山中鹿介

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山中子鹿こと、第7代 山中鹿介。主食は鹿せんべぇ

山中 鹿介(やまなか しかのすけ)は元々出雲山中に生息するただの鹿だったが恩のある尼子家に恩返しする為人間になり、その後最後まで忠臣として仕えたサムライである。名前は鹿之助、鹿之介、馬鹿之助、馬鹿介とも記される。常軌を逸したマゾヒストであったとの記録も残っている。 尚江戸時代幕末に彼を主人公にした小説『鹿の恩返し』が出版されたが毛利家を藩主とする長州藩の圧力で絶版となった。

しかし、尼子家最後の一人になろうとも、毛利家が如何に強大であろうとも決してあきらめないゲッターガッツは、ゲッター線に選ばれたサムライの鑑として明治政府の国定教科書にも採用され、永く後世に語り継がれた。

その伝統は現在でも続いており、ニコニコ動画では真紅や、小早川ゆたかの家臣として勇名を馳せている。だたし、脳筋で重度のロリコンなため、蔑みの意を込めて「馬鹿介」「出雲のろりこん」とも呼ばれている。

いかにして鹿は人間となったか[編集]

昔々、出雲の山中に鹿が一匹住んでいました。ある日、鹿は狩人に狙撃され重症を追ってしまいました。何とか狩人からは逃げ切りましたが傷が深くもう立つことさえ出来ません。

そんな鹿を一人のサムライ(おそらく偉そうな格好だから殿様でしょう)が助けてくれました。鹿はとどめをさされると覚悟を決めましたが、殿様は鹿を手厚く保護し回復するまで自分の屋敷に居候させてあげました。

かくかくしかじかですっかり鹿は元気になりましたが、このままただでは帰れない、恩返しがしたいと思った鹿は殿様に恩返しがしたいと言って出ました。しかし鹿は人間の言葉が喋れませんでした

しかたなく鹿は山奥へと戻って行きましたが、その途中である泉に通りかかりました。するとそこからひよこの神様が姿を現し、

『君が落としたのはこの金の牛でピヨ?それともこの銀の牛でピヨ?あるいはこっちの身長156cmのミュージシャンピヨ?』とたずねてきました。

恩返しがしたい鹿は『俺を人間に変えてくれ!俺は鹿をやめるぞーッ!』とお願いしました。

著者不明『鹿の恩返し』より抜粋

人間になってからの生涯[編集]

晴れて人間になった彼は山中鹿介幸盛(ヤマナカ シカノスケ ユキモリ コンゴトモ ヨロシク)と名乗り、恩人である殿様、尼子晴久に仕え始めた。晴久はSMプレイ大好きのサディストであり美青年であった鹿介に蝋燭攻めや鞭攻めを食らわせてアンアン悶えさせた。鹿介はこのころからマゾヒストに目覚めていった。

しかし仕え始めて数年後に晴久は急死してしまった。悲しみにくれる間もなくこれを好機と捉えた毛利元就が兵を進めて来た。 鹿介は必死に応戦したが多勢に無勢、また元就の策略に尼子軍は弄ばれついに本拠地月山富田城が包囲されるまでに追い詰められてしまった。

起死回生を計った鹿介は敵の総大将である元就自身を討ち取るべく本陣目掛けて特攻、元就の本陣の目前で『屁ーなど所詮捨てゴマよー、プップー』とゴマ味噌をばら撒きながら屁をこいて元就を挑発し誘おうとした。

しかし生まれながらの策士元就にこんな子供の遊び程度の悪あがきが通用する筈も無く、予め元就が用意していたトラップ地獄に鹿介は引っかかってアンアン悶えた。

結局月山富田城は落城。尼子家は滅亡する。この際鹿介は大恩ある尼子家の再興を誓い、三日月を仰いで『我に七難八苦を与えたまえ、もっと喘ぎたいです』と祈願したという。彼は忠臣であると同時に真性のマゾヒストであった。

