富田長繁

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富田長繁(とみた ながしげ)は、日本戦国時代の荒くれ者。

概要[編集]

朝倉氏の家臣だったが織田信長に降り家名を保った。と思ったら伊勢長島一向一揆征伐での恩賞が無いという不満の憂さ晴らしもあって悪政の限りを尽くして、それから半年ほどの間に越前一向一揆を呼び込み越前国を血と混乱と恐怖のズンドコにおとしいれる。そんなこんなもあって織田氏の越前統治、北陸攻略・経営に重大な支障をもたらして自分は合戦の最中、味方の小林吉隆に裏切られ、背後から鉄砲で射殺された。

同じ軍に属すれば殺されるはずもないと思っていたらいつの間にか死ぬ。仲良くなったからと言って彼の家に朝ごはんに食べに行くと死ぬ。そう、彼は極度の恥ずかしがり屋であるのだ。

長繁と関わった方達の末路[編集]

朝倉義景は普通に裏切られ、林新次郎は一緒に出撃したらいつの間にか死んでいた。桂田長俊は一緒に裏切ったのにいつの間にか怨まれていて殺された。余程がなかったのだろう。魚住景固は飯食べに行ったら殺された。大体長繁と共に人が油断すると言われている飯時を過ごそうとしたのが間違いである。

朝倉景綱はこいつの扇動した一揆に攻め立てられ行方不明になった。鞍谷御所もまあ大体似たようなもんである。二人とも運がなかったの言葉で片付けられる。気付いたら周りの奴らが皆死んでたのは土橋信鏡だ。もちろん本人も死んだ。溝江長逸は追い詰められ一族まるまる自害した。一族まるまる潰すのは長繁の中で一番アツかったに違いない。

府中町衆は長繁の味方になれば怖い物無しと思ったのか長繁と手を組むが、周りはこいつが虎の威を借る馬鹿だと知っていたので攻めまくる。逆に本願寺に味方したら死んだ。その点、専修寺派は手を結んだ直後に死なれただけなのでまあいいんじゃない。ともかく、長繁と関わったのが運のつきであり、ご愁傷様としかいえないのである。

その他詳細[編集]

越前軍記にある限られた記述だけからも悪い意味で凡庸でない人物であることが伺われるが、短くもケイレツな逸話からあんまり嘘八百も書けないようである。下手な嘘をつこうとすればきっとどこからともなく長繁が現れるだろう。皆さんも、今夜は家の戸じまりをしっかりとしたほうが良い。

関連事項[編集]