多村仁志

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多村 仁志(タムラ ヒトシ、1977年3月28日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手兼スペランカーである。

略歴[編集]

マジで危険。
  • 中学時代、リレーで複雑骨折。意外にもこれが初めての骨折であった。
  • 横浜高校野球部に入部するも、一度だけ抜け出した、と後に本人が語る。人間としての耐性を備えているかどうか怪しいのに、猛練習に耐えられないのは当然といえる。因みにかなりの悪ガキだったとか。
  • 高校三年時、甲子園出場決定での胴上げの際に足をつって、胴上げに加われず。
  • 1994年のセンバツ一回戦で赤星憲広のいた大府高校と対戦したことを、どれくらいの数の野球ファンが知っているだろうか。
  • 1995年、横浜ベイスターズに入団。さっそく右肩を痛める。
  • 1997年、開幕一軍スタートが決定し、代打や守備固めでそこそこの成績を残す。
  • とある試合で7番・ライトとしてスタメン出場するも、バックホームの際に右肩を脱臼したことが原因で戦線離脱。
  • 目が覚めたら、いつの間にか右肩にボルトを埋め込れていた。
  • 1998年、右肩のリハビリのため、一軍・二軍とも試合出場なし。99年も二軍戦のみ。
  • 2003年、ファイルフライ捕球の際、観客席から危険物が投げ込まれるも見事に回避して事なきを終える。
  • 2004年、野球以外での爆発が目立つようになる。しかし、欠場試合数は多いが、この年は自己最高レベルの成績を叩き出している。
  • 2005年、開幕前にインフルエンザになり、さらに靴ひもを結ぶ際にぎっくり腰を発生させ、ぎっくり腰完治後には交通事故を起こす。
  • 因みにぎっくり腰を発生させる前の打撃成績は65試合・打率3割4分4厘・21本塁打と暫定二冠王だった。
  • 2006年、2006年第1回WBCに出場。中軸としてチームに貢献。なおシーズンでは本塁の悪魔に襲われ欠場ラッシュ。
  • 2007年、福岡ソフトバンクホークスにトレード移籍。
  • 北京五輪代表候補に選出されるが、シーズン中の故障もあって、星野監督から直接代表落ちを通知される。
  • 2008年、センターの守備中に、味方レフトを装った悪魔による猛突進を浴びて戦線離脱。
  • 2009年、リーグ開幕直前のオープン戦で、右肩が爆発。
  • クライマックスシリーズ1stステージ前日腰が爆発。
  • 2010年、シーズン通しての活躍と、故障中や不調時のパフォーマンスの安定を狙い持久力とメンタル面での強化を行いシーズンに臨むと、144試合中4試合の欠場というだけで大きな故障がないという神がかり的な奇跡を起こし、7年ぶりのリーグ優勝に貢献する。個人成績でもチーム内3冠という快挙。
  • 2011年、この年も怪我無しでシーズンを終えるかと思いきや、調子を上げて来た6月に突如故障の悪魔がよみがえり、左手小指に死球を受け裂傷。さらに自打球で左足小指を骨折するなどして、1年を通して故障の悪魔に再び苦しめられた。さらに、初めての日本シリーズでは張り切りすぎてフェンスに激突する好補を披露。その後立ち上がることが出来ずに担架で運ばれる。
  • 2012年、発熱と腰痛で苦しみ、成績を落とす。シーズン後、古巣に再トレード。
  • 2013年、左太腿の張りを訴える。症状は軽症だったのだが、多村の怪我=重症というイメージによって間違えて登録抹消。だが、1試合に代打での打席とそのあとのサヨナラの打席で本塁打を記録するという快挙を達成するなど活躍してチームを最下位から脱出させるという奇跡を達成した。

全盛期の多村仁志伝説[編集]

