安倍辞任

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安倍 辞任(あべ の やめとう、生没年不詳)は平安時代の武将。初名は責任(せめとう)。陸奥に穢れた朝廷の干渉がない美しい国を建国しようと大望を抱いた奥六郡の支配者安倍頼時(あべ の よりとき)の十三男。貞任(さだとう)の弟。

一族中の対外強硬派最右翼で戦時体制の強化を主張し、要所となる晋三柵(すすみのさく)を任されて前線を指揮した。しかし朝廷が派遣した源頼義軍に大敗を喫し、続く頼義軍来襲を前に敵前逃亡したため柵は突破され、安倍氏滅亡の一因をなした。逃亡の動機には諸説あれど、父や兄を裏切り一人敵前逃亡した愚物、その政治的スタンスの割には腰砕けのチキン野郎、いざ強者を相手にすれば尻尾を巻くポチとの評価が定着し、長らく扱き下ろされていた。

しかし、現在では安倍再任(あべ の さらとう/またとう)という人物との同一人物説が唱えられ、辞任の評価が変化しつつあるとされる。

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生涯[編集]

幼少時より国語力が欠乏していたり叩かれて三秒してようやく痛覚を感じるなど、兄たちと比べて愚鈍で頼りない人物であった。脳に障害があるのではないかと危ぶんだ父の頼時は、僧昭恵(しょうけい)を招き祈祷をさせ辞任の心中に巣食う邪念を払わせたところ、見事奏功、辞任は真っ当な人間となった。それでもなお、自分の初名である責任を一文字の漢字だと思い込むなどノータリンの片鱗をしばし見せ、また落雷程度で震え上がって硬直し部屋から一歩も出れなくなるなど生来の臆病さに磨きがかかってゆくが、頼時は「どうせ十三男だし少しばかりヌケたところがあっても安倍一族に害を為すこともあるまい」と放置を決め込んだ。

しかし矯正されなかった辞任の臆病な性格は、結果として頼時や長兄の貞任の足枷となった。前九年の役において、頼時は源頼義に誑かされて離反した一族の小沢一郎富忠(おさわ の いちろう とみただ、安倍富忠)を討伐すべく軍を差向けたが、道中富忠の奇襲を受ける。この時、辞任は最前線を任されており、本来ならば父を護り戦わなければならない立場にあったにもかかわらず、突如降り注ぐ矢の雨に恐れをなしてパニックに陥り真っ先に逃亡、そのため指揮系統が乱れ、頼時は乱戦の最中流れ矢を受けて死去する。貞任はこの一件に激昂し、平謝りする辞任をその場で斬罪しようとしたが、辞任を格別可愛がっていた次兄の宗任と人格者で知られる藤原経清(頼時の女婿)の取り成しもあって許された。

その後、源頼義が出羽の豪族清原光頼を味方に引き入れて総攻撃を仕掛けた際、辞任は再び取り返しの付かない失態を犯してしまう。要所の一つであった晋三柵の防衛を任された辞任であったが、よりにもよって若くして武勇の誉高い頼義の嫡男八幡太郎義家(はちまん たろう よしいえ、源義家)がここに押し寄せた。怒号を飛ばし肉迫する義家に辞任は狼狽し、こともあろうにその日のうちに一人夜逃げしてしまう。このため晋三柵はいともたやすく陥落し、ここから一斉になだれ込んだ頼義軍によって本拠地厨川柵も一気に落とされ、安倍氏は滅亡する。

敵将であった義家は「比類なき親不孝者にして、かの者ほど羞恥弁えぬ漢未だ嘗て知らず」と憤慨し、逃亡した辞任を草の根分けても探し出し八つ裂きにせんとしたが結局行方は知れなかったと伝えられる。

近年新たに、辞任は逃亡したのではなく実は晋三柵で腹を下し脱糞してそのまま失神したのだという説が登場した。それによれば、失神してうつ伏せになった辞任は頼義軍の盲点に隠れた格好で、探索の過程で多数の馬蹄に蹴られて気が付いたが、仰向けになるのがやっとだった。だがもはやマトモに動けない辞任をさらに探し回る馬たちが踏みつけにしてそのまま息絶えた。その時に顔がグジャグジャに踏みつぶされ、鎧も部分部分引きちぎられ、識別できないところまで破損したため、辞任の遺骸とは判断されなかったというのである。

辞任がその日に食べた氷付けの果物の種子複数が晋三柵と見られる場所から発見されており、そこから人骨が発見されたことと併せて、辞任は晋三柵が陥落してすぐ頼義軍が駆る馬に踏み殺されたのではないかとも考えられる。

安倍再任、安倍ノ神輿との関係[編集]

