嫌な予感

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嫌な予感(いやなよかん)とは、世界が現実か虚構かを区別するリトマス紙のこと。

一例[編集]

現実の世界の場合・ケースI[編集]

あなたがいつも通り通勤、通学していると、目の前を黒猫が横切り、突然靴紐が切れ、更に家の軒先にあった花瓶が地震でも無いのに倒れて割れた。これは尋常ではないことが起こるに違いない、そう懸念した貴方は、すかさず家へと引き返す。しかし実際には何も起こらず、むしろ無断欠勤という悪い結果を惹起してしまうことになったのだ。

現実の世界の場合・ケースII[編集]

山道を歩いていると道が二方に分かれていた。両方とも、谷を渡るための橋が架けられている。片方の橋は整備されていて安定しているが、もう片方は老朽化していて今にも崩れそうだ。整備されている橋の方を通るのが妥当だろう、と、あなたと同行していた他の同行者達は、整備されている橋の方を渡っていった。あなたも同行者達に従おうとしたが、その瞬間、頭の中に、橋が崩れて同行者達が谷底に転落して行く光景が突如映し出される。これは安定している方の橋が崩れるという神の啓示である、そう判断したあなたは、もう片方の老朽化した橋を渡っていった。果たせるかな、老朽化した橋は音を立てて崩れはじめ、あなたは谷底へと滑落していった。ざんねん、あなたのぼうけんはここでおわってしまった。

虚構の世界の場合[編集]

物語の主人公であるXは、登山仲間数人と共に雪山に登り、一晩を山小屋で過ごした。翌日、登山仲間と共に出発しようとしたが、漠然とした不安に襲われ、この山小屋から出ない方が良いと判断、仲間達にも山小屋から出ないよう推奨するが、仲間達はこれを杞憂であると一笑に伏す。結局、X一人だけが山小屋に残り、他の仲間達は山小屋を出発してしまう。現実の世界であれば、この時点で最も死のリスクが高いのはXの方である、ところが、神の見えざる手によって都合よく雪崩が発生、登山仲間達は皆雪崩に呑まれ、X一人だけが生存することとなった。

本題[編集]

現実世界における嫌な予感というものは、往々にして空振りに終わる事が多い。ところが、小説など、物語の世界においては、極めて高い的中率を誇るものである。そして、その極めて高い的中率を誇る予感を感じるのは、主人公並びにそれに比類する主要な登場人物であることが殆どである。このような描写を入れることで、嫌な予感を感じた人物が特別な存在であることをアピールしようという作家の意図がそこには伏在している。そして、ある人物を特別な存在であるとアピールしようとする最も手軽な手段の一つとして、この嫌な予感が用いられるのである。

さて、嫌な予感を感じたこと自体は、現実の世界に生きる多くの人が感じているだろう。しかし、物語の世界と違って、現実の世界には主人公も特別な存在も存在しないし、作り手の意図も全く介在しない。それゆえ、嫌な予感のみに依存して自分の行動方針を決定するのはナンセンス極まりないのだが、宗教への信仰が深い人や、自分のことを特別な存在と思っている人、ドラマや小説など、架空の世界を見すぎている人は、これを天啓、あるいは予知能力であると都合よく解釈して、その嫌な予感に基づいて行動してしまう傾向がある。その結果、かえって自分を窮地に追い込んだりすることも往々にしてある。

結論[編集]

  • 宗教に没頭しすぎない。
  • 自分を路傍の雑草ではなく一輪の花だと考えない。
  • 現実と混同するほど架空の世界に夢中にならない。

この三点を遵守すれば、嫌な予感に振り回されて判断ミスをすることはなくなるだろう。