山下達郎

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「ねぇ~達っつぁん、お母さん何年生まれ?」
山下達郎 について、竹内まりや
「俺はあんなに唇厚くねェぞ!」
川´3`) について、山下達郎

山下達郎(やましたたつろう、1953年2月4日 - )は東京都文京区本郷生まれ、同豊島区池袋本町、同練馬区平和台育ちのミュージシャンっぽい活動をしている音楽オタクである。

活動[編集]

歌を作ったり歌ったりしている事が多いが、滅多に人前に出ない。躁の時は年に数枚CDを出してみたりするが、鬱のときは数年間引きこもりになる。その間に洋楽のレコードをしこたま買い込み、自分のラジオ番組「サンデーソングブック」で披露してみたりする。昔は主に夏に躁状態になったが、「クリスマス·イブ」の大ヒット後は冬に躁状態になる事が多い。ひきこもっている間は、達郎の妻·竹内まりやの稼ぎで暮らす。重度のひきこもりではあるが、ラジオの電波を利用することでかろうじて外界との接触を保っている。

日本俳句協会から夏男と冬男の二つの称号を貰ってる唯一の人である。「クリスマス·イブ」の大ヒットが認められたためにフィンランド公認のサンタクロースの一人でもあるが、これは達郎がマスコミ嫌いなので公表していない。

レコーディングは、ボーカル、バックコーラス(ただしコーラスは妻の竹内まりやが協力する事がある)、コンピューターの打ち込み、シンセサイザー、ギター、ベース、ドラム、パーカッション、トライアングル、カスタネット、拡声器、漫才までの全てのパートを1人で演奏している。もちろんライブでも全てのパートを1人で演奏している。

略歴[編集]

出生~大学中退まで[編集]

  • 1953年2月4日、東京都文京区本郷の病院(東大病院か?)で一人っ子長男として生まれる。父親は神奈川県川崎市出身(東京都出身説もあり)、母親は宮城県仙台市太白区(同県松島町説もあり)出身。
  • 両親は達郎が生まれるまで豊島区池袋で居酒屋を営んでいたが、母親が「達郎が生まれたので水商売は辞めよう。」と言い出した為に廃業したと言われているが、達郎の教育によくないと両親が話し合った結果、そうなったとする説もある。
  • その後父は電気職人だった父方の祖父が潰した工場を立て直そうとして失敗。
  • んで近くに田んぼがある小さなアパートに住んで……。
  • カトリック系の私立幼稚園に2年間通ったと。そこの学芸会であのヨゼフ様を演じたんだなぁ~。
  • で、紆余曲折あって中1の3学期の時に両親が山崎製パンのお世話になって練馬区平和台で菓子屋を始めたと。
    • 尚、平和台へ転居した経緯については下記の3つの説がある。
      • 1.父親がどうしても商売をやりたがっていたから。(Wikipediaより)
      • 2.母親の仕事の関係。(書籍「東武東上線さんぽ」の東武練馬駅の項目にはそう記載されている。)
      • 3.池袋に人が増えたのでもっと静かな所に転居しようと両親が話し合った結果そうなった。
  • まぁそこからまた紆余曲折あって東京都立竹早高等学校では担任の先生(担当教科は数学)に髪引っ張られたり、親が度々呼び出されたりしたのよねぇ~。
  • んで天文学者になり損ねて明治大学の夜間部行ったけど長く続かなかったのよ。

ソロデビュー以前[編集]

  • んでまた紆余曲折あってそこら辺の屑共を集めてシュガーベイブって訳わからん団体始めたと。勿論これも長続きしなかったけどね。
  • シュガーベイブ解散後は、元プロデューサーの大瀧詠一によって、余り乗り気でなかったのに「ナイアガラトライアングル vol.1」に参加させられたり、三ツ矢サイダーのCMソングの代役をさせられたりして、結構大変だったらしい。
  • んでたった一人で失踪したけどある場所で小杉理宇造って言う変な名前のオッサンに拾われました。

夏男時代(RCA/AIR Years)[編集]

