多砲塔戦車
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
多砲塔戦車は、第一次世界大戦前後に世界中で大流行した、百貨店の一種である。名前こそ多砲塔戦車と付いているが、戦車の割に装甲は薄く、どちらかといえば軍艦島のニュアンスに近い。
- 基本的に大きな砲塔の根本に囲むように小さな機銃砲塔があり、ルーレットのようになっている。機銃砲塔の上に大きな砲塔の砲がきた場合、砲が邪魔で脱出できない。のちのロシアンルーレットである。
- 大戦中、駆動方式に於いて今では当たり前のRRを採用していたのはソヴィエトのみであった。これは多砲塔戦車は全長が長いためドライブシャフトが使えないのでRRをとらざるを得ず、ソヴィエトはそのまま多砲塔戦車以外でも採用した。
- 実際、RFは変速機が邪魔で傾斜装甲を使いにくかったりドライブシャフト分だけ車高が上がったりとデメリット以外無いのだが、各国の設計人は「綱引きみたいなかんじで、こっちの方が効率が良さそうだった」とコメントしており、勘違いも甚だしかった。
- 多砲塔戦車が役に立ったのはこの辺だけである。
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[編集] 兵器としての経緯
- 「砲塔つけて全周囲に同時に攻撃できたら無敵じゃね?」とVIPでスレが立ったのが始まりとされる。こうして生まれた移動要塞としての多砲塔戦車だったが、戦車は元々重量に注意が要る兵器であり、制限のある重量内では満足に火力、防御力を確保できず、そうでありながら超重量のため機動力も劣悪という、戦車としては最悪の出来だった。しかし軍の上層部はそれに気づかず実戦配備、戦場に到達する前に襲撃され撃破されてしまうことが多く、また戦場においてもその紙装甲により大した戦果を上げることもなくいたずらに被害を増やした。この時点で、しつこく開発を続けたソヴィエトを除きすべての国が多砲塔戦車の妄想から覚め、以後パッタリ見なくなった。
- なお、第2次世界大戦中のドイツ軍のビラにはノイバウファーツォイク(新式車両)が写っている事があり、連合国軍は戦場に存在しないこの戦車を不審に思い、心霊写真として除霊したようだ。
- しかし実際には格好いいという多砲塔戦車唯一の長所を活かしたプロパガンダのビラらしい。
[編集] 百貨店としての経緯
多砲塔戦車はその多数の砲塔を乗せるために車体が大きく、車内は下駄箱よりは広くできているため、ありとあらゆる商品を取りそろえることが可能である。
- どの国の多砲塔戦車も戦場に着く前に主婦の襲撃に遭い売り切れ続出、ワゴンセールを行う必要すらなかった。しかし軍からは見放され開発中止となった。ソヴィエトでは順調に売り上げを伸ばしていたが、スターリン同志は「君たちは何故戦車の中に百貨店を作ろうとするのかね」と手痛いツッコミをとばしたが、これはスターリン同志の「中よりも外に作った方がよいのでは」という配慮であり、後のタンクデサントへと昇華された。ちなみに「マトリョーシカの軍事転用です」とギャグをかました者達は赤軍大粛正のためにこの世から姿を消したという。
[編集] 幸福アイテムとしての経緯
- 大半の軍で多砲塔戦車がお払い箱になってしまってから数十年が経過した後、極東の島国において、これに着目した者たちがいたという。
- 彼らは第一線では到底役に立たなくなった多砲塔戦車やその残骸をタダ同然でかき集めては、
- 大航海時代にアフリカ沿岸で流行ったガラス玉
- 古代金貨のイミテーション
- 呪いのクマたん
- 等の増加装甲を貼り付け、これに
- 「幸運をもたらす大量の念がこもっている」
- ことにして、幸福アイテムとして高値で転売したのである。
- 恐るべきは、あからさま過ぎるこのバッタ物を本物と信じ込んで購入するちょっと
足りない勘違いした人々が相当数存在したという事実である。 - オンライン決済終了後に送りつけられてきた多宝塔戦車に狭い庭を占拠されて初めて、カスタマーたちは自分たちの過ちを悟ったという。
- なお、このバージョンの多砲塔戦車は、往々にして
- 多宝塔戦車
- と呼び習わされた(あさりよしとおに関連著作あり)。

