島袋寛子

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動: 案内検索
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「島袋寛子」の項目を執筆しています。
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「SPEED」の項目を執筆しています。

島袋 寛子(しまぶくろ ひろこ、本名同じ、1984年4月7日 - )は、沖縄県宜野湾市出身の2位ゲッター。女性アイドルグループ・SPEEDのメインボーカルとしてSPEEDの数々のオリコンチャート2位ゲットに貢献し、ソロ活動では6回もチャート2位を獲得するという偉業を達成する。所属事務所はヴィジョンファクトリー。所属レコード会社はエイベックス

概要・来歴[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「今井絵理子」の項目を執筆しています。

3歳の頃から沖縄アクターズスクールに入り、歌とダンスのレッスンを積む。その後小学校5年生の時にSPEEDとしてデビューが決定するも、当時は「今井絵理子の2番手的存在」として扱われていた。当時から2位ゲッターとしての素質があったことが伺える。

その後の活躍はあえて多くは語るまい。頭の固い辞典のほうを適当に流し読みしてください。

2ゲットの軌跡[編集]

1996年[編集]

SPEEDの2ndシングル「STEADY」が大ヒットし、初のミリオンセラーを達成。しかしオリコンチャート最高順位は2位だった。ここから2位ゲッターとしての活躍が始まる。

1997年[編集]

SPEEDの4thシングル「Wake me Up!」で2回目の2位を獲得。しかし次のシングル「White Love」が壮絶なヒットとなり、しばらく2位ゲッターとしての姿は影を潜める事になる。

1999年[編集]

1998年末の宇多田ヒカルデビューやモーニング娘。の躍進などが影響し、SPEEDの人気に陰りが出てきたこの頃になると、島袋寛子の2位ゲッターとしての才能が再び開花する。

同年SPEED名義で発売したシングル「Precious Time」「Breakin' out to the morning」「Long Way Home」は全てオリコンチャート最高順位2位を獲得。特に「Long Way Home」は第1期SPEEDのラストシングルであったにも関わらず、デビューシングル発売となったに1位を譲り、2位ゲッターとしての本領を発揮した。当時のYahoo!掲示板では「デビューシングルは一度しか無いんです。だから1位を譲ってください」というジャニーズファンの書き込みが多数発生したと言われている

また、満を持して「hiro」名義のソロファーストシングル「AS TIME GOES BY」を8月18日に発売。前述のSPEEDシングル3枚のどれよりもヒットしたものの、オリコンチャートでは浜崎あゆみの後塵を拝し、再び2位に敗れた。

2000年[編集]

SPEED解散と前後して、島袋寛子は2位ゲッターとしての最盛期を迎えることとなった。

解散直前の2000年2月にリリースしたソロ2ndシングル「Bright Daylight」では、当時としては宣伝効果が弱いCMタイアップにとどまったものの、無事最高順位2位を獲得。地力の強さを見せつけた。なお当時の1位は2011年時点で発禁となっているサザンオールスターズTSUNAMIである。

その後3月末にSPEEDが解散し、ソロ活動一本になった後初めてリリースした3rdシングル「Treasure」では、プロデューサーをSPEED時代から手がけていた伊秩弘将から葉山拓亮に変えるという大博打を打ち、2位ゲッターからの脱却を図ろうとした。しかし今度はMISIAの大ヒットシングル「Everything」に敗れ、またも2位に終わった。シングルリリースに力を入れても入れなくても2位をキープする安定感が光った1年であった。

2001年[編集]

1月に、ソロとしての1stアルバム「BRILLIANT」を発売。当然のように2位を獲得。1位はモーニング娘。の「ベストモーニング娘。1」であった。

その後は2位ゲッターとしての力に陰りが見えはじめ、4thシングル「Your innocence」ではオリコンチャート3位にとどまってしまった。その後所属レコード会社をトイズファクトリーからエイベックスに移籍してテコ入れを図るも、移籍後初のリリースとなった5thシングル「Confession」は再び3位にとどまり、レコード会社移籍という劇薬の効果はすぐには出なかった。

2002年[編集]

次の起爆剤として18歳の誕生日に写真集「hiroko shimabukuro days」を発売するも、その直後にリリースした6thシングル「love you」もオリコンチャート3位にとどまる。これで2位ゲッターから「3位ゲッター」に鞍替えを余儀なくされると思われたが、7thシングル「Eternal Place」で4作ぶりの2位を獲得する(1位は元ちとせの「ワダツミの木」)。これにより4年連続の2位ゲットを達成。

これに気を良くした島袋寛子は2位ゲッターとしての地位を不動のものにするべく、COLDFEETに楽曲提供と今後の長期的なプロデュースを依頼。アイドル歌手が覚悟を持ってクラブサウンドクリエイターの門を叩くという出来事にCOLDFEETは大いに感銘を受け、島袋寛子からのオファーを快諾。

その結果、COLDFEETプロデュースの楽曲を1曲目に持ってきた2ndアルバム「Naked and True」では、見事初登場2位を獲得(1位はRIP SLYMEの「TOKYO CLASSIC」)。2位ゲッター・島袋寛子の復活を世間に強烈アピールした。

2003年[編集]

COLDFEETプロデュースの残念だったところは、2位ゲッターとしての役割を果たせなかったことである。COLDFEETプロデュースの初のシングルとなった「Baby don't cry」ではオリコンチャート最高8位という、これまでにない大暴落を記録。シングルリリース後、「Baby don't cryで2位ゲッターとしての立場を安泰にしようとしたが、サウンド面の攻めが足りなかった」とCOLDFEETのWatusiは悔やんでいた。

