大祖国戦争

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ヨシフ・スターリン同志が
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ソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会認可
本項の文章と内容は、完全に正しい事実としてソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会第10課長により認定されており、
全ての無産階級人民と、ソビエト連邦共産党員に見せることが認可されています。
この資料を疑うことは思想犯罪であり、疑った場合は国家反逆罪の対象とされます。
国家反逆罪とされた者に対しては、KGBよりポロニウムまたはシベリア鉄道の切符が無料で贈呈されます。

大祖国戦争(だいそこくせんそう ロシア語: Великая Отечественная война)とは、偉大なるスターリン同志が独伊日のファシスト勢力をあらゆる点で凌駕した20世紀に誇るべき偉大なる戦績である。その神のごとき戦術は、あらゆる点において前人未到の記録を刻んでおり、「第二次世界大戦」なる米国帝国主義的な大戦の呼称を必ずや塗り替えることであろう。

(モスクワ大祖国戦争博物館[1]認可)

ウラー!!我らの大祖国戦争!!

大戦前の神策[編集]

トロツキー中二病セカイ革命集団を打倒して権力の座に就いたスターリン同志は、ロマノフ王朝以来のツァーリの伝統を復古するために、ニコライ2世を射殺した破壊的共産党員の粛清を続けてきた。特にウクライナには大戦以前の似非インテリゲンツァが多数巣食っていたため飢餓が何度も発生した。スターリン同志はそうしたウクライナのユダヤ的不逞党員の責任を問うために大量連行し、飢餓の根源として人民裁判を開き東の収容所へ送ったため、スターリンは大いに人民の歓迎を受けた。

一方、ドイツではヒトラーなるファッショ勢力が全権を掌握し、様々な統制策を打ち出してロシア人以外の異民族を懐柔しようとしていた。グルジア人のスターリン同志はその動きを目ざとく捕え、カフカスなどにいた非ロシア人を中央アジアに民族ごと集団移転させ、ロシア民族より「スターリンはロシア人よりロシア的だ」という賛辞を受けた。ヒトラーもその神策を大いに讃えて、ソ独不可侵条約を締結し、ポーランドでレッツ・パーティーすることを申し合わせた。

その頃のシベリアでは日本軍が満州で対決姿勢を強めていたが、寛大なるスターリン同志は沿海州にいた朝鮮人を日本民族のためを思って中央アジアへ強制移動させた。一部満州人がハルハ川とかいう場所で会戦したが、日本軍はやがてスターリン同志の慈悲に心打たれ、中立条約を結ぶことにしたのだった。

電撃ポーランド戦[編集]

ポーランドでのパーティーはみごと大成功に終わり、同志はヒトラーと共にポーランド傀儡の領土を奪い取った。ソ独は共同してバルト3国を一気に攻略し、ついでにフィンランドノルウェーも戴こうと計略したが、スターリン同志はヒトラーの要望を受けて、両国を平和裏にヒトラーの下へ引き渡した。

ところが、ヒトラーは非道にもスターリン同志の慈悲を理解せず、ポーランド人やムスリム諸民族、それに一部の裏切り共産党員を利用して同盟破棄を画策した。そこでスターリン同志はカチンときて、ある森でポーランドの軍人たちを粛清し、策略に屈せぬことを通達した。すると、その意思堅固なることを見抜いた英国のチャーチルが「ヒトラーに宥和するな!」と叫びながら、その陰で「どうか我が国と組みませんか?」と秘密裏に打診してきたので、スターリン同志はその要求を受け入れた。

米帝の雑誌によるソ英米同盟賛美広告

驚異のソ独戦[編集]

そして1941年6月、ヒトラーは遂にソ連を攻撃してきた。ヒトラー軍は裏切り者の手引きを受けてモスクワまで迫ったが、そこで立ち止まった。ヒトラーは日本にも協力を要請したが、日本軍はスターリン同志の慈悲をよく記憶していたので、攻撃してくることはなかった。

後世の歴史家たちはヒトラー軍があっさりモスクワまで迫れたのは、スターリン同志が赤軍将校を処刑して軍事力を落としていたためなどと虚偽の記述を行っている。真相を書くと、これは背信者勢力の基盤を大きく削るためのスターリン同志の大いなる計略だったのだ。つまり、重大な背信者たちはモスクワ西部に密集していたので、スターリン同志はドイツ軍の力を借りて反対勢力を故郷もろとも合法的に殺戮するという画期的な名作戦をとったのである。