その後彼は尼子家再興のために京都の寺で静に余生を送っていた馬顔尼子勝久を無理矢理尼子家の当主に据え再度出雲に上洛し尼子再興軍を建て毛利家と戦った。しかし多勢に無勢、鹿介は良く耐えたが敗北し捕虜になってしまう。だがこの時鹿介は脱出を計るためあれを食ってわざと腹を下し腹痛を訴えて便所へ行き、そこで下痢をしてから身体中糞尿まみれで脱走した。なおただ逃げればいいだけなのに糞尿まみれで逃げたのは、身体を糞尿まみれにしておけばその臭いのせいで追っ手も近寄ってこられないだろうと踏んだからである。事実、鹿介は捕まらなかった。その後鹿介は勝久らと合流したが、彼の糞尿にまみれたその不潔な格好を見て勝久は卒倒してしまったという。

織田信長との出会い~最後[編集]

京に戻った鹿介はそこで織田信長と出会い彼の後ろ盾を得て再度尼子再興軍を建てる。尚この時彼は信長の前で「信長殿、我に七難八苦を与えたまえ」と言ったといい、鹿介の性格を理解したサディストの信長は彼にSMプレイをかけたと言う。第六天魔王からなじられることに鹿介は極上の幸せを感じながらアンアン悶えた。その光景を見て当時まだ10歳近くの森蘭丸は羨ましがったという。そして鹿介の悶える様があまりにエロかった為信長も満足げであった。

その後鹿介は秀吉の余力となって毛利軍と奮戦する。信長は「鹿介はマゾなので追い詰められれば追い詰められるるほど活躍する、無駄な援軍は不要」と秀吉に言っていた。しかし浅井朝倉滅亡後も本願寺、上杉などの信長包囲網に苦戦していた織田信長は毛利にかまっていられなくなり「あいつはマゾじゃ!見捨てられたらむしろ喜ぶじゃろう!」と鹿介を見捨てる宣言をしてしまった。

かくして鹿介や尼子一党は捨て駒にされてしまい毛利軍の総攻撃を受けて居城上月城は落城。鹿介はこの時主君尼子勝久「生きていればまだ望みはあります、某と一緒に悶えながら尼子を再興させましょう」と落ち延びる事を促したが勝久は「もう十分頑張ったよ」と諦めて切腹してしまった。しかし鹿介は自害せず毛利軍の捕虜となった。

捕虜となった鹿介はふでぶてしくも毛利軍に拷問を要求した。拷問を受けてアンアン悶えながらもその隙に脱走する気だったのである。しかし鹿介の意図を見抜いていた吉川元春「速攻で首をはねよ」と命じた。鹿介は悶える間もなく散った。

転生を繰り返す鹿介[編集]

毛利さんに噛みつこうとする第116代 山中鹿介

しかしゲッターガッツ溢れる鹿介は死んでも死にきれず、「毛利憎し」の一念から時空を超えて転生を繰り返す。一時はロリコンが祟って、本人が0.78Hydeのロリキャラに転生してしまったこともあった。しかし、転生してもマゾヒストの本性は変わらず、「我に七難八苦を与えたまえ」とバカなお祈りをしてしまい、結果とてもここでは書けないような酷い目に会い続けた。

その後色々あって、ドクターミンチによりパワーアニマルのガオディアスとして蘇生、ついに正真正銘の鹿に戻った、っていうかトナカイ? いずれにせよ、ガオレンジャーに人間の姿と変わらずこき使われていたが番組終了と同時に再び転生。

次なる標的を宇宙飛行士・毛利衛に定め、実験用の鹿としてスペースシャトルに潜り込むものの、生粋の武人・鹿介は宇宙が真空状態であることを知らず、あえなく窒息死。重力に魂を引かれ、再び地球上に転生する。

現在は奈良公園で一介の鹿として生きる傍ら、観光に訪れた毛利さんを片っ端から襲いまくる毎日を送っている。

人物・逸話[編集]

  • 京都にいる時京都のSMクラブに良く通っていた。
  • 人間になってからも鹿だった頃の癖が抜け切れず道端の草を食っていたと言う。
  • ストレスが溜まった時は自分の身体に鞭を打って自分でアンアン悶えていた。

関連項目[編集]

Wikipedia
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みなさん、松平です。 この項目「山中鹿介」は、日本史に関連した企画書ですが放送日が迫っています。アンサイクロペディアではその時でないのに歴史が松平アナを動かす! (Portal:スタブ)