小渕恵三

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「脳梗塞の怖さを教えておけば…」
小渕恵三 について、栗本慎一郎
「ビルの谷間のラーメン屋」
小渕恵三 について、田中角栄
「小渕さんがお陀仏さんになっちゃった」
小渕恵三 について、田中真紀子


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小渕恵三(-おぶちけいぞう)とは、「平成」と言ったり、在任中に暗殺されたりした(戦後初)総理大臣である。娘は大臣在任中に出産しようとした人。

人柄[編集]

極めて、温厚。たまにキレる。首相在任中には一般人から、有名人までいたずら電話をかけたりワン切りをしたりしているなど、日ごろの温厚からは考えられないことをする。

無類のピザ好きとして知られる。ただしかなりの猫舌で、冷めてないと食えない。

歩んだ道[編集]

生まれてから[編集]

生まれは1937年。微妙な年だなぁとか言ってはならない。26歳くらいで当選したが自分で「私はどうせすぐ落ちるんですよ。そうですよ」と意味もなくすねだした。このことから仇名は「スネ脛小僧」と言われた。その後、幽聖省の政務官だとかなんか知らんがやって、「自分から積極的にやるのが大事」と言い出して、唐突に郵便局の配達物を政務官の権限と称して、郵便局から強奪。配り始めた。配るのはいいがテンテンバララ。東京の郵便物ソ連こっそり送ったり、サンタさんへの手紙を真に受けてその子供に数万円するオモチャをあげたりと悪行が続く。そのせいでしばらくの間、空気と化した。

平成おじさんとしてのブーム[編集]

1989年の1月8日ちょうど正月が終わった日に天皇が意図的に崩御された。その頃、小渕はDAIGO内閣で官房長官を務めるほどの大物となった。そこに天皇が崩御し新年号は「平成」となった。それを伝える人物をだれにしようか決める会議で「総理はああ見えて忙しいし、官房長官は閑古職重要職だから官房長官が言ったら」となり、小渕が言うことになった。これが後のブームにつながるとはだれも想像しなった。 そして発表会見の場で「平成です」と言っただけで「何これ~マジ受けるんですけど~」とヤンママが言ったかもしれない。そこから一気に「平成おじさん」として尊敬されるようになる。しかし本当は金日成に似ていただけで「ワレラガシュセキサマニダ。マンセー」と言っただけである。

首相就任。一発屋に転向[編集]

ヤバベバビなど有名人や山田太郎を含む一般人にいたずら電話を掛けたりしている。 在任中はオザワ公明党と連立を組んだり、国旗・国歌法を通しちゃったりと一発屋らしからぬ活躍をする。

Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

暗殺される[編集]

ある日のこと。小渕はオザワの問題で頭を抱え、いろんな人に相談していた。その後のぶら下がり会見で時々、黙り込む仕草が見られた。その後、倒れた。表向きには脳梗塞と言われたが実はオザワもしくは木木木が小渕を思い切り殴り殺したという。しかし例の如く検察も調べようとしたら抑え込まれ、事件はなかったことにされた。しかし小渕が死ぬ直前に「自分の後の内閣は1年でやめるようになれ」と呪いをかけたため後続の内閣は1年ちょうどもしくはそれ未満で総辞職するようになった。小泉内閣の例は誰も気にしない

天国で首相?[編集]

最近、天国にて小渕恵三が首相になったという説が浮上した。この説を唱え始めたのは某年寄りの倶楽部党首が一度、天国に行きかけた時に「君は来ないでくれ。今、私は天国の首相だ。もし君がこちらに来たら、どうせ『小渕降ろし』を始めるだろう。だから辞めてくれ。」と言ったと某党首は語る。どうも政界再編を影で操っているのは小渕のようだ。

関連項目[編集]

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小渕恵三が放った発言は、後世の物好きのために、有志たちによって「Unquotable/政治家」へ収録されています。