大日本帝国陸軍

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

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大日本帝国陸軍(だいにっぽんていこくりくぐん)とは、当時の日本の神様をリーダーとした日本軍を組織する陸側の軍部のことで陸上戦を担当する。空軍を除外して再び繋げたため一部からは「兼空軍」と比喩される。また、その勢いは陸上自衛隊になった今でも受け継がれる。誕生当初はハイレベルな軍隊としてアメリカやイギリスからも強く評価された。ちなみに、当時は陸上における軍隊にしては装備が貧弱だと多くの評論家から指摘されるが戦争期間が拡大するにつれて強化された。子孫として、神聖ブリタニア帝国軍・デストロンなどがある。愛称は無敵皇軍

目次

[編集] 概要

1871年から1954年まで存在。海軍の戦闘力を大幅に超越しており無敵の帝国軍とも呼ばれた。武装は歩兵銃から陸上軍艦まで様々でありアメリカやイギリスから恐れられた。しかし、1954年の朝鮮戦争終結以降ゆとり世代になった以降は大規模な戦争が起こらなくなり陸上自衛隊に改名された。中にはお偉いさんを初めとする頭首が山のように在籍しており世界的にも有名な軍隊である。

[編集] 陸軍の原動力になった人物や反逆した人物達

  • 未来人及び当時の人間などをまとめました。
L
戦後に新兵器の草案を行う。しかし、中盤で出演作の2本目が駄作になってしまうものの3本目でその知名度を回復させた。戦時中は陸軍の二等兵に配備されていたが後に中佐に昇格。
小畑敏四郎
出身地不明。第一次大戦が初戦。その後、陸軍戦線にあるべき統一性を築く。
有末精三
北海道出身。後に三八式歩兵銃の改良版を開発する。戦後直前に中国戦線からヨーロッパ戦線に移行される。
辻政信
ガダルカナルの戦闘で全面指揮を受け持った人物その1。兵隊4000人と共にアメリカ軍を迎え撃った。
相沢三郎
大日本帝国憲法が誕生した年に生まれた。勤務中に永田鉄山における傷害事件・相沢事件を引き起こしたため元あった陸佐から部隊長に降格させられた。その後戦闘に恵まれなかったが日米開戦と同時に陸佐に引き戻された。
青木重誠
石川県出身。日中戦争における「トンデモ作戦」の発案者。その後、攻撃型ウイルスなどの研究に着手した。
ナナリー・ヴィ・ヴィリア・ブリタニア
ナチスドイツより派遣された兵士。第一次大戦中に猛毒により下半身が麻痺したため電動式車椅子生活である。その後、メサイアとよばれる光を利用したプラズマ粒子砲を開発した。その後、コードギアスに名前を縮めた後に設定ごと引き継がれていった。
ルルーシュ・ヴィ・ヴィレターニア
イタリアより派遣された兵士。50万トン級戦艦の対抗策として陸上軍艦の構造図を書いた。その後、戦後に彼の活躍が貢献されコードギアスに使われた。
扇 要
陸軍には珍しい反逆者。1941年に国会議事堂にスパイ行為をしたため逮捕されて営巣された。その後、攻撃員として名前を職歴を隠しながら米本土決戦にかり出された。
井上三郎
一式戦闘機開発部の首長。胴体の設計や裏でゼロ戦の参考図を作った。
大庭二郎
一式戦闘機開発部の副官。翼及び固定武装の開発に着手した。
大橋武夫
一式戦闘機開発部の士官。エンジンの開発を三菱と共同で行う。
大山巌
ドイツと日本の外交官。やがて皇国を守るため運命を定めた。
桂太郎
政治を全面にしたアメリカ流を採用したが、アメリカとの関係の悪化に伴い不適切と見なされて打ち消される。その後、桂内閣を形成するものの長くは続かなかった。
  • この他にもかなりの軍人が居たが全部挙げると長くなるので書かない。

[編集] 歴史

[編集] 結成までの沿革

発足の始まりは1853年ペリーが浦賀に来港し、翌年に開国したことが原因である。海外の装備の充実ぶりに感心した幕府軍は大政奉還が起きるまでに直ちに大砲や連続射撃銃の精製に取りかかる。途中、坂本龍馬大久保利通等による事件が多発したもののなんとか 「陸上親衛隊」 として組織が完成した。そして明治維新の頃になると海外の軍艦を何隻か購入するようになる(日本の船は屋形船や北前船だったので開発にはさらなる時間を費やした。)。また、下関五稜郭が要塞化される。ちなみに、正式にそれらの権利を持つものはおらず明治憲法で天皇に海軍と共に保持を定められるまでは自治体状態だった。また、国内で海外の装備を参考にガトリングガンが開発され幕府軍の反乱鎮圧に役立つ。

[編集] 結成

1871年(明治4年)に正式に帝国陸軍として命名される。当時は薩摩や長州から来た同士で形成された。更に、世界初の鎮台を設置しその栄光を世に広めた。この頃から愛称を無敵皇軍にするか日本陸軍にするかで混乱が生じるが、その後、正式に無敵皇軍が採用された。一般に日本陸軍という名称が使用されたのは昭和元年からである。

[編集] 大日本帝国憲法公布

1889年ドイツプロイセン憲法を元に明治憲法が公布される。これによりそれまでは自治組織だったのものが天皇の配下に着きさらなる活性化が進められる。この年から本格的に国内で軍艦の精製に着手される。また、陸軍は本格的に一個師団や二個分隊などに分類される。

[編集] 日清戦争

1894年、本格的な海外諸国との戦争に初めて陸軍が挑む。陸軍は様々な場所で歩兵戦から肉弾戦をとりその場に於ける状況を一定に保たせた。また、あまりの勢いで清の国は乗っ取られる。また、歩兵銃や機関銃が通常装備に配備される。この年、「希差皇后部隊」が結成され後のスーパー戦隊シリーズに引き継がれた。でも、ゴーオンジャーはベルギーが混じる。

[編集] 日ロ戦争

1904年、今度はロシアとの戦争が始まる。これは続に日露戦争と呼ばれ、日本海で三笠や富士がバルチック艦隊を撃破していく間に内地に侵攻。この地点で馬に装備を積んで移動させるようになる。忽ちモスクワの政治機能を一時的に壊滅に追いやった。然し、どちらも革命が起きたり資源不足になるなど戦争継続が困難になりとうとうアメリカポーツマス条約を噛まさせて日本側が勝利を手にした。この地点で、歩兵隊に「鉄兜攻撃隊」が誕生する。後の仮面ライダーである。

[編集] 韓国併合

韓国と朝鮮の広大な資源を手に入れるために勃発。忽ち陸軍の奮闘により韓国に堂々と朝鮮総督府が建つ。韓国人や朝鮮人は独立万歳運動で対抗するが陸軍の強大な戦力に敗れ去る。また、この時代では戦車がないため大砲馬車が流行する。この年から巨大歩行兵器の開発が行われる。

[編集] 第一次世界大戦

初めての世界大戦なだけに陸軍は本気になる。この時代から飛行船戦車毒ガス兵器が発明され日本にもフランスから何十両か寄贈される。また、ライト兄弟の初飛行以前にも国内では本格的な飛行機・玉虫の開発が行われる。戦争の結果は絶大で天皇も大満足。この頃、 「大江戸戦陣」 が発足。後のプリキュアである。

