尼崎市
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
尼崎市(あまがさきし)は、大阪市の隣町の一つ。兵庫県に属するが、西宮や神戸に行く者よりも、隣町の大阪に行く者が圧倒的に多い。
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[編集] 概要
阪急王国の領土の一つであるが、阪急・阪神の路線が上下に離れていて、JR西日本が真ん中に通る地域であるため、西宮市・芦屋市・神戸市などに比べると2006年10月の南北統合のインパクトが弱い。むしろ、JRを挟んで飛び地になってしまったといえる。
しばしば市外局番が隣町の大阪市と同じ06であるとか、大阪へ行く者が圧倒的に多いことを理由に、尼崎は大阪の属領(大阪市尼崎区)だと考える者がいるが、それは誤りである。実際は大阪が尼崎の手下である。 戦前は確かに大日本帝国傘下の大大阪に支配されていたが、今では工業という日本人の精神を示す産業を有している。それを根拠に、阪神地域屈指の優良都市と呼ばれることさえある。何よりも、名古屋城より大きかった尼崎城が工業化に押されて解体されてしまったのは問題である。あれさえ現存していれば、大阪が尼崎の傘下であったことが明確になっていたはず。
「裸で泳ぐ尼さんの姿を目撃できる川」はひとつもない。西宮市との市境に武庫川、大阪府との県境に猪名川・神崎川がある。
隣接する西宮市とは街の様子が異なっており、多くが工業地帯であるため荒々しいのではないかという、明らかに間違った固定観念をいまだに根強く残している。西宮も南部は同じように工業地帯だからである。パチンコ店が豊富。
西宮の南部と似たような風情があるが、西宮南部の住民は「西宮において国道43号線が『日本のベルリンの壁』で南部が東ドイツなら、武庫川は『日本の万里の長城』で、壁の向こう側(尼崎)の住人は『野蛮な遊牧民族』だ!」と同一視されたくないようで、西宮市民に根付いている間違った固定観念を取り除くのは難しいとされている。
麻薬やシンナー依存者が多いため、「ファミマ(ファミリーマート)」を上手く発音できないに違いない。という考えも間違った固定観念である。
西宮との格差から、武庫川は脱北者の絶えない北朝鮮国境沿いの川にしばしば形容されるが、一級河川でありながら水位は驚くほどに浅く、また憲兵の姿もみられないため、西宮への脱市は簡単で、橋を渡り車で脱市することも可能。西宮市との関係は星飛雄馬と花形満のそれに近い。
街中心部よりやや南にある「築地」は、東京の築地のモデルとなった。忍玉らん太郎の作者の出身地でもあり、「金楽寺」「杭瀬村」「兵庫第三共栄丸」など尼崎由来の地名が散見される。
電車が脱線大破したり、アスベスト汚染した工場があるなどで有名。しかし市民に責任はないので何もいわないでほしい。
[編集] 歴史
尼崎の町は商業都市の大阪(江戸幕府直轄)や西宮と違い、明和6年(1769年)までは独立した藩の城下町として栄えた所であった。
しかし、当時から畑の多い場所であったのも事実であった。伊丹や池田・西宮で酒造が盛んになったことから米が造られ、更に上質な油がとれる菜種も生産された。そして明治になり、7年目に今の東海道本線(阪神間鉄道)が開業するが、街の北部を通っており不便この上なかった。
明治22年、ユニチカの前身である尼崎紡績の工場が出来たことから、尼崎は工業都市としての道を突き進むようになる。明治24年には福知山線の前身である川辺馬車鉄道が開通、東西南北を結ぶ鉄道路線の結束点として重要度を高めた。
明治38年に阪神電気鉄道(今の阪神本線に相応)が開業したことは、それに輪をかけた。前述したとおり、街からとんでもなく離れていて「神崎」を昭和24年まで名乗っていた東海道本線の駅とは異なり、市街地を縫うようにこまめに駅を設けた阪神線は重宝された。大正9年には阪神急行電鉄も北端をかすめるように開通し、園田・塚口・武庫之荘といった無毛地帯を宅地化させた。
そして昭和5年、尼崎築港が港を整備したことにより、工業都市としての地位を不動にする。尼崎の歴史はその後の空襲もあり、平坦なものではなかったが、基本的には重工業中心で現在まで来ている。これが西宮・芦屋と違って野武士的、無骨な感じを形成している所は否めないが、大大阪、ひいては関西圏を影で支えている街といえるだろう。
尼崎市民の前述したような意識は、上記のような経緯で形成されたと見てよい。
[編集] 交通機関
[編集] 鉄道
前述したとおり、とにかく南北に路線が離れているため余り競合は見られず、それぞれ独自の分幾を有している。市内に住むなら自転車・原チャリなどが南北の移動手段に必要不可欠。
[編集] JR
尼崎駅と立花駅が東海道本線(JR神戸線)、塚口駅と猪名寺駅が福知山線(JR宝塚線)にある。
市街地から離れたところに敷設された国鉄→JR西日本の路線(東海道本線)がある。立花駅は市役所の近くに設けられており、それなりに重要度が高いが、駅スピーカーはボロい。この化石スピーカーを使用しているのはここと明石市の朝霧駅だけである。またJR東西線開業に絡んで尼崎駅が交通の結束点となったため、同駅周辺の開発も進みつつある。
なお、余談だが立花駅は駅敷地面積に対する放置自転車の数の割合で日本一になったことがある。尼崎市では自転車は使い捨てなのかと思われるがそうでもない。ほとんどの自転車は夜間は所有者の自宅にあるからだ。 また、立花駅はホームがさほど広くなく、普通以外はとまらないので、すごいスピードで快速電車や貨物列車が駆け抜けていく。 そのため、しばしばエクストリームスポーツが開催される。
昔は西宮における阪急今津線と同様、尼崎港線という通称で福知山線の支線が南北に街を横断していたが、都市交通機関として全く役立つものではなかったため、姿を消した。
[編集] 阪神
路面電車発祥というだけあって駅間隔が短く、杭瀬駅、大物駅、尼崎駅、出屋敷駅、尼崎センタープール前駅、武庫川駅(武庫川の橋上駅であり改札は西宮側にもあるが、本線のホームはやや尼崎市寄り)が本線にある。中核は尼崎駅で、JRと同じ名前を名乗っていて紛らわしいという指摘があるが、「自分のところこそ代表に相応しい」という阪神電鉄の自負のためにあえてそうしていると言われている。
尼崎センタープール前駅は関西地域民以外には何があるのか分かりにくいという指摘もある。名前からして水泳場や駐車場(モータープール)でもあるのかと誤解されることもあるが、実際には競艇場である。
[編集] 阪急
園田駅、塚口駅、武庫之荘駅が神戸線にある。JRや阪神と違って「尼崎」を名乗る駅がないが、これはハイソな雰囲気を売りにしているため、実は工業都市を通っているとは沿線住民に思われたくないからだといわれている。
塚口駅からは伊丹線が出ており、伊丹へのアクセスができるが梅田駅への直通列車はない。駅を出てからは半径60mという、かなりきついカーブを通る。車両は40年前に作られた3000系・3100系の4連で、エクストリームスポーツ向きではない。
[編集] 尼崎出身の著名人
[編集] 関連項目

