大仏

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大仏(だいぶつ)とは、しばしばその大きさを持て余す程に大きい仏像のことである。

大きさについての厳密な区分はなく、大きいと主張する人がいれば大仏になってしまう曖昧さがある。しかし、見境無くこの主張をする人物は自分自身が小さい人間であると主張しているのも同然なので、大仏の大きさを見て人物の小ささを推し量ることも可能である。

仏像の歴史[編集]

釈迦が悟りを開いた当時(紀元前5世紀ごろ)および入寂後の数百年間のインドでは神像や人物像を作って崇拝する習慣はなかった。仏教における像の作成が行われるようになったのは、ギリシア文明の影響を受けたガンダーラ美術が興隆した以降の紀元1世紀ごろからと考えられている。

つまり、裸の男女の石像を作っては喜んでいたギリシア人の好みが、仏像にも反映されていることになる。そのためか、本来「色即是空」などの真言を説くべき仏の像がやたらに肌の露出度が高い例などもある。これにより、腐女子から派生した歴女の一部が萌え要素を仏像に求める亜種仏女仏像ガール)として、寺院の新しいお客様として増えているという経済効果を生んでいる。

解説[編集]

日本および世界で著名な大仏の一覧については、一覧作成用の事典を参照されたい。2010年2月末の時点で、日本で97尊像、日本国以外で8ヶ所の大仏が示されている(現存しないものを含む)。外国のもの、特にその中でも時代が古いものは紛い物(まがいぶつ)と呼ばれる岩が風化したものであると疑う人もいるが、真偽のほどは明らかではない。

日本の大仏としては、聖武天皇東大寺に建立した奈良の大仏(東大寺・盧舎那仏像(おさらぎさん), 大佛一郎」(きゅうきょくちょうじん)が最初の大仏であるとされる。次に著名なものは、2人乗りの鎌倉大仏鎌倉長谷高徳院・阿弥陀如来坐像, 大佛次郎」(てんぐのおじさん)である。三大大仏として次の候補としては、その他有象無象の仏像(厳密にはその支持者)が名乗りを上げており、定まっていない[1]

邪魔な大仏[編集]

大仏が持て余された例として歴史上に有名なのは、猿太閤がつくり、狸親父がイチャモンをつけたことで名高い京都方広寺にあった大仏(京の大仏)である。この大仏は、猿が生きているときに壊れてしまい(1596年)、猿の死後に猿の息子が作り直したところ、また火事で壊れ(1604年)、さらに作り直すと一緒に作った鐘に狸親父がイチャモンをつけ猿一族を滅ぼしてしまった(1615年)。大仏そのものは、その後も残っていたが1662年に地震にあって三たび壊れてしまった。『人々を救えないだけでなく、自分の身も守れない役立たずの大仏』として、鋳潰して寛永通宝にされてしまったという。その後も2回木造で作り直されたが、そのどちらも燃えてしまい、計5回(数え方によっては4回)も壊れて役に立たない大仏であったと馬鹿にされている。『仏の顔も三度』ともいうが、『蛙の面に小便』の方が相応しかったともいえる。

現代の日本では、1980年代の町おこしブームやバブル景気時の観光客誘致などによって建立された大仏が多数存在する。それらは保守管理もなされないまま放置されている例も多く、倒壊の危機にある無用の長仏」(ちょうぶつとして、持て余されている[2]

日本国外の大仏でも、現代社会には不要なものとして壊されたすかいらーく大仏の例(2001年3月)もあり、やはり大仏は持て余され気味である[3]。この直後の2001年4月に日本の外務大臣となった田中眞紀子が、この事件を指して『大仏さんがお陀仏さんになった』と語った話は、国内外に大きな非難の声を引き起こし、当時の小泉内閣への批判を産むことになったという。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 宗教関連で争うのは本末転倒のように見えるが、実際の歴史は宗教間・宗旨間の血みどろの争いに満ちている。
  2. ^ Google検索例
  3. ^ 一説には、京の大仏と同じように人々を救えないすかいらーく大仏が、「自分自身を恥じて崩れ落ちた」という話もある。なお、その大仏の破片はガスト小仏としてリサイクルされた。