小林一三

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小林 一三(こばやし いちぞう、1873年1月3日 - 1957年1月25日)は、阪急電鉄の創業者であり阪急王国の初代国王である。鉄道関係の先駆者、挑戦者かつ予言者としても知られている。

経歴[編集]

富士山の裏手で生まれ育つ。大阪市へ証券会社設立の為に派遣され、現地でその話が突然消えたもので浮浪者になってしまったが、たまたまそこで阪鶴鉄道関係者が設立を予定していたものの、話が進んでいなかった箕面有馬電気軌道の話を聞き、その支配者として実権を握ることになる。

当時、大阪の街は御堂筋のような大通や上下水道が整備されておらず、赤痢などの伝染病が蔓延し、日本一「醜悪な街」と呼ばれる有様であった。小林はそれを嫌い、「ミミズ電車」と揶揄されるほどの農村地帯を通っていた自社の沿線(現在の阪急宝塚本線)を、大阪と別世界の理想郷にすることを目論んだ。その先駆が池田豊中における住宅開発で、後には宝塚を阪急王国の中核として宝塚歌劇団や温泉開発をするところまで進んだ。

そして大正に入ると、都市間電車となることによって一層の発展をなすべきと考え、神戸市へ向かう神戸本線を敷設、宝塚線同様に沿線開発を積極的に行った。西宮市芦屋市、神戸市の北部が高級住宅街と化したのは、彼によるイメージ重視の開発戦略の成果といって過言ない。また、先行して開業していた阪神電気鉄道の間では猛烈な対立・競争を生じたが、路面電車に毛が生えたような阪神電車と違って駅間距離を長く取ったため、各駅周辺の開発は阪神より丁寧に行われたといわれている。駅前が整然とした印象を受けるのは、この様な要因によるとみなしてよい。

昭和に入ると、恐慌の中でも大阪のターミナル駅である梅田駅に自営の百貨店を設けたり、阪神に対抗して自営球団の「阪急ブレーブス」設立と西宮球場開発を行ったりしている。これらの施策の結果、阪急の沿線はそれ独自の文化圏を有し、ハイソな雰囲気を持つものとなった。

その経営手腕に目をつけた当時の為政者により、商工大臣として入閣するも戦後派公職追放となった。

なお小林には、極めて執念深い面があったことでも知られている。例えば有馬温泉へ路線を延ばす計画が立てられたとき、温泉宿から日帰り客が増えて商売の邪魔になるとして反対を食らったため、「それなら絶対に線路は引かん」と社内でこの件に触れることをタブー化させた。更には、他社が同地へ路線を引き込もうとする際にも、妨害工作を行ったといわれている。

予言者 小林一三[編集]

小林が鉄道関係で予言したこととしては、以下のようなものがある。外れたものももちろん多いが、当たったものも少なくない。

乗客は電車が創造する
「ミミズ電車」と呼ばれた宝塚線の沿線を開発し、それによって乗客を増やした手法に基づくもので、鉄道事業者は沿線開発など乗客誘致のための施策を取るべきだというもの。これは阪急以前にも、阪神電気鉄道などで部分的に取り入られていたことではあるが、現在の鉄道事業者の多くのように複合企業となった姿を想定していたものとみなせる。
便利な所なら暖簾なしで客が集まる
梅田に鉄道事業者自営の百貨店を設けた際、過去に事例の無いことであるから「失敗するだろう」と嘲笑された意見に対抗したもの。実際にこの阪急百貨店は成功を収め、後にはほとんどの大手私鉄が駅前に百貨店を設置した。大手私鉄で自社系列の百貨店を一度たりとも開店させたことがないのは南海電気鉄道相模鉄道西日本鉄道くらいである(実はこの3社も系列ではない百貨店の大株主だったりするのだがそれはまた別のお話)。
地下鉄道の時代は既に去った
関東大震災を体験した小林一三が、日本では地下鉄は危険だからその敷設は適さないとしたもの。結果的にこの予言は外れたが、自社の神戸線を三宮駅へ乗り入れさせた際、その信念だけは神戸市に反対されても貫いて高架線にした。しかし阪神・淡路大震災の被害状況を見れば分かるとおり、これはむしろ逆効果になってしまった(高架の阪急・JRより地下線の阪神本線の方が被害は少なかった)。
そのうち紙の電車が走る
大正から昭和初期にかけては、電車といえば鋼鉄製の頑丈な物が好まれていた。事故を起こした際の被害が少なくなるという理由に基づいていたが、小林は昭和11年にそもそも事故を起こさないようにすることのほうが大事で、それさえ果たせれば軽量なものの方が効率を考えれば好ましく、極端な話「」でもいいと考えていることを表明した。これは後の走ルンです等で現実のものとなるのだが、2005年の事故時の車両のように、「事故を起こさないようにする」という前提が崩れた事による弊害例も見られた。
国鉄は民営化すべき
昭和初期、鉄道省という国の直轄で運営されていた国有鉄道に対し、民営化すれば開発事業が可能になり、創意と責任に基づく活気ある経営が可能になると昭和初期の段階で既に述べていた。小林の死後、現実のものとなる。
電鉄会社によるリーグ球団構想
大正期、アメリカ合衆国野球がブームになっていたことから、鉄道事業者がプロ野球球団を持って競わす構想を抱き、先行して実際に自分の所で球団を設立した。このときは失敗に終わるのだが、昭和10年代から「タイガース」をはじめとして電鉄球団がいくつか生まれ、完全ではないにせよ部分的にその構想が実現した。
自らの球団は、なんちゃって近鉄バッファローズとして消えていったが、阪急王国としては「タイガース」を取り返したから誰も気にしない
鉄道は沿線住民の為にただで動かすべき
阪急王国の最終形態として彼が想定したもので、鉄道会社はその運賃収入で採算を取るのではなく、副事業のみで運営が成り立つようにし、沿線住民に会社の株を保有してもらって彼らの為に電車を動かすべきだと主張していた。事実副事業(歌劇部=ヅカ)だけで飯を食っているわけだが。
宝塚歌劇団は「国民劇」を目指して「男女混成」とすべき
宝塚歌劇団を立ち上げたとき「国民劇なのだから男女混成は当然」という考えをもって「男子部」を立ち上げたが、周囲から「殿ご乱心を」とレビューへの出演を拒まれ、結局「影ソロ」のみで終わった悲運の存在。別にこれは冗談ではなく「宝塚BOYS」という劇作品にもなっているし、そこから松竹楽劇部に逃亡した者もいる(青山圭男[1])ことは意外に知られていない。この予言は100年経っても成立していない。おそるべき「女性王国」でおやだれかきたようだ

関連項目[編集]

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小林一三が放った発言は、後世の物好きのために、有志たちによって「Unquotable/実業家」へ収録されています。


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