[編集] 五・一五事件

1932年(昭和7年)5月15日に、海軍急進派の将校が当時陸軍の管轄にあった犬養毅首相(当時)の邸宅に潜入し派手なドンパチを繰り広げた事件。これにより犬養毅首相が御臨終になるという最悪の事態になった。陸軍は、「おまいらの教育はどういう神経をしているんだ!!」とメーサーをぶちまけながら海軍省に抗議した後江田島海軍基地を陸軍の演習場にさせたり海軍の給料を陸軍の軍費に天引きさせるなど厳しい制限を行った。また、この一連の事件が海軍と陸軍の仲の悪さに至る一つの原因になった。現在でも、犬養邸宅は残されている。ちなみにチャップリンもこの犬養邸宅を訪れる予定があったがスコールの影響で中断したため事件に巻き込まれずに済んだという逸話がある。この事件において、犬養毅が叫んだ言葉の「話せば分かる」と将校が叫んだ「問答無用」という言葉が流行語にもなったりした。

[編集] 二・二六事件

国内で再びクーデターが発生。これにより陸軍が動員され鎮圧に向かう。また、国内初の戦車・○○式が登場する。更に陸軍独自で戦闘機開発に挑む。

[編集] 満州事変

中国戦線にまで広がった陸軍は初めて満州国占領作戦に挑む。結果は成功するがその代償で国際連盟から脱退することになる。

[編集] 南京事件

遂に南京で陸軍の猛威が奮われる。忽ち殆どの華人を撃破し僅か数日間で占領。だが、本当の事実は日本人に走らされていなかった。

[編集] 日中戦争

中国と再び衝突し大規模な全面戦争に発展する。その2年後には待望のドイツ宣戦布告による第二次大戦勃発。この頃から陸上軍艦の配備が始まる。

[編集] 日独伊三国同盟

初めてイタリアとドイツと手を組む。その代償でアメリカが警戒をする。その時、日本中が祭騒ぎになり困惑が生じた。

[編集] 黄河海戦の影で

5月13日、この海戦において長門・金剛・霧島3隻を筆頭とする総計1340隻の艦船による国土封鎖が行われている間にも、陸軍は奉天に対して大規模な空爆を決行する。また、その4日後には海軍が密かに建設していた50万トン級戦艦と同等に成るための陸上軍艦を大量生産する。

[編集] リアル第二次世界大戦

本格的な二度目の世界大戦である。ドイツとイタリアは地道にヨーロッパを制圧。日本はというと、太平洋の資源を制圧しアメリカのシカゴやニューヨークなどを占領する。また、陸軍は中国戦線で大いに役立った。

[編集] 戦争裁判

陸軍の提案で殆どの軍人が洗脳された。

[編集] 自衛隊発足

戦後になり平和な調和が続く中で朝鮮戦争が大勃発する。これにより陸軍は進撃軍と守衛軍に分かれ守衛軍は陸上自衛隊に解明される。進撃軍はそのままの名前で。また、朝鮮戦争が片付いた後アメリカとソ連が冷戦を引き起こしたため武力制圧する。また、兵器の殆ども最強の一途を辿る。終結後はゆとり化したため平凡になった。

[編集] 日朝の栄光と落日

  • 陸軍の影響でアニメーションが日曜日の朝に固まってしまい結果として一つの組織が形成される。また、特撮シリーズが2作品ほど投入される。しかし、最初までは黎明期で後は不景気に陥る。
  • 3年間を押し止めたゾロリシリーズが終了し恐竜キングが導入された結果低視聴率が続いた。それでも続けられる。
  • トランスフォーマーのアニメ作品がなくなりロボットアニメが大きく衰退。それでも継続される。
  • 2007年の地点でその栄位を支えるのは仮面ライダー電王Yes!プリキュア5・ゲゲゲの鬼太郎だけになってしまった。それでも費えることはなかった。
  • 恐竜キングが2年目も放映され、仮面ライダーシリーズが没落・プリキュアは前作の勢いを続ける等10周年にふさわしくない催しが。それでも放映され続けた。
  • ゲキレンジャーが大コケし戦隊シリーズが低落する。それでも放映された。
  • 6:30台がそれまでトランスフォーマー系統のロボットアニメ作品とで続いていたものが正規の敗訴作D.Gray-manポケモンの乱入で全滅。今でも放映される。
  • 恐竜キングが致命傷癒せず2年目が大コケし打ち切り
  • 仮面ライダーキバが前作に頼らなければならないほど落ちぶれる。いまやこの時間帯を支えるのはゴーオンジャー・プリキュア・鬼太郎だけである。(コードギアスは除く。)
  • ついに、そのコードギアスも終焉。次回作ガンダムOOに期待感が高まる。

[編集] 階級一覧

主に結成した当初から終戦まで使用された肩書き及び階級の一覧である。

  • 一等兵
  • 二等兵
  • 三等兵
  • 四等兵
  • 一等攻撃兵
  • 二等攻撃兵
  • 三等攻撃兵
  • 四等攻撃兵
  • 監視兵
  • ゲリラ兵
  • 地図兵
士官
  • 士官候補生
  • 航空士官
  • 陸上士官
  • 防衛士官
  • 士官
  • 攻撃員
  • 追撃員
  • 補給員
  • 救助員
  • 調査員
  • 陽動員
  • 公務員
  • 狙撃員
  • 護衛員
  • 守備隊員
  • 航法員
  • 救済員
  • 危険物調査員
  • 遠征員
  • 陸軍幕僚長
  • 参謀長
  • 機関長
  • 執務長
  • 砲台長
  • 師団長
  • 部隊長
  • 小隊長
  • 建設長
  • 戦車車長
指揮官
  • 部隊指揮官
  • 攻撃指揮官
  • 雷撃指揮官
  • 連隊指揮官
空士
  • 一等空士
  • 二等空士
  • 三等空士
  • 四等空士
  • 砲手
  • 戦車砲手
  • 陸尉
  • 空尉
陸士
  • 一等陸士
  • 二等陸士
  • 三等陸士
  • 四等陸士
  • 陸佐
  • 少佐
  • 中佐
  • 大佐
  • 公爵
  • 伯爵
  • 機関士
参謀
  • 部隊参謀
  • 航空参謀
  • 攻撃参謀
  • 奇襲参謀
その他
  • スパイ
  • テロリスト

[編集] 旧日本海軍との比較

海軍と比べると、比較的に戦闘力が年々向上している。また、海軍はゼロ戦の搭乗員に対して「死んで帰ってこい!!」という名句を残したことで有名だが陸軍の場合は「生きて帰ってこい!!」という有名な句を残した。更に、兵器の質量も海軍の1000倍であることが発覚したのは大正6年であった。ただ、海軍に劣る箇所と言えば大陸続きでなければ国を移動できないことである。

