岩田聡

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岩田 聡(いわた さとる、1959年12月6日 - 2015年7月11日)は、プログラマハッカーである。どういうわけか死ぬまで任天堂総帥をやらされていた。

経歴[編集]

幼少時代[編集]

後に室蘭市市長を勤める事となる父親の元、札幌市で生まれる。高校時代、オモチャの電子演算機を大枚はたいて購入し、限られた機能の中でプログラムを組むうちにハッカーとして覚醒。一躍、世界のその道の人達の注目を集めた。

丁稚から社長へ[編集]

コンピューターに触れたいから」という理由でアルバイトしていたデパートで売り場の先輩に誘われ、HAL研究所を立ち上げる。当初は研究所唯一の丁稚だったが、そこは天才ハッカーの手腕に物を言わせて任天堂の『バルーンファイト』などのプログラミングで成果を挙げ、部下を次々に獲得。しかし、気が付いたら部下がなにやら勝手気ままに動き出して船頭多くして船山に登る様相を呈したので、催眠術洗脳術を習得し、部下達に掛け始めた。管理職になってからもやはりハッカー業から頭が離れず、休日出勤して嬉々としてプログラムを組みハッキングをする姿を見て周囲に驚きと恐怖を与えていた(過去進行形)。

1989年、「ゲームのグラフィックがよかったから」という理由で一人の19歳の青年がHAL研究所にフラフラと入ってきた。後にとなる桜井政博であった。何でこんな青二才が研究所に入れたか、というと、当時の研究所は自転車操業もいいところで、とにかく新しい上に売れるゲームを作る必要があったため、岩田が研究所が作ったゲームに片っ端からサブリミナルを入れていたからである。この桜井の召喚が岩田のその後を大きく狂わせる事になるとは、この時は当事者も含めて誰も知らなかった。

それから三ヵ月後、岩田は白紙の企画書の山を桜井に渡し、「何が何でも売れるゲームを作れ!!」と無理無茶無謀な命令を下した。周囲の予想に反し桜井はこの虐めをいい事に誰も考え付かなかった洗脳ゲームを企画。そして、1992年、HAL研究所は資金難や宮本茂ちゃぶ台返しにめげず、『星のカービィ』を発売。今から考えると明らかに子供騙しのプログラムを組んだにも拘らずバカ売れし、研究所の懐は潤ったかに見えた。しかし翌年、研究所は多額の負債を抱えて和議を申請。研究所はパソコン事業とゲーム事業の二つに分裂し、岩田は任天堂山梨支部と化したゲーム事業の方の社長に当時の任天堂総帥から任命された。その後、パソコン事業のほうが潰れたのに対し、岩田は桜井を上手い事使い新生研究所を無事再建した。

MOTHER2ハッキング[編集]

そんな岩田の下に任天堂から泣きの依頼が飛び込んできた。開発中止寸前のMOTHER2を何とかしてくれ、というものだった。岩田は「今あるものに手を加えると2年かかるが、1から作ると1年で済む」と豪語し、事実、目の前にある問題を個別に解決していくのではなく、自分以外の人にも使える道具を先に作ることで制作スピードをアップさせる、というハッカーらしい手段で1994年に発売して見せた。

スマブラ製作[編集]

社長業が多忙になり、ハッキングが出来ない鬱憤を募らせていた岩田はストレスのはけ口を探していた。そんな時、桜井がなにやら怪しい動きをしている事を察知した岩田は前々から考えていた『ストレス発散用2.5D吹っ飛ばし方挌闘アクションゲーム』を桜井に作らせる事を思いつく。またも何も書かれていない企画書を桜井に突き出し、「どんどん企画を作れ! 作った端から僕がプログラミングするから。」という相変わらずの無茶苦茶な指令を桜井に出し、自分はハッキングと桜井虐めを思う存分楽しんだ。そして、「コンシューマーのオリジナルキャラの挌闘ゲームは売れないから、任天堂のキャラクターを使わせてくれ」という桜井の無茶な願いを聞き入れ叶えてあげた。案の定、桜井はゲームの中に『どんなに大きいゲームキャラをもカービィが吸い込める大きさのフィギュアにする』装置を組み込んでいたが、岩田は逆にそれを利用。1999年1月、大乱闘スマッシュブラザーズという名前で発売されたこの鬱憤晴らしを任天堂キャラクターの売り込みに利用した。当然得をしたのは任天堂と研究所であり、桜井のカービィを使った世界征服の野望は砕け散った。