敵をも巧みに操るスターリン同志は自軍内部においても画期的な兵力編成をとった。中二病的妄想でもってソ連を破壊してきた修正主義分子たちをあえて銃弾飛び交う最前線に立たせ、戦後復興で大いに貢献してくれるだろうツァーリ的DV心に優れた精鋭兵たちを懲罰部隊という督戦部隊に配置するという兵士配置を行ったのだ。破壊的な修正主義分子たちは「進撃すればドイツ軍に撃たれ、後退すれば懲罰部隊に撃たれる」という極限状態に迫られて最大限の力を前に向けて発揮した。敗戦直前にこの作戦を知ったヒトラーもまた「俺もこの作戦をとるべきだった」と後で述懐している。

スターリングラードを境に戦況はやがてソ連優位に働き、精鋭兵を集めた懲罰部隊は白百合撃墜王リディアちゃんをプロマイドに掲げ、安全な後衛から毎晩宴会に耽る余裕さえみせた。

果てさて、占領地ポーランドでは自主系の社会主義組織が勝手にワルシャワで蜂起を行おうとしていた。これに対してスターリン同志は「我が軍以外に共産主義を名乗る資格などない」と述べて、東方戦線各所でゆっくりしていくよう命令し、意図的に進軍を遅らせドイツ軍が鎮圧しきる寸前になって現れ、町を解放した。ポーランド市民はこの勇者の如き展開を熱狂的に歓迎し、相次いで共産主義を新しい指導理念と判断したのだった。

孫子も唸る日本戦[編集]

こうして1945年5月欧州戦線は終わったのだが、日本は一国寂しく交戦活動を進めていた。スターリン同志はチャーチルらと共にポツダム宣言を発して大人しく降伏するよう勧告したが、日本は何もなかったかのように沈黙した。

シベリアの日本捕虜から贈られた将来の世界地図

そこでスターリン同志は蒋介石から「負けた者からはとことん略奪せよ」という中華兵法の極意を聞かされ、日本を攻撃することを決意した。そしてヒロシマの日の2日後、ソ連軍は満州傀儡国の解放作戦に乗り出した。日本軍人はこの作戦に対して抗議したが、ソ連軍は「兵は詭道なり。もっと早く降伏すればよかったものを」と聞く耳を持たなかった。すると、日本は8月15日降伏する意思を示したが、スターリン同志は「まだだ、降伏文書が正式調印されるまではまだ終わらんよ大祖国戦争」と述べ、共産主義の赤い彗星を日本人民の前に魅せつけるよう命じ、クリル諸島サハリンへの進撃をミズーリ号で文書が調印される9月2日まで継続した。このスターリン同志の戦略を見た日本の軍人はシベリアへ続々と渡り、「スターリン陛下こそ真の現人神だ!」と叫びながら、熱心な共産主義者へと転向していった。

戦後と教訓[編集]

即座に打倒すべき偽左翼修正主義の筆頭

以上がスターリン同志の展開した大祖国戦争のあらましである。東欧諸国はスターリン同志の名作戦に心より打たれ、次から次へとナチス時代の精鋭兵を差し出して自分たちを共産圏の一員にしてくれと訴えた。スターリン同志は慈悲深くも彼らの望みを叶え、ナチス時代の中級幹部を転向させて新たな共産党の幹部に再教育した。幹部たちは大いに感謝し、「殴らないのは愛が無い」の統治支配を継続した。

スターリン同志はチャーチルとの男の約束を律儀に遵守し、ギリシアの共産主義運動から援助の手を引き、資本主義体制の下に置くという約束も果たした。これは、スターリン同志が約束を破るというチャーチルの期待を破るものだった。いじけたチャーチルは「鉄のカーテン」が欧州に敷かれたと演説したが、これはチャーチルの方が世界を閉ざしたのであって、決して逆ではないのである。

大戦の結果、スターリン同志はバルト3国と東欧諸国を手に入れ、社会主義の家を大いに拡大し、ロマノフ王朝をも上回る史上最大の領土を獲得した。まこと、スターリン同志はロシアの歴史に未来永劫記されるべき神将である。

しかし、スターリン同志が大きく拡大した社会主義の領地は50年経たぬ内に滅亡寸前まで追い込まれてしまった。これは何故だろうか?言うまでもなく、スターリン同志のツァーリ的父権力が左翼界より喪失してしまったことがすべての原因である。つまり、表面だけ左翼思想の鎧をまとった反父権的な偽左翼修正主義が蔓延した結果、社会主義の領地が崩壊してしまったのだ。我らロシア人民は今こそスターリン同志の原点に回帰し、そうした偽左翼集団の娘たちに懲罰部隊を繰り出さねばならない。

批判[編集]

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関連項目[編集]

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