大津区

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第71回 (2012年
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「大津はどこじゃ。…ん!?もう通過した??国道の行き先に京阪国道口や堀川五条と書かれていたら、京都にいると思っちまうじゃねえか!!」
大津を通過した時の発言 について、織田信長
「ここが市街地!?どう見ても京の郊外ではないか!?」
大津を見た時の印象 について、足利義昭

大津区(おおつく)は、京都市の行政区の一つ。京都の郊外で、琵琶湖に面している。

京都市に編入される前は滋賀県大津市であった。

概要[編集]

京都市域のくせに、滋賀県(かつての近江国)の県庁所在地になっている。京都の隣町とはいっても、山に隔てられている。しかし、様々な交通手段が通っているため、不便ではない。日本最大の湖である琵琶湖に面しており、湖畔には鳥人間コンテストで使われた機体の残骸が遺構と化して多く存在していたが、現在はイベント開催者によって撤去されている。

県庁所在地のくせに、京都の郊外なので滋賀県内の市町村への求心力は零である。どのぐらい依存度が凄いかと言うと、千葉県の県庁所在地が浦安市東京の隣町)になったり、兵庫県の県庁所在地が尼崎市大阪市の隣町)になるようなものである。この「属国どころか完全な京都市の一員」から県庁を移転して、滋賀県の地位を向上させようと、県庁移転を求める声が絶えなかった。

又、大津は湖西線沿線に位置するが、湖西線沿線はもはや近江国じゃない。高島は若狭国の一角だし、大津は山城国どころか京都市の一角だ。方言も、大津は近江辯じゃなくて京言葉だ。京都市に編入される前の大津市議会では、「大津は完全に京都のベッドタウン」「“大津市”なんて名称を捨てて、“京都市さざなみ区”にすれば好い」なんて平気で言う市議がいた程である。いかに京都しか眼中にないかが解る話である。そして、大津に近い滋賀県南部の住民は、京都都心と三重県北部(鈴鹿亀山伊賀上野など)に好い顔をしてるから、大津なんて眼中に無い。

2012年には、同級生を間接的に殺害した中学生達に対する世間からの糾弾に対して、自治体が一丸となって彼らや彼らの担任教師を庇護するなど、自治体住民の結束の高さを見せ付けた。このせいで、候補だった教育委員長に対する、エクストリーム・謝罪の参加が保留になった。

地理[編集]

県庁所在地なのに、とにかく目立たない。というのも(先ほども取り上げたが)とにかく京都市の隣町どころかというか、京都市の一部なので、大津が全国的に大きく宣伝されることはない。しかし、国道の行き先表示は堂々としており、いかにも大津を通るかのような標示をしているため、かろうじてその存在が知られている。しかし、大津から京都都心は僅10kmしか離れていない為、滋賀県は元より近隣県の住民まで、「大津なんか出さないで京都を出せ!!」という苦情を出している。

又、近隣県の住民は、滋賀県の気温を、大津から50km離れている彦根を基準にしているので、大津の気温が判らない場合が多い。しかし、「大津都民」と呼ばれる通り、大津の住民は彦根じゃなくて京都都心の天気をチェックしている。

交通[編集]

  • 鉄道は、滋賀県内を通る特急列車がほとんど通過するため(ただし通勤用の特急列車は停車することもある)、大津区内の駅は存在感が薄い東海道新幹線も大津を通るが、「京都の2駅手前」なので駅も建設されず、忘れられている。一応、大津駅には新快速が停車するが、他路線との乗り換えが一切無いなどを理由に、通過論が根強い。 最近出来た南口の窓口は委託業務。てか、最近まで北側からしか入れなかった!

