家本政明

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神の肖像画

家本 政明(いえもと まさあき、旧姓:神武天皇、現姓:當麻、紀元前711年~585年+1973年~)は日本サッカー界を支配する偉大なる王。

来歴[編集]

神武天皇時代[編集]

歴史的な行動については神武天皇の項を参照の事。当時から黄色の神もとい紙と、赤色の紙を肌身離さず持っており、気に入らない家臣や、戦で敗戦した部下に対して黄色の紙と赤色の紙を乱舞して次々と自陣営から追い出して行っていた。

気づくと家来の人数が毎年半減していっており、このままでは軍団が崩壊すると危機感を持った家来達が紀元前587年にクーデターを起こし、家本は南極大陸の氷河まで連れて行かれて無期限冷凍処分される事になってしまった。南極大陸への輸送に約2年を費やしたという記録が残っている。

現代サッカーの神に[編集]

冷凍状態からの復活

1973年6月2日、日本の南極探検隊がキャンプ地のテントの中で花札で遊んでいたところ、突然地中から家本が出てきた。後年、「赤短!」という単語が聞こえてきたと家本はコメントしている。

生きざまを求めて

2500年以上にも渡る冷凍状態から現世に復活を果たしたが、それから20年近く生き様を求めて日本中をさまよっていた。事あるごとに赤い紙を振りかざし、自分が日本の支配者である事を顕示しようとしたが、誰からも理解されず、挙句の果てに「病院逝け」とあちこちから罵られる状態だった。

審判員に

その後、赤い紙を振りかざしても異常者扱いされない職業を探すようになり、サッカー審判員という仕事がそれに該当することが分かった。

まず、1992年に4級審判員の資格を取得。数試合冷静に審判し続ける⇒次の試合で突然意味不明なジャッジをしまくる⇒さらにレッドカード・イエローカードを乱舞しまくる⇒最初に戻る・・・という流れ自体は一貫しているレフェリング姿が世間から評価され、わずか4年後の1996年に1級審判員の資格を取得。以降も出世を続け、2005年にはスペシャルレフェリー(現プロフェッショナルレフェリー)という王の職位にまで出世した。

記憶に残る神の軌跡[編集]

スーパー家本

全て2000年以降の出来事である。

2005年[編集]

J2第16節(6月11日)、サガン鳥栖-ザスパ草津

2005年最初の家本神の強権発動指定試合。ペナルティエリア外でのDF(鳥栖)側ファウルに対してPKを与えるという強権を発動。それを見て鳥栖のGKが発動理由を聞きに来たが、家本神の半径20m以内に入った時点で「下僕の分際で近寄るな」と黄色い紙を提示される。さらにその後草津側の選手が1人でバランスを崩して転んだ時にも強権を発動し、草津にPKを与える。強権発動の理由は「転んでしまってかわいそうだったから」とのこと。

J1第29節(10月29日)、浦和レッドダイヤモンズ-川崎フロンターレ

川崎FWが浦和GKと交錯し、浦和GKが川崎のFWを突き飛ばす形で場内バトルが発生。家本神が急遽バトル審判員となり、2分後、浦和GKの勝ちと判定し、川崎のFWにレッドカードを提示して退場させた。その後、場内バトルの余韻が残っていた家本は黄色い紙を乱舞し、試合後、川崎監督から「我々を勝たせてくれない『神の意向』が働いていた」というコメントが発せられた。

2006年[編集]

J1第16節(7月29日)、大分トリニータ-川崎フロンターレ戦

2006年の強権発動指定試合。しかし発動しすぎてしまったらしく、双方のサポーターから「家本辞めろ!」コールが起きる事態に発展。自宅警備員に守られながらスタジアムを後にしたという。

J1第21節(8月30日)、鹿島アントラーズ-名古屋グランパスエイト

試合後、名古屋の監督が神の判定に対して怒っていたのを見て、家本神が応戦。周りの家臣と選手・スタッフ達に止められてこの番外試合は引き分けとなる。この直後、家臣団による緊急会議が開かれ、家本を強制海外島流しにするというクーデターが勃発。しばらくの間失脚することになる。

2007年[編集]

サッカーの審判活動を家本自ら1年間謹慎する事にした。これを見ていっそのこと永久に謹慎して欲しい勿体無いと思ったエクストリームスポーツ実行委員会の心遣いにより、1年間の契約社員としてエクストリームスポーツの審判員に就任した。所謂非正規雇用である。このニュースを見たエクストリームスポーツの競技者達は一斉に恐怖感と戦慄感を覚えたが、いざ審判活動を始めたところ、意外と統一された判断基準を披露し、結果的にエクストリームスポーツの普及に貢献した。エクストリーム・謝罪の決戦投票にもひっそり参加していたが、自らの参加は頑なに拒否していた。

2008年[編集]

ゼロックススーパーカップ(3月1日)、鹿島アントラーズ-サンフレッチェ広島

家本の復帰戦であったが、いきなり最後のPK戦で「ゴールキーパーの飛ぶ姿とタイミングが美しくない」との理由で何度もPKをやり直させるご乱心ぶりを披露。この直後に、家本は日本サッカー協会の手により再び幽閉されてしまった。

2011年[編集]

清水エスパルスVSモンテディオ山形戦(六月十五日) 決勝点のPKに対し山形の選手数人が家本に「なんで?」と身分の低いものが話してしまい家本が「バカ うるせえ」といい神の本領を発揮した。


2015年[編集]

鹿島アントラーズVSアルビレックス新潟(4月12日) 前半から熱い戦いを繰り広げる両者に気をよくする家本神。 新潟の川口尚紀がペナルティエリア内で鹿島DFにより倒されるが、「我はすこぶる機嫌が良い」とこれを華麗に黙殺。 そして、試合終了直前に新潟が左サイドから何でもないクロスが上げるが、お気に入りの家臣GK曽ヶ端がファンブル。 こぼれ球を新潟の山崎亮平が詰めたところへ前からは曽ヶ端のアゴ、後ろからDFの足に挟まれ誰もがPKと思った刹那。 「我はすこぶる機嫌が良い」と、またしてもこれを華麗に黙殺。 直後に試合終了し、詰め寄る平民の新潟選手にカレーを贈呈。神はこの日も試合を思い通りに操りピッチを去った。

アラカルト[編集]

医療方面にも進出しており、家臣を従えて総回診を行う事がある。(回診風景)

関係者のコメント[編集]

「家本様は、カードだけで全てを語れるです。「して」なんて恐れ多くて言えません。」
家本政明 について、西村雄一

関連項目[編集]


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