[編集] 陸軍の掟

壱:兵士は勇敢に戦いなさい。

弐:真の指導者は天皇にあらず。

参:敵が抵抗するのなら、奮戦しなさい。

四:弾が切れそうになったら素手で突撃せよ。

五:同じ同胞にあったら軽く礼をせよ。

六:敷地内での暴動は禁止。

七:許可無しに酒や茶を買って飲まない。

八:陸軍で支給される品は天皇の品と同じ物であるので丁重に扱え。

九:戦車に乗るときは士気を見せればそれでよい。

壱拾:降参は許さない。

壱拾壱:戦闘機に乗るときも、士気を見せればそれでよい。

壱拾弐:本軍名物料理:陸軍盛りを侮辱する物は非国民なり。

壱拾参:指揮官の部屋に無断で立ち入らない。

壱拾四:金庫管理を徹底せよ。

壱拾五:怪しき者が居たのなら引っ捕らえろ。

壱拾六:指揮官の命令は天皇の命令なり。

壱拾七:天皇の命令は絶対服従なり。

壱拾八:指揮官に反抗しない。

壱拾九:命令には従え。

弐拾:戦車に乗るときは敬礼せよ。

弐拾壱:毎朝行進して天皇に士気を見せろ。

弐拾弐:銃の手入れは各自で行え。

弐拾参:同胞が行方不明になったら捜索せよ。

弐拾四:脱走兵は非国民なり。

弐拾五:指揮権は我々軍曹にあり。

弐拾六:食事は静かに、速く・清く・勇ましくを守れ。

弐拾七:睡眠は人によってするな。

弐拾八:武器を持って敵を制せ。

弐拾九:運命を握るのは国民義勇軍である。

参拾:我が軍は不滅である。

[編集] アメリカ陸軍との比較

人員数
アメリカ軍は凡そ9600万人の陸軍兵士を本土および展開地に配備している。日本陸軍は160000000人という人員を配備していた。
戦車の保有数
日本は九七式及び九五式・二式中などを装備。それに比べてアメリカ軍はシャーマン及びスチュアートしか装備していない。
航空機保有数
地上爆撃などを重点に置いた日本は終戦までに50万機以上の生産数を誇るが、アメリカは地上より海上の攻撃を重点に置いたため非常に劣っており8万機ぐらいしか生産していない。
士気度
日本は天皇制を強いていた為最大で8900億気を太平洋戦争直前までに確保していたが、第一次世界大戦以降太平洋戦線にいたるまでほとんど士気を考慮しなかったアメリカはわずか1800気ぐらいしか出せなかった。
航空機を使用した戦略面
アメリカは都心部や工場などを重点に爆撃するよう戦略面を強いていた。しかし、日本は基地の爆破を優先したため終戦までにマリアナを筆頭とする基地を攻撃した事によりアメリカは戦闘の再結成に時間を要したため日本の重点が目覚しい。ドイツもイギリス以上に航空戦略を重視していた。
歩兵戦闘の戦略面
基本的に日本陸軍は指揮官500人・兵隊10万人・補給兵8000人の編成だったのに対して、アメリカは指揮官200人・兵隊5万人・補給兵2000人と少ない。これは飛び石作戦を効率化させたため人員不足になったためである。
戦車同士の戦闘の戦略面
戦車の戦闘面は弾丸の装填のすばやさにあったが日本陸軍は戦車第1号を配備した時代から早く弾をつめることに重点を置いたため戦線上は有利な展開であった。
物量
さすがにアメリカには劣る。しかし、41年度から中国から大量の石油を輸入していたためほぼ互角。
航空機における戦術面
基本的に日本陸軍は都心部を中心に爆撃していたのに対し、アメリカは敵を見つけやすいように造成地の爆破に徹底したため主要拠点を狙えなかった。
戦車における戦術面
戦車を使うときにはある程度数を要する。しかし、日本の戦車は初期が小さい物だらけだったので鉄の使用量が少ないことから大量に配備することに成功する。しかし、アメリカはその逆だった。
歩兵戦闘における戦術面
基本体制は都市や敵の司令部進撃を中心にしていた日本に対して、アメリカは戦場などに爆弾を仕掛ける程度しかしていない。
列車砲同士の戦闘における戦術面
アメリカは実は割りと列車砲にこだわることはない。この当たりは日本が有利だ。
護衛面
最大で4000万人の護衛をつけた日本だったが、アメリカはその2倍である。
監視体制
監視塔の数は割りと日本が多い。アメリカは領土こそ大きいものの監視塔の配置図を特定していなかったためかえって狙われやすかった。
防空体制
この辺りだと、アメリカ軍が防衛速度で圧倒している。
戦闘時の配列
基本中の基本としては、日本の方が配列などを徹底していた。
徴兵制度
日本と比べてアメリカは徴兵令を出すタイミングが極端に遅い。
攻撃型要塞の数
中国を占領した日本はあっという間に攻撃型要塞を配備した。しかし、アメリカは割りとこの辺りは徹底していない。
砦の数
最大で日本は終戦までに4000000箇所・アメリカは終戦までに4500箇所。かなりの差だ。
生産力
アメリカが工場の持ち前で圧勝。
工業力
日本が大和魂を固めたため圧勝。
組成装置の行き渡り
日本が21年度からすでに始めていたがアメリカは遅かった。
情報解析(暗号解読)の速さ
日本の解析装置は15年度から発展していた。アメリカはレゲー形式を採用したが日本は独自のパープルを使っている。
探知装置(レーダー)の普及率
日本が42年度から進展していた。アメリカやドイツは素早くレーダーを1939年から採用している。だが、質量・寿命共に日本製が勝っており数こそ少ないものの性能でカバーした。
照明器具
日本が電球開発に徹底したためすばやく進展した。一応、アメリカは電球開発に着目していたが第一次大戦以降にあった平和ボケの流行に伴い大きく揺れ動くことがなかったのである。
工場の設置箇所
大量にある。日本が山脈を削ったため大量にある。アメリカは何故か広大な土地を保有していたため工場の配列は完璧であったが、本土攻略作戦などではかえって日本軍の格好の的にされるなど卑劣な目にあった。
生産数
アメリカが有利に見えるが、日本が有利なときもある。実は、両国の生産数は年々上下したりするため正式な生産数の対比は不明である。

[編集] 陸軍所属の国民にある資格

  • 購入及び販売
    • 全て無料。
  • 免許資格
    • 資格なしで乗車可能。
  • 交通の権利
    • 無料で電車乗りたい放題。
  • 飛行機への搭乗
    • 特級クラスなどの座席に乗り込むことが出来る。
  • 食糧の配布
    • 兵士の職についている人間がいる家庭では無料で配布。
  • 銃の使用
    • 問題を起こさない限り半永久的に続く。