湖西線にも、一応新快速があるがほとんどの駅を停車するためほとんど時間は変わらないが大津西部の人たちは、普通より早いと思っている。

  • 名神高速道路の大津ICが設置されているが、あまり目立たず、利用する人も多くない。当初は京都東ICが大津ICになる予定だったが、「これじゃあ大津ICじゃない。京都市内にあるじゃないか?」って当時の大津市長が抗議して、大津SAに大津ICが併設された。大津が「京都大津」だと思われてる事を窺わせる話である。実際に、大津ICから京都東ICまでは3kmしか離れていない。
  • 国道1号も大津を通るが、交通量は京滋バイパスの方が多い。これは、京都を通過する者が京滋バイパスを利用する為である。
  • 西部には国道161号湖西道路途中トンネルが通っており、週末になると京都市民の行楽で混雑する。
  • 大津区民にとっては、長らく京阪石山坂本線が生活の重要な糧となっていたが、現在存続の危機に瀕している。今となっては存続問題の話なんて昔のこと。壱時期休止になっていたとはいえ2009年には大津区民の働きによって全線復活。2011年には石山坂本線と東日本の復興を願ってかどうかは定かではないがけいおん!とコラボしたラッピング電車と記念乗車券も発売されてYahoo!Newsに出てきたくらいである。

歴史[編集]

歴史的には京都都心(西暦794年開府)よりも大津区(西暦667年開府)の方が古い街であり、天智天皇の時代に開かれた都市が大津である。しかし、京都こと平安京が建設されて以後は現在に至るまで、大津は完全に京都のベッドタウンに成り果てている。

京都より古い歴史を持っているが、所詮京都の郊外という位置付けでしかなく、日本の歴史が大きく転換する出来事では先ず登場しない。大津が歴史で大きく紹介された事は、戦国時代に起こった延暦寺焼き討ち事件である。これは、織田信長が延暦寺を焼き討ちして、その信長が明智光秀の裏切りで京都で自殺し、光秀も京都から逃れる途中の大津で農兵に殺された、という歴史である。従って、延暦寺を抱える大津区では、織田信長の評判は悪く、逆に明智光秀の方が評判は好い。

第二次世界大戦中には、米軍による空襲は誤爆しかされなかった。京都市の一部だと思われていたからである。

比叡山延暦寺、日吉大社、三井寺、円満院など、寺社仏閣も多い。但し、観光ガイドでは、大津は「京都」ではなく「滋賀 琵琶湖 若狭」に掲載される物が多いのでご注意を。

県庁移転[編集]

大津市は京都市に編入されて京都市大津区になったが、若狭地方を福井県から滋賀県に返還して、滋賀県庁を長浜市彦根市に移転すべきだと考える人が、京都市、それに「近江の外港」でもある名古屋市敦賀市に多かった。

この心理は、京都市は比叡山延暦寺の領有権を巡る論争に由来し、名古屋市と敦賀市は滋賀県を分捕りたいという心理に由来するという。移転先では、鈴鹿山麓で井伊直政の城下町だった彦根か、伊吹山麓で浅井長政豊臣秀吉の城下町だった長浜かで、意見が分かれていた。しかし、名古屋(太平洋岸)・敦賀(日本海岸)・大阪(瀬戸内海岸)への牽制を目的として、県庁の移転先は長浜に決定した。これにより、福井の県庁と長浜の県庁は歩み寄り、県庁に近くなった若狭は滋賀県に返還された。

距離を見ると、京都の都心から大津までは僅10kmで行けるし、JR線で大津は京都の2駅手前という近さである。これは、西暦1910年代に東海道本線のルートを新逢坂山トンネルと東山トンネルで短絡する工事をしたことによるもので、それ以前はこの区間で山越えをせねばならず、隣同士とは言えども離れた存在と見られていた。大津に出張した他県の知事は、京都の2駅手前という位置に驚き、「滋賀県の県庁所在地は京都市じゃねえか!!」と吐き捨てたという逸話すら残っている。

大津に対して、京都・名古屋・敦賀の3市民が移転候補地の一つに推した長浜は、京都まで75km、大阪まで128km、岐阜まで50km、名古屋まで67km、敦賀まで40kmの距離なので、瀬戸内海岸(大阪)よりも日本海岸(敦賀)や太平洋岸(名古屋)の方が近いのである。

