大和 (野球)

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大和(やまと、本名:前田 大和(まえだ やまと)、1987年11月5日- )は2018年現在、Bクラスが続いた球団に所属する鹿児島県出身の遣いっパシリであり、センター兼セカンド兼ショート[1]である。

また、赤い彗星の再来である。

人物[編集]

  • イマドキのチャラ男的な風貌。イケてるかどうかは、お察し下さい
  • 甲子園での数少ない打席機会では、『宇宙戦艦ヤマト』のテーマソングに後押しされて打席に向かう。
  • 解説席のどんでんからは、『細すぎる』との評。
  • 中西太氏からは、センスや脚力だけでなく、“対左の打撃力”を高く買われている。『キャリアのある1流左腕を相手にしてもキチッと打てる。その代わり、右の横手投げには腰が引けてる打撃スタイルだから、その点はお察し下さい』とのこと。
  • 精密機械曰く、「遊撃守備は自分よりも上手い」とのこと。
  • 端的にいえばの零代、その後 ふざけた人+初代-(パンチ力+積極的打撃+積極的盗塁)。

来歴[編集]

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入団から3年目まで[編集]

高3だった2005年夏の甲子園に出場。ベスト8まで勝ち残れたんで、その秋には、高校生だけのドラフト4順目(チームとしては3人目)で入れてもらえた。
と言うのも実は、どんでん監督(当時)の肝煎りである。夏の甲子園の中継をハナクソほじりながらボンヤリ観ていた際に、ゴロ処理の1プレーだけで獲得を決断したと、どんでんが明かしている。ただし、大和の打撃水準にまでは一言も触れていない。

惚れ込んで獲ったは良いが、その懸念通り、恐ろしく飛ばせない打撃。おかげで3年目までは、ず~っと2軍で下積み。それでも低打率ながら、優先的に起用してもらっていたそうな[2]

ただ、その3年目(2008年)の春季キャンプには、開始当初から1軍帯同を許されている。しかしキャンプとは言え、初の1軍に「何が何だかワカラン」ほど緊張しまくってオロオロしていた為に、1軍監督のどんでんから「(若いのに)ハツラツさが無い」とダメ出しをくらって、10日程度で2軍送還。この年は1軍再昇格も無いまま、シーズンを終えたのである。

転機の年・2009年[編集]

この年のチームの戦いぶりはこちらで。

阪神タイガース/2009年も参照。

 

すると4年目の2009年、1軍に呼んでもらえた。でも、これには世間よりも本人が驚いたに違いない。ガンガン打ちまくった年さえ無い2軍成績で、この時も2割に満たない打率であった。おそらく、抜擢した1軍監督バキューン!!

その大和の打撃コンプレックスは5月31日、札幌での北の国から球団と延長まで もつれた総力戦で発揮された。途中出場ながら延長12回表の2死1・2塁に打席が巡ってきたものの、一振りもしないで三振[3]に倒れ、好機を逸している。
それどころか、その直後の12回ウラ。長所であった守備面では1死から、平凡そうな2ゴロで失策をやらかした。結局、失点に結び付かずに引き分けで終えられたチームだったが、大和の『1軍ビビリ病』は誰の目にも明らかだった。当然ながら翌日、あっさりと2軍降格させられた。

しかし、札幌での あの三振、即2軍降格から約1ヶ月後の7月5日。雪辱の機会をもらった。チビッコ先輩、その1の登録抹消による再昇格である。

同月22日、甲子園での神宮に居座る、ふにんきのツバメ球団との前半戦最終試合。鳥谷くんのアクシデントで途中出場の機会が巡ってきた。すると、ツバメの右エース・館山昌平からプロ初安打を含む2安打を放って見せた。湿ってた打線も、大和の分を含む11安打を浴びせたのである[4]

そして夏頃には『宇宙戦艦ヤマト』のテーマが、黄色い お祭り集団にも認知され始めた。

だが、どこをどう見ても この細さで波動砲を備えているとも、46㎝主砲を備えているとも、思えない。しかも、「チームの先輩であるチビッコ3人組」よりも線が細いのは周知の事実。ハッキリ言って、


