宍戸隆家

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宍戸 隆家(ししど たかいえ、永正15年(1518年) - 文禄元年(1592年))は戦国時代、広島県でししとうの栽培で有名になったサムライ八田知家の子孫で宍戸元源の嫡男。

武勇の誉れ高く、ししとうを口に含んでからの火炎放射などで尼子家を撃退するなど数々の武功を重ねたが、毛利家から嫁に来た女子の尻に敷かれ、いつの間にか同格であったはずの毛利家のポチになってしまったややマヌケな面もある武将。だが相手が元就じゃしょうがない。

むしろ粛清されずに毛利家重臣として働きを為したことだけでも十分名将と言える。幼名は海賊丸だが、当時の宍戸氏の領土は海と隣接しておらず、険しい山々に囲まれた場所だったので、山賊丸の方が合ってそうな気がするが、名前の響きが格好良いから海賊丸と名付けられた。多分。

人物[編集]

毛利家と宍戸家はそれぞれ「オクラの毛利」・「ししとうの宍戸」と呼ばれかつては仇敵同士であった。隆家の父元源は元就の父弘元の代より幾度と毛利家の前に強敵として立ちはだかった。また、歴代の宍戸家当主は五龍真拳と言ううさんくさい鋭角的かつ変則的な拳法の使い手であり、ゲリラ戦のような地の利を生かした戦法と相まって白兵戦においては宍戸は無敵に近かった。

この宍戸を、元就は政略結婚によって取り込もうとし、次女を隆家に嫁がせる。元就の次女は一国一城の主の如く育てられて元就譲りの知恵と度胸を持つ女傑であり、さらに物覚えもよく、宍戸家に嫁いだ後にいともたやすく五龍真拳を会得してしまい、あっという間に宍戸家は彼女に制圧されてしまい、隆家は彼女の尻に敷かれてしまった。隆家がわりと好人物であったのも災い(?)したのだが、同じように養子をもらいながらも怪しげな動きを垣間見せ野心を隠そうともしなかった吉川興経粛清されているのと比べると、世渡り上手だったといえるかもしれない。隆家は終生毛利家の重臣として活躍し、宍戸家は後に長州藩の一門筆頭家老となっている。武将としては十分の器量を持っているが、妻があまりにも強すぎたことと、その父である元就やその三人の息子達と同年代を生きたために影の薄い人物になってしまっている。ちなみに、その嫁は毛利家でも稀代の女傑だったらしく、元就や毛利三兄弟は同情し、何かにつけてお互い助けあっていたという。このため、若いうちから毛利家にとっては重要な地位についていた。なお、宍戸家の長州藩での席次は首座である。つまり一門筆頭。毛利姓の一門家老よりも上座になっている。

1592年没。74歳の天寿を全うしている。当時としては結構な長命である。そりゃあんな嫁さんの旦那やってるには丈夫じゃないと持たないだろう。

関連項目[編集]