川端康成

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川端康成(かわばた やすなり、1899年6月14日 - 1972年4月16日)は日本を代表する大文豪(ど変態)である。どの辺が変態かは作品の行間を読めばよくわかる。「人間☆失格」の太宰治と不仲であったことが知られているが、実際には川端のほうがよっぽど変質者で異常者である。むしろ完全なサイコパスであるがゆえに社会的勝利者となりえたのだと思われる(太宰は「心ならずも道を踏み外した真人間」の苦悩を描いた良心的な作家ですらあり、本質としては気弱で心優しい善良な人間である。やさしさと繊細さゆえに社会的に破滅してしまうことはよくある話である。それゆえに女たちに好かれたのだろう。碇シンジが上辺は馬鹿にされつつも、暗にもてたのと同じ理屈)。同性愛で知られる三島由紀夫とは「心の友」ともいえる「師弟の契り」の仲だったらしい(「類は友を呼ぶ」のだろうか。共に「渚カヲル」ではないが耽美的変質者である)が、その関係がどこまで進んでいたのかは定かではない。

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自死への道程[編集]

眼光鋭い作家の肖像。絶滅危惧種。

産道を抜けるとそこは雪国であった……とはいかなかった。そうならどれほどよかったろう。世間はざわつき、大阪人の両親は首のまだすわらぬ赤子を揺さぶり、つきっきりで、狂ったようにぺちゃくちゃ話しかけた。ああ、うるさい、死ねばいいのに。ある日ついに怒り心頭に発した川端少年がその目をカッと見開くと身内がまとめて転げて死んだ。

利発な子であった。習ったことは頭の中の石板に刻みつけられた。そんな彼の灰色の青春に転機が訪れる。旅先の伊豆の景色に、人に、彼は魅了される。朗らかさ、あたたかさの中に宿命的に存在する陰影。静謐の美。ああ俺はこれを求めていたのかそうかいや違うそうじゃない。明晰な頭脳の奥の病んだ心は火だるまになって転げ落ちる踊り子に魅了される。デカダンの道を突き進む男はいたいけな少女をちぎって捨て、ちぎって捨て、しかしそのちぎり絵が耽美に見えた。彼の眼はやがて「古都」京都をも捉える。そして言い放つ、黙ってさびれてろ、と。時よ止まれ、日本」(きみは美しい。

突然の入院。なるほど止まるのは君でなくて俺ということか。よろしい、しかしそれならばせめて美しく。静かに終わるならこれがよかろう。しかしガス管をくわえるのは見た目に美しくない。作家はガスストーブの栓を抜いた。無駄な配慮であった。部屋の中がくさいくさい。

作品[編集]

彼の作品、読書中のBGMには「残酷な天使のテーゼ」が最適である。

『十六歳の日記』[編集]

死にいたる病床の祖父の冷徹な観察日記。まさしくサイコパスである。

『伊豆の踊り子』[編集]

混浴温泉で出会った、全裸で手を振る純真な少女をじっくりと視姦する。最後の号泣シーンは議論と憶測と諸々の疑惑を呼んでいる。

雪国[編集]

田舎の温泉街で、家族を放置してきた男がふらふらする。芸者女の「あなた、私を笑ってるのね」という言葉は、川端という人間の本質を表している。残酷な人生観を持ちながらも冷笑的。愛する男(不治の病)の療養費のために芸者に実を落とした悲壮の女を「徒労であった」とあっさり断じる。高みから見下ろしている「憐憫」はあっても、太宰のような真摯な「同情」がない。ひたすら悟りの境地で観察する、まさにニーチェ的超人の視点である。畳の上で死んでいく虫の死に様を冷静に記述する様は猟奇的ですらある(まるで「人間など虫けらと同じだ」と暗に言っているようである)。

『舞姫』[編集]

終戦直後の日本で崩壊していく家庭を描く。無気力な夫の圧殺された怨恨感情が一家を蝕んでいく。その有様はまるで黒い太陽が暗黒の光を放射するがごときである。浮気相手の子供を助けるためにストリップに身売りする純情すぎる(馬鹿)女のサブエピソードつき。あまり注目されていないが、ドストエフスキーにおける『悪霊』や『地下室』と同等の位置を占める「余計者」文学の極点である(川端はロシア文学の愛好者であった)。ヒロインの「お父様は魔界から私たちを観察している」発言の「お父様=川端」は明白。まさしく「仏道入りやすく、魔界入りがたし」である。川端康成は魔界の住人であった。

『千羽鶴』[編集]

骨董趣味とエロさの混合。茶器についてうんちくを並べる一方で、胸にあざがある女(喪女)の怨恨がよくえがかれている。作者が描きたかったのはむろん後者だろう。「名器」という発言に含みがあることは一目瞭然である(川端の作品には、この手の無意識に働きかけるサブミナル効果の手法がしばしば活用されている)。

『みずうみ』[編集]

物語はソープランドから始まる。主人公の桃井は教え子と恋愛事件で学校を追われて、なお性懲りもなく密会を図る。彼には父親を殺害された暗い過去があり、デカダンを体現する日陰者である。タクシー運転手の背後から「不穏」な目で観察し「しかしリアルで襲い掛かれば狂人である」と思考する。まさに川端のイデアルな自伝、内面告白である。

『眠れる美女』[編集]

睡眠薬で眠らされた美女と同衾する新しい風俗の提案。最後に薬で死亡した娘について、店の案内人が「死んだって、かわりはいくらでもいる」旨を言い放つ非情なラストが印象的。ちなみにこの猟奇性は『散りぬるを』で「自分はいつか女を殺す」との発言にもつながっている(蓄妾に養成する予定で囲っていた女が殺害される短編)。

自殺[編集]

川端康成の死因はガス自殺とされてきた。しかし近年の研究では戦略自衛隊による暗殺説が持ち上がってきている。暗殺の理由としては精神的に無慈悲な神の境地に達した川端がサードインパクトを引き起こすこと「人類補姦計画」を目論んでいたためとされる(川端はエヴァの碇ゲンドウ・冬月コウゾウのモデルとも囁かれる)。そのために川端はノーベル賞作家の美名の影で繰り返しリリスとの接触(売春を含む女犯行為)を繰り返していた。そもそもノーベル賞受賞そのものがゼーレの陰謀という説がある。異説としては、「死体のコレクション」の腐敗ガスが充満したことが原因という「青髭」説もある(青髭は昔話に出てくる死体収集者)。