戦艦どころか、駆逐艦でさえ ない。掃海艇が妥当だろう。


いや、むしろ、
クロネコ宅急便


と言い換えた方が相応しいのだろう。どうせ誰も、将来のクリンナップ打者だ、なんて思ってないし。

そして8月末の巨人戦に見せ場が来た。珍しく3-1でリードする6回ウラ、1塁走者としての代走起用である。

すると、鳥谷くんのライト線2塁打で激走、1塁から本塁へ生還して面目躍如。クロネコらしくチームに4点目を宅配したのであった。

しかし9月5日に1軍登録を再抹消されると、そのままシーズンを終えた。それでも、札幌で見せた『1軍ビビリ病』を克服できたようだった。

なおオフには、先輩野手であったフジモンキーがツバメ球団へ逃亡。フジモンキーの背番号「9」 が空き番号になった為、欲しくなったそうである。でも、まだ御預け。

その空き番だった「9」も2010年シーズンから加入した新外人・マートンが着用。一時は、ダメ害人の兆しを見せたかに思われたが持ち直しちゃったんで、もらえる見込みも無くなりそうでうある。

2010年、いよいよ活躍か!?[編集]

2010年4月3日、スタメン2番セカンドで起用されたナゴヤでの味噌カツ球団戦でも、0-1で追撃する4表の先頭打者としてチェンから中前打(この日のチーム初安打)を放つ。続くトリちゃんのピッチャー返しが、チェンの右足の甲を直撃。弾かれた打球が大きく角度を変えて、ガラ空きの1・2塁間を抜けてライト線までコロコロと転がる間に、1塁から本塁生還。またしても快足で得点を宅配した。

ただし、この日の得点が、この1点のみだった事実を指摘するのは検閲により削除

しかしその1カ月後の中日戦で再びスタメンに抜擢され意外や、意外、打って、盗んでと宅急便ぽくないことばかりをした。

おかげで、この脚力に惚れ込んだ監督からは、福岡の交流戦守備固めで、キャンプでも試してないライトに起用された。(外野経験アリの平野を2塁に残したまま、大和をライトである(怒)。実際、打球処理機会なし)。

そして、この年から起用され始めた上本と、7月には『代走コンビ』でお立ち台に上がるなど、活躍度はUP。監督の『マシンガン代走』に拍車が掛かったのもこの頃である。←なお、このマシンガン代走の乱用で誕生したのが、ライト西村である(怒)。

そしてこの年の終盤、広島では未経験のレフトにも回された。←守りの野球を表明しながら、守備軽視にも程があるぞ!!!監督

そして秋季キャンプで ようやく外野守備練習に取り組む。順序が逆である。ただ2011年は怪我で出遅れて、御役に立てませんでした。

2012年[編集]

ダメ監督から和田に監督が替わった、この年。

金本・赤星の安泰期に新規・中途獲得を怠ったこともあり、2009年辺りから1軍水準を満たす外野手の枯渇により、本格的な外野手として起用され始めた。内野あがりにどれほどできるか?なんて不安視されたが、割と順応できている。あとは打撃の問題。

ところがライバルは打撃のみのザル守備林威助の他、打撃低調な浅井・チョンボ俊介・落球柴田など。ほとんど楽勝で開幕1軍を確定させた。←大和のセンス以上に程度の低い外野手だらけだ、という事実を内外に知らしめた。そして盗塁数はチーム一、しかも得点圏打率が高い。黒いユニフォームに猫科の球団、まさにクロネコ宅急便が得点を配達中である。

2013年[編集]

祝・規定打席到達!

いやホントに。クロネコ宅急便がついにここまで。まあライバルがいないだけですけどね。打てなかろうが守れるだけ他よりマシということで出まくりました。死球で骨折するまで。打てないならバントすればいいじゃない。

2014年、日本シリーズでついに活躍[編集]

外野手登録に変更。今更かよ。 それは置いといて2014の大和といえば、そう。

日本シリーズです。

センターを右に左にフェンス際に走り回り、華麗にキャッチ。クロネコではなくてむしろイヌでは?普段は宅配業者感溢れる光景でも、日本シリーズとなれば拍手喝采。この日本シリーズだけで彼のファンが5000人増えたとか。なお打撃。あとチームの結果。

この年は自身初のゴールデングラブ賞受賞に、プロ初の本塁打を放つなど記録ずくめの年だった。でも本塁打は米子だから参考記録だけどね。

脚注[編集]

  1. ^ 本職はショート。ただしセンターの方が上手い。
  2. ^ 誰もが守備だけ褒める。
  3. ^ 試合後の取材に対し、『だって、怖かっただもん』と正直に答えている。
  4. ^ ただしチームは3併殺という拙攻まで見せ、館山に完封されている。

関連項目[編集]

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