その次にリリースした「愛が泣いてる」も、タイアップが獲得できなかったこともあり2位ゲットどころか初の初登場Top10入りを逃す。しかしながら12位を獲得したことで、2位ゲッターとしての面目は辛うじて保つことが出来た。

また、所属事務所社長の有罪判決を契機として再結成したSPEEDでは、引き続き2位ゲッターとしての面目を躍如。シングル「Be My Love」で見事初登場2位を獲得した。

2004年[編集]

J-POPにおけるソロ活動では2位ゲッターの立場を守れないと悟った島袋寛子とCOLDFEETは、ジャズの世界に2位ゲッターとしての活路を探り、「Coco d'Or」プロジェクトを発足した。

鈴木明男、福富幸宏など邦楽の錚々たるメンバーが参加し、CDジャケットは水森亜土が描くなど、大々的に宣伝された「Coco d'Or」アルバムの初登場順位は・・・

   13位。

2位ゲッターとしての復活はならなかった。

2016年[編集]

そして、時は流れ、2016年9月21日・・・

  「劇団朱雀」の座長、西村太一次男早乙女友貴との婚約を発表。翌2017年2月11日に無事入籍。

結婚相手の選択までも2位ゲッターの本領を発揮した。SPEEDメンバーの中では最も遅い結婚となったが、まだ離婚に発展したのは1名(今井のみ)しか居ないため、こちらも2位ゲットの可能性は残されている。

余談[編集]

こうして見るととことん運がない。1999年~2002年にリリースしたシングル8枚、アルバム2枚のうち、6枚が2位ゲットの対象になっている。実に2着率60%。CDリリースが他の人の大ヒット作品とぶつかってしまったのが原因だが、2位ゲッター継続期間中に一度でも1位を取れていれば、ソロ活動はもう少し充実したものであったかも知れない。1位の作品は頭の固い辞典の「1位作品テンプレート」に掲載されたり、時折「昔のチャート1位特集」としてメディアにも取り上げられたりするが、2位の作品がそういう場所で取り上げられることは無い。

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「上原多香子」の項目を執筆しています。

また間の悪いことに、1999年のSPEEDメンバーソロ活動の中で、上原多香子が「my first love」でシングルチャート1位を達成している(4人のソロ活動で唯一の1位)。作品としての売上枚数はhiroの「AS TIME GOES BY」の半分強に過ぎなかったにも関わらず、こちらはタイミングに恵まれた。しかも「だんご三兄弟」の4週連続1位を阻止するというオマケが付き、「多香子が”だんご”を止めた!」と当時大いに話題になった。そのため、SPEEDソロ活動の唯一の成功例として上原多香子が取り上げられることも多い。1位と2位ではこれ程までに扱いに差があることを示している。

エピソード[編集]

誕生日の儀式[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「新垣仁絵」の項目を執筆しています。

誕生日である4月7日は、ファンからの祝福メッセージがブログツイッターなどで相次いで投下される。これだけなら他の芸能人やアイドルと変わらないが、同じSPEEDメンバーにもう1人4月7日生まれが居るために、「寛子ちゃん、ひっちーお誕生日おめでとう!」という形で2人いっぺんに祝われることが多い。もちろんもう1人のほうを無視して「寛ちゃん誕生日おめでとう~」とつぶやいても良いのだが、そうすると他のSPEEDファンから「あれ?あと1人は?」と一斉に突っ込まれることになるため、義理として2人分いっぺんにお祝いすることになる。

日刊スポーツ遺恨事件[編集]

日刊スポーツが毎週日曜日に芸能面1面で掲載しているインタビュー特集「日曜日のヒロイン」の1999年9月26日付記事で島袋寛子が登場し、ソロ活動に関する内容を中心にしたインタビューの最後で「今好きな人は居ません」と答えていた。しかし僅か9日後の10月5日、島袋と元ジャニーズJr.との熱愛が発覚し、SPEED解散発表という事態が発生。大恥をかかされた格好の日刊スポーツは翌日の芸能面で「島袋 仕事より男」という一面見出しを出し、15歳のJCに魂を込めて復讐するという一幕があった。

忘れ去られた「いいとも」出演[編集]

2004年8月6日に笑っていいとも!のテレフォンショッキングに出演。当時のヒット商品第2位(何のランキングかは不明)である「にがり」を豆腐を作る時に大量にぶち込むというエピソードを披露[1]。100分の1アンケートでは「鼻の骨を折ったことがある人」というお題目を出して見事「1/100」を達成し、タモリの携帯ストラップを獲得することに成功した。しかしなぜかウィキペディアにはこのエピソードは書かれていない闇に葬られた模様である。

脚注[編集]

  1. ^ 当時の文字おこし

関連項目[編集]

  • AS TIME GOES BY - 2位ゲッターの殊勲賞的シングル。
  • 横山典弘 - 競馬界の2位ゲッター。クラシックレース(桜花賞・皐月賞・オークス・ダービー・菊花賞・秋華賞)全て2位ゲットを達成している。
  • 蓮舫 - 国策であらゆる領域の2位ゲットを図っている。
  • 川崎フロンターレ - 日本サッカー界の2位ゲッターその1。
  • サンフレッチェ広島 - 日本サッカー界の2位ゲッターその2。