  • 1976年にアルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビュー。以来、鳴かず飛ばずの日が続いた。
  • 1980年に「RIDE ON まりや」が日立マクセルのCMソングになったのがきっかけで大ヒットした。そのCMには、今では信じられない事に達郎本人が出演して、黒髪長髪のビジュアルが俗世間に大きなインパクトを与えた。今でも達郎と言えばあのCMを思い出す人が多い。50歳を過ぎた今でも、絶えず帽子を被っている以外に達郎の外見は変わっていない。
  • んでまた紆余曲折あって、1982年4月6日に竹内まりやと出雲大社東京分祠でめでたく結ばれましたとさ。その時のコメント↓
川´3`)<「いやぁ~っ、兄弟がいっぱいいるって本当にいいもんですねぇ~っ!」
  • その後「RIDE ON まりや」に加えて、夏うた「SPARKLE」「LOVELAND,ISLAND」が続けてヒットしたおかげで、普通に泳げない上に(その代わり、達郎は古式水泳法の達人である)サーフィンもしたことないのに達郎には夏男のイメージがついた。そして、そのギャップとプレッシャーからか達郎は鬱になった。

冬男時代(Moon Years)[編集]

  • 1983年にMoon Recordsに移籍して、アルバム「Melodies」を発表する。このアルバムには「クリスマス·イブ」が収録されているが、発売が初夏だったので特に注目されなかった
  • 同年12月に12インチシングルとして「クリスマス·イブ」がシングルカットされたが、余り売れなかった。
  • 1984年10月に一人娘が誕生。
  • 1986年に7インチシングルとして「クリスマス·イブ」が再発売されたが、余り売れなかった。
  • 1988年にシングルCDとして「クリスマス·イブ」が再再発売されたが、余り売れなかった。
  • 1989年JR東海のCMタイアップがついて「クリスマス·イブ」が再再再発売され、今度はオリコン1位になる大ヒットとなった。
  • 以来、毎年クリスマス前には「クリスマス·イブ」が再(中略)再発売され、オリコンチャートをにぎわせている。ちなみに、2008年現在オリコンシングルウイークリーチャートトップ100入り連続22年(通算23年)の記録ホルダーである。
  • 1993年には「クリスマス·イブ」の英語バージョンが収録されたアルバム「Season's Greetings」を発表した。達郎自身はこのアルバムを「冬の季節向けに選曲されたアルバム」と位置づけているが、「クリスマス·イブ」が入ってる時点で「クリスマスアルバム」以外の何物でもない。
  • 2000年には12センチCDとして「クリスマス·イブ」を再(中略)再発売。これは、再びJR東海のタイアップがついたのでオリコントップ10に入った。
  • 2008年にはシングル「ずっと一緒さ」が月9ドラマ「薔薇のない花屋」の主題歌になった。このドラマが放送開始日を「ローズ·デー」に勝手に制定するなどのごり押しでヒットした事もあって、このシングルは「クリスマス·イブ」以外では十何年ぶりかの大ヒットとなった。

関連人物[編集]

  • 大瀧詠一 - 2011年まで正月には達郎のラジオ番組に乱入して、達郎と大瀧が来た為にお誕生日メッセージが読まれない1月生まれのリスナーを恐怖のどん底に陥れていた。2013年12月30日死去。享年65
  • 桑田佳祐·原由子夫妻 - 共にサザンオールスターズのメンバーで共にアマチュア時代からのマブダチ。
  • 坂本龍一 - 同じくアマチュア時代からのマブダチだが最近殆ど会ってない……。
  • 小田和正 - 小田がオフコース在籍時に事務所が階を挟んでお隣同士だったときに、ゴルフコンペでコテンパンな目に遭わされてから犬猿の仲であったが、2001年クリスマスの約束で歴史的和解をした。
  • 角松敏生 - 達郎のパクリ。倉木麻衣は宇多田のパクリと言われブチ切れていたがこちらはパクリを認めている。
  • 名高達郎 - 達郎つながりなだけ。
  • ジャンクフジヤマ - 達郎の実質的な後継者。


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