一部は食糧不足に伴い廃止される項目もあった。

[編集] 編成

大日本帝国陸軍は以下の部類で編成される。

機甲科
主に戦車や装甲車などを取り扱う部隊である。基本的に全国に配備されており日本陸軍の主力ともいえる存在。20年代以前に機甲部隊設立が決定しており1918年に機甲隊として発足する。主な代表車種は九七式中戦車や九五式軽戦車などの小さい戦車からオイ一二〇t超重戦車まで多様多彩。30年代初頭になると世界恐慌の影響で一時的に機甲部隊の勢いは劣るがすぐ挽回する。また、海軍が空母を配備したことをいいことにこちらは日露戦争時代の戦艦を改造し巨大戦車通称「陸上軍艦」を編み出した。満州事変以降から勢いが止まらず最終的に終戦までに100億の軍勢が成り立った。
歩兵部隊
よく戦争映画で銃を持って複数行動していた兵士こそが歩兵部隊である。歴史は平安時代の武士から始まり戦国時代には足軽鉄砲隊として、幕末には新撰組のような代表種を生み出した。日清戦争のころになるとその規模はすでに5000万に達しており短期間で戦争の範囲を広めることが可能になった。満州事変や日中戦争においても、機甲部隊の直営や援護などをしたり大東亜戦争になると太平洋の島々の占領に一役買った。基本装備は三八式歩兵銃・105mm機関砲などが多い。特に前者の歩兵銃は日中戦争直前に誕生してから終戦まで使用されてきた名機である。
補給部隊
部隊の後方に回って弾薬や燃料の投入を行ういわば「命綱」。基本的に背面に回って弾薬を置いて行くのが定番だった。その後は軍部の手下として終戦まで活動し続けた。この部隊の設立は戦国時代より遡る。織田信長が補給不足に悩んでいた武士たちを何とかしようとして、ちょうど余っていた忍者に「おまえら、暇そうだからあいつらの手伝いをしてくれ。」と命令。これにより弾を取りに行く武士が減り織田信長は桶狭間・長篠の戦などを乗り切ったため、以後徳川家康豊臣秀吉もこの部隊を愛用する。そして、その状態で明治の日清戦争まで続いた。最近では補給部隊を狙った奇襲攻撃も行われる。
狙撃部隊
敵地のスパイのアジトや官邸などに潜入し重要人物の暗殺を使命とする部隊。しかし、二二六事件や名江頭事件の際にこの部隊によって多くの日本の首脳が被害を受けたため政府はこの部隊の活動を停止するよう命じた。
しかし、日中戦争と同時に復活してその状態で現代に至る。
射撃部隊
戦車や装甲車などから発砲する特殊部隊。元祖は流鏑馬である。主に、ルパン三世と互角ならば誰でも入れた。そのほか、射撃部隊を持つ組織は基本的に車両に射撃兵用の座席を造っている。
突撃部隊
「全軍・突撃!!」の合図で突撃する部隊。主に奇襲作戦や電撃戦で使用される。ほかにも、戦術面が大いに生かされており以後、平坦に使用されることが多い。大戦の頃になると戦車や戦闘機で突撃することが定番になった。
陸軍海兵隊
海軍でいう、海軍陸戦隊の陸軍バージョン。大型の強襲揚陸艦や海軍から払い下げられた主力艦などを装備する。基本的に海軍の後方支援に当たることが多いため前線に立つ機会は少ない。又、戦闘力は海軍より上達しており、自衛隊になった現代でも使用されつつある。
野戦科
主に、太平洋の島々や限られた土地などで戦闘できるように食が細い人や欲がない人を限定で集めて組織した部隊。また、科学能力が発達しておりその場にあるもので武器を作ってしまう。
高射砲部隊
戦闘機が発展した頃に登場した部隊。主に、敵戦闘機の迎撃に当たる。対空戦車を主力とした部隊で6tトラックに対空砲を搭載した車両や20t装甲車を改造した対空自走砲を装備する。
雷撃部隊
雷撃機の陸上バージョン。豪快さながらである。戦車などは改造され砲身が尖ったものが多い。また、殺戮作戦などにも対応した特化型。
追跡部隊
逃げる敵の部隊を追い詰め、最終的に撃滅する部隊である。こうすることで、情報を敵に知られないという利点を持つ。海軍も大正5年ごろにこの組織を編成したが、陸軍は日清戦争中に編成した。
偵察部隊
全部隊に共通して割り当てられた部隊。小型車に乗って敵地を調べて無線機で送りつけるのが基本。また、装備が近代化するにつれ、いつの間にやらこちらも10倍の強化振りを誇った。
航空隊
一式陸上攻撃機富嶽などを装備する。基本は本土防空作戦や内陸部空襲などでかなりの戦術を誇る。海軍航空隊は敵艦への砲撃は可能でも、対地攻撃はまだ訓練をこまめにすることはなかったという。
輸送科
貴重な物資を輸送する補給部隊と同等の部隊。基本面はトラック1300台で編成される。先祖代々は秤量運びで、それが現代に至った。基本的にトラックは10t車や大きいもので50t車。大量輸送ならば100t及び1000tのトレーラーが配備されている。また、運んだだけで報酬がくるため、割と気前のよい部隊といえる。また、戦時中は必ずこの部隊を狙うことで通称滅裂が現実のものになるため「100%被害にあいやすい部隊」として評価された。
本土防空隊
戦争中に設立された部隊で、本土に接近する敵機及び艦艇を撃退する部隊。そのため、対空竹槍を筆頭とする大型装備が目立つ。いわば「結集体」である。また、資格については「敵に立ち向かえる勇気があればそれでよい」だけで終戦までに1000万人が入隊した。基本武装は小さいもので81式拳銃やM111グリースガン、大きいもので四五式対空戦車・対空竹槍など。
本土決戦隊
本土決戦を想起した部隊で、愛国心の強さが入隊するかしないかを左右する。基本装備は’家にあったものや前々から持っていたもの’などで基本的になにが最低限必要かは決められていない。オリンピックダウンフォールなどを始めとする上陸作戦を素手で阻止した有名な部隊である。入隊数は1944年の地点で8億6000万人(内1900万人は挑戦から捕虜にした敵兵など)であった。
砲撃部隊
戦車とは違い、溜弾砲や重機関砲などを所持する部隊。初期はイギリスから100mm砲を15400門も輸入し、それらを参考にトハ型大砲・98式自走砲などを大量に生産した。また、アメリカが200mm超の大砲を装備したころになると、ドイツからドーラに搭載される504mm砲で応戦した。合言葉は「機甲科に負けるな!!敵に負けるな!!」である。
特殊戦闘部隊
ゲリラ戦・サバイバル戦線などを得意とする兵隊で編成された。設立したのは1932年4月12日で当時は500人未満だった兵数が38年の地点で1240000人・大東亜戦争直後は8億人に膨れ上がった。装備は本土決戦隊同様決められておらず、ただ「身を守れる装備」だけで入隊が認められたという。
陸軍参謀隊
主に散り散りになりかねない参謀を寄せ集めた部隊である。ここから参謀がすべての部隊に発令される。基本的に装備は軽装甲車30台と輸送トラック50台・豆戦車180両である。
熟練隊
練習を重ねてベテランに等しい実績を持った兵士を集めた部隊である。基本的にこの名称は陸軍本部によって使用されたもので部隊の中ではめったに使用されなかった。
危険物処理隊
主に重要施設に仕掛けられた時限爆弾を処理するための部隊である。基本的にダイナマイト20本と改造型装甲車を装備。大戦末期まで集められたメンバーは総計6800人である。有名な成績といえば陸上軍艦「鳥島」に仕掛けられた時限爆弾を処理したことである。しかし、その後本土空爆によりアメリカ軍は基本中の敵施設に爆弾を仕掛けるような行動をとらなかったためドイツに派遣される羽目になった。
火薬調合部隊
ドイツ軍に習って設置された部隊である。というのも、新型装備を組むときに研究室が爆発しかねないことがたびたびあったからだ。軍部からは「頼むからドイツを習ってくれ」の命令とともにこの部隊を結成。基本的に装備は軽装で小型機動車両15台だけだった。
兵器開発部
さまざまな兵器を開発する。ゼロ戦こそはここで開発されなかったが一式陸上攻撃機・八八式急降下戦闘機などの名機を世に送り出した。大戦が始まると陸上軍艦や攻撃型原子力潜水艦などの開発に着手した。
兵器研究部
敵から拿捕または捕虜にした際に見つけた兵器を研究してそこからどのようにすれば強くなるかについてを調べる部隊である。開発部と連携しており、常に1500以上もの兵器を調べた。だが、異説として1800ではないかといわれるが誰も気にしない
兵器整備部
壊れた兵器を整備する修理部隊。基本的に工作車850両ほどで編成され、必要なときだけ九五式軽戦車が与えられる。一番戦局を支える部隊として高給で差し支える。
拘束部隊
イタリアの警備隊を参考に形成した部隊。文字通り敵の指揮官を捕まえてしまうというわかりやすい名前である。また、性質上死と隣り合わせである。今までにも大勢の敵兵の指揮官を捕まえており大概は本土に送還される。
一等陸軍追撃隊
主に、入隊後半年経過した際に生じるベテランを抜粋した部隊である。迫撃砲で敵地を潰すなど戦車の後押しをする。基本的に本部と直結しておりすぐ出撃・後退の指示が行き通る。
二等陸軍追撃隊
入隊してから1ヶ月以上経過した兵隊で形成される。こちらは宿営地・前線基地の護衛部隊。大概は基地を守るためにしか出ないためそこら近辺で撃ち方の訓練をする。
三等陸軍追撃隊
入隊してから半月経過した部隊。二等・一等の指示に従い行動するのが定番。また、迫撃砲は13インチから18インチとやや小さめである。そのためか、危険物を守るための部隊である。
四等陸軍追撃隊
若手ぞろい。基本的にメンバーが欠乏した際に借り出される。普段から実戦経験を覚えてるため割と使える。だが、太平洋戦争になると1等扱いされることもあった。
一等歩兵隊
ベテランの歩兵部隊である。主に敵の主要施設の攻撃を命令されることがある。基本編成は最低でも2600人ほど。サイパン島を占拠した際は専用の宿営地も設けられた。
二等歩兵隊
歩兵部隊中最強クラスの戦闘力を誇る。主に、敵地の戦闘車を爆破したり通称封鎖をするなど、忙しそうだが実は有利になると撤退できるという特典つきである。
三等歩兵隊
部隊中、一番最前線に立ちやすい部隊。主な任務は補給部隊の後方支援や陸上軍艦の警備など、基本中の装備で武装する。また、火力は戦車部隊並みで150mm迫撃砲を装備。
四等歩兵隊
普段、極めて行動範囲が狭い部隊だ。大抵は九五式軽戦車の守衛や六式豆戦車の同乗などを受け持つ。主に雑用扱いされてると思われるが、実は任務遂行のためあちらこちらで借り出されるのが毎日の光景。
海軍後方支援隊