前述のように、近年では安倍再任さらとう あるいは またとう)という人物が辞任と同一人物であるとの説も提唱されている。

出羽の踏襲俘囚麻生太郎武貞(あさお の たろう たけさだ、清原武貞)と手を結んだ再任は、源氏の勢力が後退した後の陸奥において安倍氏の勢力を再興し、さらに金の産出量を劇的に増やすことに成功して経済的繁栄を築き、奥州藤原氏の黄金時代につながったと説かれる。これを伝える確実な史料は無いが、晋三柵があったとされる地域には繁栄を讃えて始まった安倍ノ神輿(あべのみこし)という祭礼行事とともに伝承が残っている。安倍ノ神輿は、人々が神輿と大きな三本の矢を舁き、17世紀以降は黒田砲と呼ばれる空砲を鳴らしながら町内を練り歩く。時代が下るに連れて神輿の舁き手は女性が中心となり、「パー」の掛け声とともに激しく上下運動を繰り返すため、極めて軽い素材で作られるようになっている。最後に安倍神社の神主が「安倍ノ神輿は来年も舁いです」と宣言して締めくくられる。

こうした金の増産や次々に打ち出される祭礼行事が奥州・日本を遥かに超えて環太平洋全域からも注目を集めて交易の盛況をもたらし、黄金時代を現出したとする評価がある一方、伝承をそのまま信じることはできず実態は空疎だったという見方もある。

ともかく一定の経済的成果を背景に、再任はかねてより抱き続けた安倍氏敗亡の遺恨を、朝廷の中枢にあって自らは軍事に関与せず平和を謳歌する貴族とりわけ摂関家である九条家に向け、打倒九条を標榜して軍備を整え、さらには自らが皇位の継承を左右する地位まで上らんと密かに念願したが、それが後に九条家と手を結ぶ源頼朝による征伐を招き、奥州藤原氏とともに再び安倍氏が滅亡する結果につながった。

同地域にある再茶蓮寺は、僧昭恵が初代名誉住職開山となり再任の菩提を弔うために創建したと伝わるが、そもそもその土地は安倍氏の権勢を恐れる国衙の役人の忖度から不当に安い価格での購入が可能になったものであり、その際には「奥六郡の最高レベルが言っている」など再任側の圧力があったともとれる文言を記した国衙の文書が付近で発掘された壺の中から見つかっている。

人物[編集]

  • 辞任が幼い頃に彼の祈祷を勤めた僧侶の昭恵(しょうけい)は彼の教義の師でもあり、辞任はこの僧侶に師事していた。しかし一方でこの昭恵は「平安時代の細木数子」と呼ばれるほど胡散臭い人物であり、源頼義と内通していた疑惑も浮上している。辞任はこの僧侶に洗脳されており、夜逃げも全て昭恵の指示によるものであった可能性が高く、辞任はむしろ昭恵に振り回された憐れな被害者であったのではないか、と同情的見解を示す史家が、前九年の役から1000年近く経過してからちらほらと現れるようになった。
  • 彼は頼時の死因を作ったことと、夜逃げをしたことの二点のみで必要以上に貶められていると言わざるをえない。局地的な合戦では武功を挙げており、また国府軍との外交などにも赴いている。また夜逃げや敵前逃亡に関しても、部下らが辞任を煽った、また混乱する部下を纏めきれずに巻き込まれてしまっただけの可能性が高い。しかし、辞任は自分に近しい友人や一部の文官を優遇して他の部下には冷淡であったため、秘かに恨みを抱く者も少なくなかったといわれる。一流の将であれば周囲に流されず、自軍を纏め上げる指揮能力と冷静さは持っていて当然のものであり、辞任に将才が欠如していたことは否定できないだろう。カイザー・ラインハルト曰く、無能であることが悪徳とされない平和な時代に生まれていて、国家や軍を率いる役職に就いていなければ、汚名を着る事はなかったかも知れない。
  • 毛利小平太など、赤穂浪士の脱藩者達にその境遇を重ねられることが多い。しかし、大石内蔵助らの独断に巻き込まれただけの脱藩者たちと、責任ある立場にありながらそれを放棄した辞任を同列に語るべきではないとする厳しい見解もある。

「炎立つ」における辞任の活躍[編集]

高橋克彦作の時代小説「炎立つ」において、敵前逃亡どころか辞任は事前に頼義らと内通して敵陣に投降し、寝返っている。しかしそれは頼義達の眼を欺くための偽りの投降であり、厨川総攻撃前夜勝利を確信し弛緩している頼義の寝首を掻かんとする。結局義家に察知され辞任は斬り捨てられ、安倍一族の勝利を願いながら息絶える。広く膾炙している人物像とは異なった男気のある辞任が見れるので、未見の人は是非読むべし。[1]

関連項目[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 他の小説家もそうだが、とりわけ高橋克彦は人物をカッコよく見せるためなら平気で史実無視を行う為、これが史実だと鵜呑みしないように。また史実と違うなどとケチをつけないように