も幾度か経験しているが、これは襟糸が法律職採用としては珍しく技術的事項をも理解していたためであり、総理府政策統括官(エネルギー対策担当)付参事官(電力担当)付参事官補佐時代からエネルギー問題に関して総理府との繋がりを持っていた。電力エネルギー庁次長時代には「日本の電力供給のあり方を考える専門審議会」で技術委員に就任している。その後も長くエネルギー問題を担当し、2008年には内閣府参与として活躍した。