海軍を後方支援するためというわかりやすい名前の部隊である。ちなみに、一時的な海軍との中の悪さ(後述)の影響で1942年に停滞したものの、1945年に復活する。

極地偵察部隊
豪雪地帯・灼熱地帯に散らばる敵軍を偵察する部隊である。また、死傷者が出やすく一部の兵隊からは加入を敬遠されていたが占領後は案外楽なことができるようになったりする。
極地攻撃部隊
上記の部隊と連携して行動する攻撃部隊である。主に、この部隊だけ調達費用が一番食いやすい。ちなみに、死傷者は名前の割には少ない。
極地戦略部隊
上記2つの部隊と同盟を結んでいる部隊。性質上、戦略を重点においてあるためあまり表に出ることは無いがその考えから生み出るものは選曲を左右した。
局地戦部隊
上記3つとは別に行動する部隊。戦車や装甲車・歩兵戦闘車など多数装備。また、1943年になると有人型攻撃戦闘機が大量に装備された。
極地占領部隊
極地を占領した際の、後始末を担当する部隊で反乱しようとする敵兵を根こそぎ撃破する。また、手榴弾が正式装備に採用された部隊第1号。
独伊外交部隊
イタリア・ドイツとの外交するための部隊である。装甲列車か一式陸上攻撃機で中国大陸を移動し、イタリアのローマかドイツのベルリンで外交を行う。
陸軍決死隊
死を目前にして突撃する部隊で、1944年設立。歩兵戦闘車を正式装備に採用した第1号の部隊である。また、半装軌車を主力に投入したことでも知られる。
突撃戦闘部隊
殆どの部隊に配備されている戦闘部隊である。主に、銃剣を持って敵兵に体当たりする戦法。大戦末期には日本に置いて竹槍による突撃訓練が行われたほどである。結局、自衛隊にて「突撃隊」と改訂されるまで現役にあった。
石油精製部隊
太平洋戦争と同時に設立。石油をあらゆるところで手に入れる。また、性質上はパレンバンやビルマなどでしか発揮できないのが難点。とどのつまり石油があってこそじゃないと活躍できない。アメリカ占領後は西海岸で石油を大量に掘り当てた。武器の規制が出てるのもこの部隊だけ。
燃料調合部隊
戦車や装甲車などの燃料を配分する部隊。基本的に戦車はディーゼル燃料で、装甲車はガソリンで動くのだが1つの石油から2つに使い分けるのは手間がかかるためこの部隊が採用された。構想上ガソリンスタンドが出来た頃には荒れ地などで戦うようになった。
軌道砲科
装甲列車を取り扱う部隊である。元にしたのボーア戦争時代におけるイギリス陸軍の第1鉄道隊で、当初は400mm砲を貨物列車に積んだことから始まった。現在でも愛用される。
軌道大砲科
装甲列車とは違い、列車砲を取り扱う部隊である。軌道砲科とは大幅に違い、最初から巨砲を専用の列車に積んだことから始められた。また、当初はイタリア陸軍の車両を輸入して使っていたが後に国内開発が行われた。

[編集] 陸軍配備の著名人

両津勘吉
陸軍第1機動師団に所属。戦車などを50両ほど動かしていた。ちなみに、両津家の家系は代々軍事関係にかかわることが多く、両津勘部獲は海軍に所属していた。
山本五十六
実は、軍隊に入隊後には海軍にいかず、陸軍の守備隊として活動していた。しかし、海軍文論の旨さが認められたため急遽陸軍から海軍に移った。その為なのか、武器の構え方・敬礼の仕方が陸軍の流用と評価されたりもした。
芙蓉楓
陸軍海兵隊第1戦闘部隊に配備されていた。日中戦争と同時に楓はシナ地帯に侵攻。その時メイクを必要以上に塗り潰して狂想に仕立ててしまった。また、大東亜戦争と同時に関東地帯から太平洋全域に進撃した。
夢原のぞみ
革命します・戦争しますな子供である。入隊したのは国家総動員法が発令された直後である。はじめは機関銃を暴発させたり火薬庫を誤って消そうとしたりと問題児扱いだったがアメリカ軍が日米侵略計画を発表したと同時に本性がスイッチオン。声が!男混色の声に!!その後は終戦までアメリカ軍用機を3400機ほど撃ち落したという記録を作った。だが、ベトナム戦争ベトナム解放軍がアメリカ軍の守衛戦闘機4300機を撃墜する記録ができるまで最長を誇った。
日下部まろん
満州事変において、装甲列車による白兵戦を展開した。当時、軍部からは「鉄道で侵略すればある程度の線路の位置を知られるだけで狙われやすい。」・「危険物を積んでいる場合には最低限護衛を80人必要としなければならない」と評価されたが日下部まろんは立地条件や地下道などに細工をして本格的な列車戦術を展開した。その結果、この作戦が成功した直後に以下のことが判明した。
  • 装甲列車は1つで戦車500台分の火力を発揮する。
  • 道路が散在する中兵士をまとめるのが困難をきたすのに対し、装甲列車のほうはある程度調べるだけでスムーズに並べられる。
  • 装甲列車用の機関砲は中国軍の戦闘機を用意で撃ち落せる。
  • 車と違い大量の荷物をつめられるし大量輸送する物資を運ぶのに必要な輸送車をかき集める面倒がなくなる。
  • 中国軍には装甲列車を壊せるような大砲がない。
  • 中国地帯の線路は鋼鉄製で螺子を緩めても簡単に外れない。
以上の事実から装甲列車の実用性が認められ、陸軍では共通して最低限50両の装甲列車が配備された。そして、満州国建国のために必要な資源を運ばせたため建国までの時間が短期間で済んだ。
名古屋稚空
陸上軍艦を世に送り出した人物。当時まで戦艦といえば使えなくなると予備艦か陸上砲台に転用されることが当たり前だったが、本人曰く「戦車が少ないからもっと大きいの出してよ。」の一言で戦艦に無限軌道をつける作業が行われ1932年に本格的な1号陸上軍艦「大鶴」が誕生した。元になったのは日露戦争時代の二級戦艦富士である。
フィン・フィッシュ
九五式重戦車の発案者である。ドイツが40年代にティーガー1号を開発したことを知ったフィンはこともあろうにそのティーガー1号(国内では虎1号車と銘銘)を輸入し、それを元に超巨大重戦車を開発した。これは当時開発中だった超重戦車「オイ」までのブランクを埋め合わせるためである。結果的にその年の内に九五式重戦車が完成した。この為、ソ連などの敵国はT-28などの大増産に励み対抗したのである。
アクセス・タイム
T-28を超える多砲塔戦車・「キサ」を開発した人物である。当時、ソレンでは多砲塔戦車の開発が盛んに行われており旨いことにアメリカやドイツなどの国家はまだ未着手だった。それを逆手にとって開発が行われた。その結果、全長200m・総重量150t・砲塔6門の多砲塔戦車キサが登場した。その後、満州にソレンが攻めてくる展開を想定していたが不可侵条約により延長され本土決戦に備えられる。しかし、実際にソレンが侵攻したので敵のT-34を全て撃破した。
東大寺都
零式艦上戦闘機の強化版・「壱式艦上戦闘機」の立案者。当初はゼロ戦の消耗率のあまりの低さに「後継機は作らない」という意図を示していたがアメリカ軍が強化型戦闘機を送り出したため、急遽開発が始まった。その結果、東大寺都はこれを参考に高性能の戦闘機を設計した。これが壱式である。零式との違いはリベットの数や防弾ガラスの有無である。ゼロ戦は登場した当初は防弾設備の不慮に批判があったがこの一式はその問題を回避した。そして、あっという間に戦況を有利にしてしまった。
水無月大和
和製ティーガーともいえる、零式主力重戦車「風神型」の立案者。当初、ドイツの重戦車に愛着を持っていた本人はこともあろうに輸入。そこから汎用型の重戦車を編み上げた。それが「風神型」である。140cm砲から撃たれる砲丸は半径10kmを灰にした。また、ドイツもこの戦車を参考に「パンター」を開発した。

