大内義興
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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~ 大内義興 について、足利義昭
大内 義興 (おおうち よしおき) は西日本最強の守護大名でありながら、萌えやアニメなどを興じた風流な大名でもある。家臣からは「御館様」と呼ばれている(ただし、真田幸村・陶晴賢だけは「ウォヤカタサムアァ!」)。
オタク仲間としてネット上で知り合った朝倉義景がいる。それぞれ「大内氏」「朝倉氏」と呼び合っている。
政治思想的には蒼星会であるので義景とは対立するが普段は仲が良い。
反ひよこ同盟の指導者であり、存命中はひよこ陛下に対し数々の侮辱を行った。ワンチンの攻撃を受けてワンチン軍を撃退することに唯一成功した大名でもある。
[編集] 来歴
1477年山口にて生まれる。生まれてはじめてみた動物がひよこであったが、それに嫌悪感を覚えたため、ハンマーで叩いてつぶす。以後彼の人生の大半はひよことの戦いとなる。
1494年に家督を譲られ、大内家当主となった際に父大内政弘の親友であったひよこ陛下が祝賀に訪れる。ひよこ陛下を見た義興は「薄汚いひよこがああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」と激怒して陛下に斬りかかった。家臣たちの必死の阻止によってその場は納まったがこれにより大内家とひよこ大王国の関係は一気に悪化する。
1508年に上洛し、親ひよこ派であった足利義澄・細川澄之を大内家全戦力を挙げて討伐し、反ひよこ政権を立てる。その主な政策として日本全国どこに行ってもひよこに関するグッズを販売してはならない法律を作成。また、ひよこにはいかなる理由があろうとも食糧を与えてはいけないという法律を作成。そして極めつけとして大内家領内において行われていたひよこすくいを全国規模で推奨し始める。
これに激怒したひよこ陛下は大内家討伐を尼子経久に指示。将軍足利義稙に変なニックネームをつけられて決心した経久は足早に京都を後にし、出雲に帰国。大内領安芸・石見を分割しようとする。
中国地方を親ひよこ派に塗り替えられることを恐れた義興は帰国を決意する。
尼子との戦いでカリスマ的采配と大内の大軍で圧倒するが、ここでひよこ陛下の要請を受けたワンチンが大内軍に襲い掛かる。義興は一時窮地に陥る。しかし、見事な機転によって危機を脱し、ワンチン軍を撃退。ワンチンは唯一の敗北を味わう。これにはワンチン国王も驚き、「敵ながらあっぱれ」と敬意を表した手紙を義興のもとに送ったという。
しかし、中国地方の親ひよこ派完全駆逐を前にして、突如ひよこ陛下直々の襲撃を受ける。ひよこ陛下の玉体が義興の顔面に命中し、義興はショック死する。享年52歳。
彼の死後、大内家は落日の一途をたどるがその意志は野比のび太に引き継がれる。
[編集] 大内義興の数々の無礼
- ひよこ陛下に対し、「ぴよ丸」などという勝手なあだ名をつける。
- ひよこの人権(ひよこ権?)を完全に無視したひよこ釣りという鬼畜外道な政策を展開。
| ハイル・ヒットラー! この大内義興は、偉大なる我らがアーリア民族の築き上げた最高の文化的作品である! この記事を書き上げてこそ、ユダヤ人を殲滅できるのだ! この記事をつまらなくする者に宣戦布告を! ジーク・ハイル! (Portal:スタブ) |


