安土城
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
安土城(あづちじょう)は、織田信長の居城で大規模な世界最強の軍事要塞であると共に、豪華絢爛な宮殿でもある。滋賀県の安土町にある。番組(NHK大河ドラマ)後半で空が飛べるように改造された。
[編集] 要塞としての安土城
安土城は織田信長が権勢を見せびらかすために建築した実用性無視の城と言われているが、実際は対本願寺・対武田・対毛利の後方支援としての拠点として作られた事が近年わかってきた。火力として劣化ウラン弾を発射する三連装15.2寸巨大主砲3門及び5.1寸副砲4門、高射砲6000機という大火力を誇り、また陸上戦力においても常駐兵力20万人・戦車保有数5万台を有している上、何かあった場合は前田慶次や柴田勝家が突っ込んでくる。どれをとっても最新式の精鋭である。この馬鹿馬鹿しいほどの戦力は、最強厨の野比のび太を相手にするためのやむをえない処置である。
もっとも当時信長の天敵であった忍者相手には無力ではあったが(これが後の天正伊賀の乱勃発の原因ともなる)。
[編集] 歓楽街としての安土城
難攻不落の様相をしているが城下はかなり遊び場が揃っている。信長自身が遊び人と誤解されるが、信長が命じて作らせたのは郭(くるわ。だが遊郭のことではない!)と教会、千利休のための特別な茶室くらいであった。
城下町の大部分を整備したのは羽柴秀吉である。ちゃっかり者の秀吉は、構造設計を姉歯秀次一級建築士に依頼し築城資金を安く上げた。そして剰余金で城下に歓楽街を造ってしまったのである。後からそれを知った信長は「ばかもん!」と怒ったが、出来てしまったものはしょうがない。しぶしぶ住むことになったのである。
信長は城下に楽市・楽座を敷いたため、行商人らで大いに賑わった。秀吉が造った温泉・キャバレー・ソープランドなどは彼らに大好評だった。もし糞真面目な明智光秀が造営していたら城下にそんな歓楽街はできなかっただろうから、行商人が不満を垂れていたかもしれない。
[編集] 消失
そんな安土城だが、1582年の本能寺の変の直後に指揮系統の混乱を突いた明智方に攻められ焼失してしまった。だが姉歯建築士が建てた缺陥城郭は、縦え焼けなかったとしても1586年の天正大地震で潰れていたことだろう。なお後に歓楽街は雄琴温泉へ移転させられた。
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