[編集] 幾多の諸問題

[編集] 海軍との一時的な仲の悪さ

文字通り、海軍との仲の悪さが有名である。時期は満州事変後の1932年~1942年までであった。主な原因は陸軍が海軍に「どうしてお前たちの方ばかり架空戦記に使われるんだ!!俺たちは微塵もないじゃないか!!」とクレームをつけたことがきっかけである。というのも、原作者たちは主に

  • 「日本の戦車をドイツ軍の戦車と比べるとパッとしない。」
  • 「有名な人材がいない。」
  • 「今や日本軍の代名詞は海軍。」
  • 「内容を詳しく書くと説明くさくなる。」

と主張しているため、明らかに海軍優先が目立っていたと思われる。断固陸軍はこともあろうに「俺たちの活躍を描く本が出るまで協力しないからな!!」といって交渉や交流を一切破棄してしまった。しかし、海軍が太平洋戦争を始めて大変そうになったのを気の毒に思ったのか「かっ…勘違いしないでよね!!天皇の命令には逆らえないから助けるんだからね!」と、交渉して何とかその年の内に投入された「陸軍大戦闘」という書籍の元関係を修復することに成功した。

[編集] 予算問題

文字通り、陸軍は海軍と比べて明らかに改造費や光熱費を激しく浪費しており経営困難に陥ることが多かった。その為、大概は以下の生活風景が多い

  1. 電気製品の少なさ
  2. 野外炊事
  3. 演習時間の短縮
  4. 大半はトタン屋根の兵舎での生活

この為、ドイツ軍の安定振りを羨ましがった政府はドイツ陸軍に兵器をいくつか給与することを条件に陸軍同盟を結び、国内でもドイツ人の横行が多くなったのだ。

[編集] ジャンル分け問題

本陸軍には特殊内火艇と呼ばれる水陸両用装甲車がある。しかし、これをどこに当てはめるのかで混乱が生じた。実際、水の上をいけるから船にせよ・地を走るのなら陸にせよで2分割する。最終的に、この結論は日中戦争の激化に伴い結論が先延ばしにされて1944年にやっと別類の「水陸兼用科」に分けられた。

[編集] 人選問題

入隊する兵士が全てまともとは限らない。海軍は東郷平八郎を崇めつつまとめていたのだが、どうも陸軍は天皇頼りである。また、日清・日露時代の戦績がほとんど残されていないため誰を見本にすべきかで論争が起きた。最終的にこの結論は1942年まで持ち越され、百武中将を見本にすることが決まった。

[編集] 海軍の名物は金曜カレー では陸軍の名物は?

実際、この件について大きく内部は揉めた。当初は中華丼(ほら、よく考えれば見た目も似てるし。)が候補に挙げられていたが日清戦争の開戦によりお流れにされた。第二候補として饅頭が挙げられたが、おやつ程度の威力しか発揮しなかったため却下された。最終的に絞られたのが

  1. ちゃんこ鍋
    • 主な理由・野菜が多いから。
  2. ビーフシチュー
    • 主な理由・東郷平八郎が採用に失敗したから。
  3. すき焼き
    • 主な理由・関東軍の3割が推薦。
  4. 野菜サラダ
    • 主な理由・海では野菜がとれず、地があってこそ野菜サラダ。
  5. 豚カツ
    • 主な理由・あの上等な肉のうまさはたまらない。
  6. 土手鍋
    • 主な理由・海軍の本拠地・広島/呉の名物料理だから。

以上6品が挙げられたが、日中戦争直前までまとまらず結局上記6品をまとめて1つにした「陸軍盛り」として採用されるという意外な結末を招いた。その内容とは、料理が全て均等に取り分けられているのだ。その為評判は割と良かったりする。

なお、現在の自衛隊ではその質量の問題から簡易的に食べられるおにぎりが定番化している。

[編集] 乙女陸兵団・その現状

陸軍に入隊するのは男だけではない、女性だって入隊する。しかし、歓迎こそされる物の多くの諸問題を抱えていた。その為、入隊制限があり男と違い選別に4日間もかかったという。以下がその問題例。

  1. 風呂をそれぞれ分けなければならないため入浴用意に手間がかかる。また、強姦に成りうることも。
  2. 男と違い、大和魂が薄いため反抗する人がまれにいる。
  3. 野外ご不浄など、排泄物の処理に一番難を要する為南方作戦にいく人は少ない。ただし、国家総動員法発令後は強引に連行される人もいる。
  4. 男に猥褻されるなど、えらく問題なことがある。
  5. 戦場料理の味に文句を言う人がいる。
  6. 部隊内恋愛などで士気が落ちかねない。
  7. デリケートな性格だけに、隊長も触れ合うことが難しい。
  8. 下着を見られたり、無くしたりすると無力化が可能。
  9. ツンデレな兵士が多く、世話人も手を焼きかねない。
  10. 弾薬や燃料より生理用品の調達に手間がかかる。

の通りである。このため従軍慰安婦・従軍看護兵などに回されており前線に立つ部類は少なかったという。

[編集] 支持率

海軍と違い、五・一五事件・帝國ホテル占領事件など天皇問題に関するクーデターをたびたび起こしたため世間からの評価は最高でも10億%しか維持できなかった(諸外国の陸軍の支持率は少なくて30億%であったため日本の陸軍の印象の低さが著しいという現状である。)。その為、陸軍休日を設けたりボーナスを支給したりと軍隊の支部はてんてこ舞いだったという。しかし、満州事変を機に形勢は逆転し、あっという間に5000億%の支持率を得た。