  • 1試合3回負傷退場は当たり前、1試合8退場も
  • 初回先頭打者負傷退場を頻発
  • 多村にとってのフルイニング出場は初回負傷退場のしそこない
  • 初回先頭打者サイクル負傷退場も日常茶飯事
  • 9回裏100点差、チームメイト全員負傷の状況から1人で負傷退場
  • 1回の負傷退場が3回目の負傷退場に見える
  • 呼吸で負傷退場
  • 打席に立つだけで多村が泣いて目を痛める、心臓発作を起こす多村も
  • 複雑骨折でも納得いかなければろっ骨折って負傷退場
  • あまりに負傷退場し過ぎるから負傷退場もホームラン扱い
  • そのホームランもアキレス腱断裂
  • ピッチャーが一睨みしただけで多村が足を捻挫
  • 試合の無い移動日でも2回負傷退場
  • シーズン200回負傷退場記念花束を受け取って掌骨折
  • バット使わずに手で打って複雑骨折
  • 自分のホームランボールを自分でキャッチして肩脱臼
  • 両手複雑骨折なんてザラ、全身複雑骨折も
  • 一塁でアウトになってから複雑骨折するほうが速かった
  • ウェイティングサークルから負傷退場
  • 打球をキャッチしようとした左掌と、それを受け止めようとした右手、背中、足ともども複雑骨折した
  • 観客の韓国人のヤジに下手な韓国語で反論しながら複雑骨折
  • グッとガッツポーズしただけで腱鞘炎
  • 複雑骨折でハリケーンが起きたことは有名
  • ライトの深い位置から三塁線のスクイズで複雑骨折
  • ボウリングでもやっぱり複雑骨折
  • あまりに負傷するので最初から退場していた時期も
  • 多村が打ったホームランを観客席の子供が捕ったらすでに多村は複雑骨折していた。
  • 一塁でアウトを取られたように見えたが、実は残像で本体はすでに全身骨折していたことも
  • ピッチャーの投球と同時に走り出した瞬間靭帯断裂
  • 2010年日本10大事件 第1位「多村、怪我しない」
  • チョコバットで80連続舌を噛んで負傷退場したこともある
  • 毎試合複雑骨折できるのは多村くらい
  • 多村に負傷退場されたことにまだ気づいていないピッチャーも多い
  • 多村は落ちてきたりんごをキャッチしようとして全身を強打したのは有名
  • 名打者はボールが止まって見えるというが多村はむしろボールを見ようとして目が乾き負傷退場&病院行き
  • ハンデとして最初からギプスを着けて打席に入るルールも導入されたが全然ハンデにならなかった
  • 自分の打球に飛び乗ってスタンドまで行くというファンサービスをしようとしたら全身骨折
  • 何をしても負傷または複雑骨折

スペランカー伝説[編集]

  • クライマックスシリーズ前日にも関わらず余裕のぎっくり腰
  • 食わず嫌い王で嫌いなものを食べた数日後耳に炎症
  • 試合のない移動日で単独交通事故
  • レーザービームで右肩を外す(ボルトが三本埋め込まれる)
  • 足がつって胴上げに参加できなかった
  • ファンと握手しただけで左掌炎症
  • サインを書いてる間鞄を肩に掛けていただけで左肩内出血
  • 靴紐を結ぼうとしてぎっくり腰
  • 2塁付近を走塁中、センターの送球が股間に直撃も、何故かフル出場
  • 写真撮影でジャンプしたら足を負傷
  • ホームランを打ってホームに戻ってくるまでに腰痛が悪化
  • 打撃練習で味方の折れたバットが飛んできて指を裂傷

その他[編集]

  • 友人にはあいかわりょうじ金城龍彦らがおり、特に金城の好物の一つが多村である。
  • 多村の主張する「6TOOLS」は打率、本塁打、足、守備、肩に、オサレを加えたものである。のちに方針転換をして、オサレ→メンタルに。
  • 様々な部位を爆発させているが、手首だけはダイヤモンド級の丈夫さを誇る。
  • going!にメールを事あるごとに送りまくる。その功績が称えられ、"爆笑メール王"の称号を頂戴する。going!が放送される土日の試合では結構活躍をする。
  • 50mを5.57秒(マジ)で走ると言う陸上選手以上の走力を誇り、赤星と50m勝負をするも途中で骨折して敗北
  • 守備はかなり上手い方だが、本人曰く「自分は右投げだから、返球時、半回転だけ余分になるんでその分返球が遅れるから」という理由で、ライトは実はあまり好きではないらしい。
  • 2008年にチームメイトのさとるとお笑いコンビを結成する。それ以降よく食事をたかられている。本人は満更でもない様子。
  • 活躍した年のオフには銭闘民族にメタモルフォーゼする。
  • 球界最高レベルの身体能力を誇るが怪我が多すぎるためイメージがない
  • 2010年ソフトバンク優勝について日本ハム梨田監督のコメント「多村が怪我をしなかったのが大きい。」多村=怪我は球界の共通認識。
  • 2013年には万年最下位で横浜だけセリーグの中で論外、別のリーグになっているという意味でベリーグとまで言われていた横浜をその活躍によって最下位から脱出させるという世紀の大快挙を成し遂げた。
  • 応援歌の歌詞に、弾丸よりも速く走れ 負けるな仁志 飛び込んでライナーをキャッチしろ とあり、打っている時にも好守備を期待される。

外部リンク[編集]

関連項目[編集]

ExSport.png この項目「多村仁志」は、エキサイト不足のようだね。
さあ、君もこの記事に胸が高まるような文付け足してみよう。レッツトライ! (Portal:スタブ)