そして地形や交通の面で、滋賀県は隣接する京都府三重県福井県岐阜県との知事会議や合同事業が多いが、県庁所在地で大物武将の城下町だった津市藤堂高虎)や福井柴田勝家、松平春嶽)や岐阜斎藤道三織田信長)は、滋賀県で言えば彦根のような存在だとも言える。それに、京都市民にとっては、舞鶴安土・長浜・敦賀などは京都とは別の県で交流圏も違っているため、複数の県知事の掛け持ちを面倒臭がっているのが実状である。

京都市内で開催された世界遺産に関する国際的なシンポジウムの席上で、京都市が抱える多数の文化財の1つに比叡山延暦寺が挙げられると、それに滋賀県庁が異を唱えた。双方が延暦寺の領有権を巡って抗争して来た事を窺わせるエピソードである。

実際はどうかというと、比叡山は左京区と大津区の境に跨がっているが、延暦寺の境内は大津区に位置する。これには:かつて延暦寺が織田信長によって焼き討ちされ、明智光秀が延暦寺の再建に尽くしたため、延暦寺の僧たちが、光秀の居城がある近江国・坂本に帰属することを望んだ。それが廃藩置県の際にも受け継がれ、その名残として滋賀県大津市に帰属していた。…という歴史的経緯を持っているためである。

比叡山の自動車道「比叡山ドライブウェイ」は大津側の方が整備の状態が良いことからも、比叡山に対する旧大津市の執着、いや、意気込みが窺える。

敦賀は、元々は滋賀県の都市で、江戸時代までは京都の外港として、滋賀県に入っていた頃には物流の要として大事にされていたのに、無理やり滋賀県から切り離されて福井県に入れられた。そして、福井県に入れられた後は、「越前の金蔓」として冷遇されている。又、企業・団体のエリア区分では、繋がりの深い舞鶴や長浜や京都とは切り離されて、繋がりの浅い金沢富山と一緒にさせられる事も度々ある。

名古屋は、織田信長と豊臣秀吉の地盤だった歴史から滋賀県との繋がりが深いのに、企業・団体のエリア区分では滋賀県から切り離される物が多い。そのくせに、名古屋と敦賀が一緒にされて、肝腎の滋賀県が名古屋と敦賀とは別のグループという支離滅裂なエリア区分も横行している。

このため、敦賀市民や名古屋市民の間では、「京都の2駅手前に県庁を置きやがって!!!」という怨嗟の声が凄まじかった。長浜⇔敦賀が40kmという距離を見ても解るように、若しも滋賀県の県庁所在地が長浜だったら、若狭地方は滋賀県のままだった可能性が高い。

福井市民や岐阜市民は、滋賀県や京都へ行く機会も多いが、滋賀県を陰で愚にする者が多い。その理由が、「県庁所在地が京都の2駅手前って、どんだけ自立性が無いんだよ!!!」という内容である。実際に、全国規模で展開する店鋪が岐阜に在る場合、長浜など滋賀県北東部の住民は岐阜へ行き、草津など滋賀県南部の住民は京都へ行く者が多い。

津市民は、遠出の買物では、紀伊半島の弦に当たる奈良大阪や名古屋へ行く者が多い。しかし、奈良や大阪や名古屋で大災害が起これば、鈴鹿~長浜~敦賀~舞鶴の代替ルートを頼りにせねばならない。又、尾張と美濃、遠江(含東三河)と伊那が川伝いの連絡路で交流を深めている事から、三重県と滋賀県の交流をもっと親密にせねばならないのだが、滋賀県の県庁所在地が京都市大津区である事を疑問視する津市民も多かった。

分区計画[編集]

大津区は旧大津市の全エリアが区域となっているが、将来的には人口分布や各界派からの意見を聞きながら分区を行う予定である。ただ同じ京都市内の右京区と左京区もかなり面積が広いが、「京の左右とは名ばかりの区域のほとんどが山間部」という事で優先分区対象にされていない。また瀬田区に新快速停車駅が無い為に瀬田駅を停車駅に昇格させる必要があるが、草津市民から反発を受けること必須である。

  • 坂本区(志賀、雄琴、坂本、比叡山など)
  • 大津区(浜大津、膳所、石山など瀬田川以西)
  • 瀬田区(瀬田、田上など瀬田川以東)

姉妹都市[編集]

関連項目[編集]