[編集] 各国からの評価

アメリカ
「無理やねん!!こんな国の軍隊に勝てる奴は居ないんや!!」
イギリス
「馬鹿な!私の紳士軍隊が!!」
フランス
「この野郎!!どうして強いのだ!!」
ソビエト
「中立破ったのが間違いだった・・・・。」
中国
「日本軍!!俺達の国から撤退しろ!!」
韓国
「反日は減りまへんで!!」
北朝鮮
「戦後になったら思い知らせる!!」
オランダ
「なんつーか、勝てないな。」

[編集] 日本軍の命令で独立した県

大阪府
1915年に大阪民国として独立させられる。
京都府
1922年に真日本国として独立した。
神奈川県
1923年に横須賀国として独立。
栃木県
1944年に日光帝国として独立。
鹿児島県
1943年に神聖薩摩帝国として独立。
山口県
1930年に山口第一帝国として成り立つ。

[編集] 代表的な装備

[編集] 小火器

三八式歩兵銃
全盛期に渡って使用された武器である。
詳細は本項を見てね!!
31式バルカン砲
明治時代にイギリスから購入したバルカンを参考に作られた武器。対敵軍への攻撃などに何度も使用された。そのハイカラな作りから諸外国からはあまりが意見からの評価を得ることは無かったが性能はアメリカを上回り、初登場した1894年から太平洋戦争初期まで利用された。
ク三三型重機関銃
国産機関銃第1号。毎分5600発を発射する。ドイツにもいくつかが輸入された。また、私用され始めた1918年から自衛隊が確定した1956年まで使用された。
ルイスL2軽機関銃
日本軍では初期の頃は多かった輸入品で、文字通りフランス軍からの武器である。また、そのデザインと性能から後の38式に大きく影響した。また、最大で1個師団を片付けられる。
八式手榴弾
国産第1号の手榴弾である。性能上コンクリート製の建物を壊すことが可能である。また、大戦末期には自決用にも使用されるなど長い間にわたって使用された。
十一式対戦車地雷
終戦まで使用された対戦車地雷である。その威力はすさまじく、100tの戦車ですら宙を舞う。また、沖縄戦などではアメリカ軍戦車に使用したところ、あっという間に陸軍は後退した。しかし、総重量は2kgなだけに'使えるようにおき並べるまで時間がかかるのが難点。'
八八式建造物爆破装置
文字通り和製クレイモア。総重量3kgで最大で鉄製のビルを煙に変えられる。戦後にはアメリカ軍にも給与された1品。その状態で1988年まで現役だったがそれ以降はコンピュータ制御装置の進展で退役した。
八十六式小銃
日本軍が使う国産のピストルである。高性能で最大装填数は4万6000発。俗に言えば和製コルトガバメント。そのためか、裕仁明仁の時代でも使用された。
九十八式散弾銃
日本製の散弾銃。性能上は50t級の装甲車を蜂の巣に変えてしまう性能。また、手持ち武器の中では1,600円(現在の価値で15万円)という高額装備。その為か1943年に850円に値下げされた。
五十五式ミリカノン砲
毎分60万5000発の弾丸を発射する。基本的に発射装置のみで車で運ばなければならない。この武器はドイツ軍にも給与されたようだが、実際に多く給与されたのはイタリア軍である。

[編集] 戦車

初期は小さいものが多く、ほとんどが自動車と比べものにならないような大きさであった。海外からの調査団はこれらを見た直後、「どうせこんな装甲車サイズの戦車を持つ国なんてすぐ負けるだろうな。」とコメントしたが諸外国の大型化に沿って本国も巨大化していった。一番小さい一式豆戦車から陸上軍艦「大和級」まで多量にある。ちなみに、アメリカは割と豆戦車に拘っていない。

[編集] 豆戦車

一式豆戦車
陸軍形成初期から使用された最も小さい戦車であり、トラック1台に4両つめた。また、海外からは子供が持つような玩具にしか見えない。と評価されるものの性能はアメリカ軍を大きく超える。実際に、1両で中国の最前線の8割を占領したという戦績を持つ。現在は動体保存される車両は数百両に満たない。
二式警戒戦車
警戒のために出された戦車でこれも最小。そのサイズから誰もが戦車といわれるまで気付かなかったそうだが、決してミニカーと考えてはいけない。性能は敵の騎馬部隊を30秒で片付けたり、8km先の歩兵隊を劇はできる性能を持つ。
六式豆戦車
主力型の豆戦車。サイズはアメリカのM1戦闘車とほぼ同じ。
十二式偵察戦車
南部戦線に配備された戦車で総重量80kg。八十六式小銃を装着できる代物で最も多く生産された豆戦車である。また、性能上M3スチュアート戦車を500台も壊すことができた。
十五式小型戦車
ドイツ軍の1号戦車を参考に作られた戦車であまりの似すぎからよく「偽ドイツ戦車」のあだ名をつけられた。ミリカノンを搭載でき、最大で10tのトレーラーを牽引できた。
八十一式軽量型戦車
イタリア軍の戦車を参考に作られた戦車で、とても強いとは思えない外装から想像も付かないような火力を発揮する。また、アメリカ軍からは「東洋の一匹狼」として恐れられた。
ト攻撃型豆戦車
もっとも攻撃型として設計された豆戦車で100kg爆弾が当たっても平気で走る。総乗員数は最多の10人。新造の500mmミリカノン砲を装備する。

[編集] 軽戦車

八一式軽戦車
本国第1号車。あまりの小ささからドイツの1号戦車とよく比較される。性質上、主力戦車の1200倍の火力を誇るため、ある意味恐ろしい。
八七式軽戦車
火力が一番高い軽戦車。性質上アメリカ軍と果敢に渡り合えた。レーダーを搭載しており最大で500km先の敵も捕らえられる。ドイツやイタリアにも輸入された。
八九式軽戦車
元はフランスのルノー型戦車。性質上一五〇〇馬力で燃費も割とかからない。ただ、フランス軍仕様なだけにアメリカなどの大型戦車と対決するにはある程度追加武装が必要。砲塔は戦車とは呼べないような装甲車サイズで誰もが警備車両と勘違いした。
九二式軽戦車
後の九五式軽戦車の原型となった戦車。重量はおよそ90t。当時、この戦車が一番の量産型で太平洋の島々を占領するのに一役買った。性質上は八九式と同じのようであるが、オリジナルのバルカン砲が装備可能。後に特四号型戦車にもベースが使用された。
九五式軽戦車
セダン1台分の大きさである。戦車とはいえないようなサイズでその上には装甲車に載るような主峰を積む。また、性能上大きく頗る為太平洋戦争で長きに渡って使用された。仕様に特3号戦車がある。

[編集] 中戦車

九七式中戦車
詳細は九七式中戦車を参照してちょうだい!!
九七式新砲塔中戦車
砲塔を現代風に造り直した仕様で、最大で射程距離が5km伸びた。
一式中戦車
総重量140tの戦車で150mm戦車砲を搭載する。九七式の後継機として開発された。
三式中戦車
太平洋戦線に最も多く投入された戦車でランチャーやロケット発射機などが搭載されたバージョンがある。
四式中戦車
やや大きめの戦車で場合によっては60mm戦車砲を搭載したり水陸両用仕様になったりする。
五式中戦車
途轍もなく大きな中戦車で、M4中戦車など多くの敵戦車を灰にしてきた名機である。

