大久保忠教

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大久保 彦左衛門 忠教(おおくぼ ひこざえもん ただたか、永禄3年(1560年?) - 寛永16年2月29日 (旧暦)(1639年4月2日))は戦国時代から江戸時代初期にかけて徳川氏に仕え活躍したプロパガンダ作家である。

略歴[編集]

愛知県岡崎市に生まれた忠教は、兄達とともに地元のウソツキでヘタレ律儀なの配下となる。

兄達とパシリ活動[編集]

1572年、三方ヶ原の戦いで初陣を飾る。しかし忠教は全く戦わず、もっぱら主君の狸を観察していた。結果、狸はうんこを漏らしながら敗走し、それをからかわれて「これは焼き味噌だ」と弁解。忠教はこれをかばうどころか一緒になってバカにしたため、家康から深く恨まれることになる。なお、忠教の初陣は17歳だからこの一件は時系列に矛盾があることになるが、本人が三河物語に書いているんだから間違いない。まあホントは三河物語にはそんなこと一文字も書いてないけど

その後、狸は織田信長への血の滲む様なパシリを続け、長篠の戦いで武田勝頼を撃破してもらおうとする。合戦に参加した忠教は信長を敬うどころか「てめえの作戦なんぞ知ったことか」とばかりに馬防柵を飛び出して突撃し、作戦を台無しにしかけるが、すぐさま武田軍にボコられて敗走し、馬防柵の中へと逃げ込んだ。結果、これがうまい具合に囮行動になって武田軍をおびき寄せることに成功し、合戦は大勝利。信長から作戦無視をチャラにしてもらうが、忠教は武田軍にボコられた恐怖を信長の作戦のせいだと逆恨みし、後になって信長を貶めるための捏造にはげんだ。

1582年、信長が本能寺にてキンカン頭に謀反を起こされ死亡、徳川家康は大阪から三河に逃げ帰る。三河でグータラ過ごしていた忠教は「やべ、これから親分居なくなってどうしよう」とオロオロする狸を見てやはりあざ笑っていたようである。そして1585年、関西を制圧しつつあることに危機感を抱いた狸は信州上田城を攻め、領土を広げる事で対抗しようとした。だが、相手が悪かった。歴戦の兵であるザ・六文銭こと真田昌幸に徳川軍はコテンパンにされる羽目になる。忠教は大した活躍もできなかったが、後年になってとともに非常に奮戦したという事にした。

狸の天下、しかし…[編集]

その後、徳川家は紆余曲折を経て、ついに江戸に幕府を開く。しかしこの時、忠教及び大久保一族に未曾有の危機が迫る。家康の知恵袋として活躍していた本多正信の嫌がらせによって、親類・大久保長安の幕府転覆計画がバレ、総領の大久保忠隣を始めとする大久保一族は総じて処分の憂き目に遭う。もちろん忠教も例外ではなく、追放されてしまった。少し立つと一応許され、1000石で狸の家臣に戻された。(以前は3000石)

そして徳川家は豊臣家を潰すことに成功する。忠教は大坂の陣でも大した活躍はできなかったが、活躍したことにした。しかしこの後、敬愛していた狸が天麩羅攻撃を喰らい死去してしまう。ここから先、忠教は何を思ったのか、頼まれても居ないのに余計な事をガンガン行うようになる。

執筆活動[編集]

家康の死後、隠居した忠教はライトノベル「三河物語~俺の所領が狭いのはどう考えてもお前らが悪い!」の執筆を開始。内容は簡単に言うと「大久保家age」「大久保家以外の徳川家臣sage」「特に外様は徹底的にsage」「織田家sage」「徳川家sage(でも他の大名家よりはageる)」・・・と、分かりやすく酷い内容だったため、2chのスレッドでは「大久保家TUEEEEE物語」などと揶揄された。

三河物語の内容[編集]

  • 家康の先祖はどこかの流れ者。それが三河の地侍の娘をはらませ、以後三河に居座った。
  • 今川義元はすごい悪い奴。
  • そんな今川義元の仕打ちに耐えてた徳川家の家臣はみんな、いや、ほとんどが良い奴。
  • 今川氏真バカ。すごいバカ。ありえないくらいバカ。
  • だから俺たちに謀反されたってしょうがないんだよ、うん。ていうか謀反じゃないよ。
  • 長篠の戦いで勝てたのは鳥居強右衛門の頑張りと酒井の策と大久保の奮戦のおかげ。まあ要するに徳川家臣のおかげ。織田軍のおかげじゃあない。
  • 徳川信康が切腹したのは織田信長と酒井忠次のせい。あとなんか信濃を攻めた時に諏訪さんを味方につけられなかったのも酒井忠次のせい。断じて、酒井忠世が老中として幕政を取り仕切っている事を妬んでの捏造ではない。
  • 織田信長は息子と仲が悪くてな、本能寺の変のとき、織田信長はまず長男を犯人だと疑ったんだ。
  • 信長記?ああ、あれはな、三分の一は事実だし、三分の一は事実に近い事を書いてるが、残りの三分の一はウソだよ。何、それはこの小説じゃないかだと?
  • 真田攻めの時に負けたのは俺の作戦に保科正直が同意しなかったからだ。あいつは臆病者の上に武者として戦ったことなんかないんだ。あとあと保科家が秀忠公の息子を養子にしたことが羨ましいわけでは断じてないぞ!全く外様の分際で……ブツブツ
  • 徳川秀忠が真田に苦戦して関ヶ原の戦いに間に合わなかったのは、お付きの本多正信が無能だったせいだ。断じてアイツに大久保一族が追放された事を逆恨みしてるわけじゃないぞ!だいたいアイツは三河で一向一揆が起きた時、一揆側について(以下略
  • 将軍が旗本の「輿に乗っての登城」を禁じると、本人「僕、ひこざえもん。本当に秀忠君はしょうがないなあ、おおたらい~」とつぶやきながら、巨大なタライに乗ってしてやったり顔で登城した。とんち坊主の一休さんに倣ったような奇行を披露、将軍と幕府上層部は頭を抱えることになる。この他にも将軍に嫌がらせのような辣言を連発している。
  • 能力のある人間ってのはロクな奴がいない。でもそういう奴に限って出世するんだよなぁ・・・
  • 家康はケチ。ケチだから俺みたいに忠実な家臣に領地をくれない。
  • 家康が天下統一したのは俺たち譜代のおかげだ。
  • 俺は本当ならもっと領地をもらっていいはずだ。(※こいつは「お前の兄貴の家が後継ぎいないから後継いでくれない?」って言われたのを断ってます)
  • 俺の子孫へ。家康に感謝する必要なんて全然ないからな。
  • この小説は俺の子孫だけに向けて書いたんだからな。もし何かあって一般人に読まれてしまっても、それは偶然流出したのであって、断じて俺が世間へ向けてプロパガンダ作品を広めたんじゃないからな!絶対だぞ!俺をウソつき呼ばわりするなこの外様野郎(以下省略