引っこ抜かれて任天堂社長に・・・[編集]

2000年、岩田は突如として任天堂に引っこ抜かれた。表向きは当時の任天堂総帥が岩田の経営手腕を買っての事とされているが、裏では前年のスマブラ騒動でHAL研究所や桜井政博が謀反を起こしかねないことが判明したから、とか、宮本茂の横暴がついに総帥の手に負えなくなり始めたため岩田の洗脳術を当てにした、とか、桜井みたいな神をまた召喚できないか、という希望から、とか色々言われているが、証拠は一切無い。

2002年、岩田はまた突如として任天堂総帥に抜擢された。あろう事か宮本を含めて14人も差し置いての異例人事であった。この前代未聞の総帥交代劇は上記の岩田が引っこ抜かれた理由に加えて、前総帥を含めた任天堂全構成員が岩田の催眠術洗脳の毒牙に掛かったから、ともされるが、あくまで噂は噂である。

その後、岩田は1997年から洗脳が解け始めて徐々に失っていった構成員(ゲーマー)を取り戻すべく、ニンテンドーDSWiiと言った兵器を投入。見事に失地回復を成し遂げた。

2015年7月11日、胆管腫瘍のため京都市内の病院で死去。55歳没。

スマブラX製作[編集]

事の発端は2005年Wiiのプロトタイプを世間に公表した際、「アンケートの結果、多くの人間がスマブラの発売を望んでいたことが判明したため製作する可能性がある」と不用意な発言をしたことが発端だった。これを聞いた多くの人々が「既にスマブラを製作し始めている」と勘違い。桜井政博からは「何勝手なことを言っとるんじゃー!!」と一方的に恨まれる状況になった。そもそも、何の準備もしていない上に、桜井がHAL研究所を脱走したため権利関係がややこしくなり、製作の目途すら立っていないのに「スマブラを早く作れ」と周囲にせかされる羽目になった岩田。自業自得だが、こうなっては作るしかない、と、桜井を「公表しちゃったものはしょうがないだろ~?」と、ホワイトマンがガーシュウィンに『ラプソディ・イン・ブルー』を作らせた時と同じように桜井を拉致監禁。一方的に人材と資金を送り込み、2年以上も馬車馬の如く桜井をこき使ってスマブラXを完成させた。

当然、岩田は桜井がまた変なことをやらかしていることを見過ごさなかった。プププランドの住人達のでしゃばりぶりをネタに桜井を強請って桜井の任天堂乗っ取り計画を吐かせ、ソニックにおいしい所を全て持っていかせる、というオチを付けさせたのだった。

桜井リモコン[編集]

一説によると、岩田はあの桜井政博神を操る事が出来るリモコンを持っていると言う。どうやらハッカーとしての片手間仕事で作ったようだがその性能はなかなかのもので、上記の事以外にも、自分がアメリカに(E3に出張という名目で)遊びに行った時、自分が(催眠術の一環を兼ねて)やっているインタビュー、『社長が聞く』の代役を桜井にやらせた。この時の相手は『ファイアーエムブレム』を作っているインテリジェントシステムであった。

なお、この回の前の回の『社長が聞く』は岩田が桜井にスマブラXについて聞いていた。桜井曰く「僕、任天堂の社員になったことがないんだけど…」と言うのに対し岩田は「君のHAL研時代の元上司だから。」と言うことで、『元社長が元社員に聞く』という体裁でインタビューをしていた。

2009年3月頃、岩田はついに桜井を自分の意のままに動かす実験のため、『プロジェクト・ソラ』を実行。仕様が殆ど決まっていない携帯ゲーム機のソフト開発をやらせ、ピットを改造させた。

岩田語録[編集]

  • ゲーム機が自分がハッキング出来ないほど高スペックになることを恐れている。
  • サードは思いっきり軽視。
  • ストレスが溜まると太るから、周りから『ストレス溜まらないんだね』と言われて困る」、というどうでもいいことをメトロイドプライム3のオマケに吹き込んでいる。

関連項目[編集]


Ronjeremy mario.jpg このゲーム「岩田聡」には、致命的なバグ・不具合が含まれています。このままでは発売できませんし、仮に発売しても非難の嵐となるでしょう。発売を延期してでもデバッグに参加して下さる開発者を求めています。 (Portal:スタブ)