[編集] 重戦車

E130型戦車
ドイツで開発されたE型戦車を元に創り出した戦車である。この戦車は火炎砲と戦車砲を同時に搭載しており、その影響で総重量180tである。また、太平洋戦線にかり出す際には専用の輸送船が必要だった。火力は大体でM4中戦車の10台分である(当社比)。
百式重戦車
国産1号の重戦車。ほとんどがオリジナルで120mm戦車砲と13.8mm重機関銃を搭載する。また、総重量は200tである。最大でM26パーシングを30秒で一掃できた。また、中国戦線でも大いに役立ち早期講話に結びつける結果となった。中国からは「地を張ってくるドラゴン」と恐れられた。
大型イ号車
国産第2号の重戦車。ドイツのマウスを意識しており総重量250tである。190mm戦車砲を搭載し、最大で140の師団を駆逐することが出来た。また、マウスとの2ショットの写真が出回っておりドイツの方でもかなり話題である。
オイ120t超重戦車
多分日本1の戦車である。国産第3号の重戦車で極力の戦闘力を誇る。イギリスの戦車部隊やソビエトの戦車部隊は口々に「あの戦車だけは倒せない。」とコメントする。因みに、専用の輸送船は丸ビルを横にしたサイズの大きさで最大で400両積める。

[編集] 対空戦車

八十八式対航空機撃墜型戦車
国産第1号の対空戦車。車体自体は一式砲戦車の流用で新たに対空用の一四〇mm連装機関砲が搭載されている。性能からイタリア軍やルーマニア軍にも終戦までに4500両が輸入されておりM42ダスターと肩が並ぶ威力である。
ヴィルヴェルヴィンド
ドイツから輸入した対空戦車。日本語表記は「対空猛虎」。ソビエト・アメリカの戦闘機を立て続けに撃墜した実績を持つため国内でちやほやされた。しかし、終戦までに日本に来た数は2000両未満だったりする。
九十三式対空武装戦車
対B29迎撃用対空戦車。初めて新規で作られた車両で、車体の全長は180mであり武装は240mm6連装対空砲×6の大型仕様。その大きさから、「B29の天敵」としてアメリカから恐れられた。
七十六式対空砲戦車
対英国空軍機迎撃用対空戦車。こちらも新規で制作されており全長150mと九十三式より30m短い。武装も200mm4連装対空砲×4と控えめ。終戦までにイギリス軍の戦闘機を500機以上迎撃したため勲章を得た。

[編集] 空挺戦車

特一号戦車
九十七式中戦車を改良したもので翼を装備する。一式陸上攻撃機に搭載され、戦場から降下し着地すると自動で翼が外れる仕様である。その後、ドイツにも幾つかが輸入された。
特二号戦車
四式中戦車の派生型。エンジンつきの翼を装備しており、グライダー形式で戦場に着陸する。ポートモレスビー・サイパングァム・マリアナなどで奇襲作戦に使用された。
特三号戦車
九十五式軽戦車の派生。遠隔制御機能と小型レーダーを搭載しており、滑走形式で戦場に降り立つ。本土決戦を想定して作られていたが、マリアナ諸島占領作戦に使用された。
特四号戦車
新規で作られた空挺戦車。高性能をほこり、中型のレーダーと120mm主砲を2門装備する。アメリカ本土上陸や、モスクワ奇襲作戦などで使用された。その後、タラントにも多数配備された。
特五号戦車
こちらはドイツのその地点で試作段階だった空挺戦車を基に作られたもの。大型レーダーと小型機関砲に加えて30cm主砲を装備する。華盛頓強襲作戦に投入されておりその実績が証明された。
特六号戦車
輸出仕様車である。武装は56mm機関砲と80cm主砲で、イタリアやルーマニア・ドイツなどに輸出された。その後、本土上陸作戦にも使用されており、国連発足まで続けられた。

[編集] 水陸両用戦車

特一式内火艇
陸軍初の水陸両用戦車である。性能上、深さ4mの川を渡航した上で敵のゲリラ部隊を撃滅できる230mm砲を2門装備していた。陸軍全土に配備され、終戦までに多くの内火艇が活用された。
特二式内火艇
陸軍2台目の水陸両用戦車である。50cm連装機関砲と430mm戦車砲を装備しており深さ10mの川や湖を渡航した。その後、加州上陸作戦に投入されアメリカから恐れられた。
特三式内火艇
ドイツの水陸両用戦車を参考に作られた戦車である。性能上言えばアメリカの水陸両用車両の数万倍の火力を発揮する。48cm2連装主砲5門に加え130mm機関銃8門を装備する。深さ6mを渡航する。
特四式内火艇
アメリカ軍の過激派を撃滅するために投入された戦車である。車体自体は八十二式中戦車の流用で、深さ14mの河川を渡航する性能を持つ。その後、イタリア軍に正式採用されてるが以前からドイツに輸入されていた。

[編集] 火炎戦車

正直、新規で作られたのはごくわずか。ほとんどが生産された戦車を流用したものだらけだった。

九五式火炎戦車
元は九五式軽戦車。しかし、搭載された火炎放射器のサイズの都合上砲塔の位置が前に変更された。また、沖縄戦では最大で1500平方キロメートルの敵をなぎ払ったという業績がある。
八八式火炎戦車
新規で作られた車両その1。2連装火炎放射器を装備しておりライバルはM4火炎戦車であった。また、渡航できるようにスクリューが設けられた。
九七式火炎戦車
元は見ての通り九七式中戦車。前後に三連装の火炎放射器という計六連装である。日本中で愛用されており、戦後には焼き畑活動にも使用された。
九九式火炎戦車
新規で作られた車両その2。原子力タービンで稼働しており前後左右に火炎放射器を2つずつ装備する。硫黄島の戦いでも使用されておりその戦績は計り知れない。
一式火炎戦車
元は一式中戦車。M26パーシングの出現に伴い一式中戦車を流用して作られた。最大で一六〇〇平方キロメートルに散らばる敵兵を片っ端から焼き払うという戦績を持つ。

[編集] 装甲車

当初はフランス陸軍やルーマニア陸軍などからの流用が多かったが、後期は完全に新規化された。

[編集] 装輪式装甲車

ワルフE1軽装甲車
陸軍の中で最も小さい装甲車。武装は機関銃2丁だけでもっぱら白兵戦まで持ちこたえられるのが限界。ちなみに、装甲だけは頑丈になるようにしてある。
ワルフE2軽装甲車
同型であるが、武装が三四式車載機関砲に変更されておりゲリラ戦に適応する。また、第一次大戦回顧録においてもこの装甲車が愛用されていたといわれる。
ワルフE3軽装甲車
グレネードランチャーの原点ともいえる四三式発火砲を装備。また、フランス軍仕様には存在していなかった発煙筒と対戦車ライフルも常備されてる。
オースティンF1中装甲車
ルーマニア陸軍より輸入した中装甲車。武装は13.8mm重機関銃と高射砲4基。当初は非常に高価な装甲車だったため日本やドイツぐらいしか輸入できなかった。その後、テケ型装甲車のモデルになった。
オースティンF2中装甲車
派生型。武装は後部に対戦車ミサイルの原型とも言える「対戦車砲」を装備。
オースティンF3中装甲車
火炎放射器に付け替えた仕様。その後、硫黄島やビスマルク諸島などで敵戦車迎撃作戦にもかり出された。戦後は反乱軍鎮圧に使われた。
オースティンF4中装甲車
原子力タービンエンジン仕様。その為、車高が若干高くなっており車庫のスペースの確保に混乱が生じたという。また、補給を必要としないため長らく使われた。
オースティンF5中装甲車
ニトロタービン仕様。連接機能を搭載しており最大で160両繋げたという記録がある。また、陸の大蛇としてアメリカやフランスから恐れられた。

[編集] 装軌式装甲車

当初は、ドイツ軍からの輸入が多かったが速くも国内製が多く誕生した。

プラームズF30型装甲車
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