妙国寺

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妙国寺(みょうこくじ)とは、大阪府堺市にある日蓮宗の寺。知る人ぞ知るマニアックな寺である。

概要[編集]

日蓮宗の学僧であった日珖が、1562年に建立し、1583年までに伽藍がほぼ完成させたのだが、金を出したのは日珖の父親であった。

領地がそこそこ広かったこともあって、建立直後はいい気になってブイブイいわせていたのだが、1615年の大坂夏の陣で伽藍が焼失。めげずに三重塔を完成させるなどして江戸時代中になんとか再興するも、明治維新後に何の因果かどんどん規模が縮小していった。それでも境内の敷地面積は2710坪とまずまずの寺院としての立場を保持していたが、1945年の堺大空襲で伽藍の大半を焼失。自慢の三重塔も失われた。

蘇鉄[編集]

妙国寺境内にある樹齢千百年とも言われる蘇鉄は、織田信長とゆかりがある。植物にさえ欲情するほどの変態性欲の持ち主である信長が、見事な蘇鉄であるとして一目惚れし、安土城に移植させた。すると、毎夜「堺に帰りたい」と蘇鉄が泣いた。激怒した信長がで切りつけたところ、蘇鉄は切り口から鮮血を流し、がのたくるように悶絶したという。さすがの信長も気味が悪くなり、妙国寺へ返されたという伝説がある……のだが、明らかにである。植物が喋ったり出血したり動いたりするわけがない。信長と堺衆との微妙な関係の推移を考え合わせれば、だいたいこの伝説に隠された駆け引きが見えてくるはずである。もちろん、本に書いてあることを丸呑みにするだけの頭の固い辞典には、こんな歴史の裏側までは書かれていない。

そんなわけで、この蘇鉄は1924年にめでたく天然記念物に指定された。

堺事件[編集]

1868年、フランス人水兵が許可もなく堺市内に侵入、しかも乱痴気騒ぎまでやらかしてくれたので、治安維持を任されていた土佐藩警備隊が出動、不遜なフランスパン野郎どもに怒りの銃弾をブチ込んだ。この事件は国際問題にまで発展し、ことなかれ主義の明治新政府は、賠償金支払いなどフランス公使の要求を飲み、土佐藩士20名にエクストリーム・謝罪を命じた。現代のような頭を下げるだけの謝罪とは違い、当時のそれは当然ハラキリである。

事件の八日後、彼らが駐屯していたのが妙国寺だったこともあり、本堂の前の庭で土佐藩士たちは次々に切腹した。ところが、立ち会った日本・フランス両国の代表が、割腹の鮮血淋漓たるあまりの壮烈さとグロさに吐き気を催したり失神したりしてしまったので、20人中11人だけでハラキリショーは中止された。その後、妙国寺に隣接する宝珠院に切腹した土佐藩士たちは弔われた。

ちなみに、当事件を題材にして、森鴎外は壮大なスペースオペラを書き上げた。

関連項目[編集]