多摩県

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多摩県は、関東地方の県。東京都埼玉県神奈川県山梨県に接する。県庁所在地は八王子市

多摩地方が中心となって、独立してできた県。

地理[編集]

曾て三多摩とも呼ばれた。 西に南多摩郡、北に西多摩郡、東に北多磨郡の三郡のこと。 東の台地を武蔵野という。 現在の県域は歴史的な要因で三多摩より広くなっている。下記を参照のこと。

歴史Ⅰ(大戦前)[編集]

奈良時代に武蔵国がおかれ、国府は、いまの府中市 (多摩県)に置かれた。 以後府中が武蔵国の中心であった。 中世になると、北条氏が小田原に本拠地を置き、八王子を北の守りとした。 以後、多摩地区の中心は南多摩郡八王子町となる。 江戸時代には八王子町は生糸、織物の町として遠く京にまで名を轟かせた。 幕府は八王子町を江戸の西の守りとした。 この頃は江戸や川越とともに多摩地区の全域が武蔵国に属した。

明治維新後、廃藩置県で相模国のほぼ全域とともに神奈川県へ。 県庁所在地は横浜村。 この後、南関東の大都市と言えば、東京、川越、八王子、横浜であった。

1876年 帝国は東京府に任じ小笠原共和国を植民地化し、小笠原道とするも、原住民である小笠原人の存在を隠し、琉球王国奄美地方鹿児島県に二重植民地化した前例にならい、1880年に小笠原全域を小笠原人征伐に功した東京府に移管する。 1886年に小笠原支庁を置く。

1893年、帝国は、多摩地区を、神奈川県から無理やり割譲して、東京府へ移管する。府庁所在地は東京市

これは帝都 東京市の水源確保のためであると長年されてきた。多摩地区が神奈川県だと何時 東京市民の水瓶である多摩川水系(主に玉川上水)に毒を流すか分からない、帝都の安全のため、府内に編入せよということであるとされてきた。 しかし、実のところ、もう一つ大きな理由があって、多摩地区に小笠原人が隠れ住んでいるのを隠蔽するためであったという。

この名残で未だに多摩地区も警視庁が管轄しているのである。 東京地方と同じ首都としての公共機関は多摩地区には警視庁のみである(詳しくは下述)。 首都(都市)であるのは、府内(都道府県)・都内(都道府県)でも東京市(都市)のみなのだから、多摩・小笠原・伊豆諸島に首都機能がないのは当然ではあるが。 首都圏といって、周辺各県には首都機能は存在する。

尚、小笠原・多摩併合以前の東京府すなわちいわゆる東京地方は東京市15区と郡部(世田谷とか)よりなり、今の東京市23区の市域に相当する。 多摩地区には未だ郡のみで首位都市は南多摩郡八王子町であった。 八王子町は八王子町で、東京市とは独立に、独自の文化圏・都市圏を有していた。 他に、多摩地方は甲州街道沿いに町が点在していた。 以後、多摩地区に植民地として圧政が敷かれることとなる。

東京府は府内多摩地方(主に武蔵野地域)に合併禁止令を敷いた。 帝都のすぐそばに百万都市ができたら首都 東京市の脅威になると考えたのである。 八王子町周辺は幸い遥か遠い全く別の都市圏で、尋常の交通機関で互いに通うことなど考えられなかった(今の東京市-仙台市か東京市-札幌市)ので、百万都市になろうが脅威にはならないとされ、合併を繰り返し、遂に1917年、多摩地区初の市制施行を果たした。

中央線甲武鉄道)が甲州街道沿線の反対で、魑魅魍魎の出る雑木林を通り、八王子へ至ることとなり、北多磨郡立川村を通ることとなった。 立川村は、多摩地方でも特に何もない、小さな村の一つであった。 こののち立川村は軍事要塞化し、多摩地区二番目の市制施行を果たし軍都として今に至る。

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昭和になると小笠原人の存在が発覚し、東京市下谷区上野の「東京大正博覧会」『小笠原館』で小笠原人が"陳列"された。

歴史Ⅱ(大戦後)[編集]

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ところが、1943年、東京市が東京府を併合し、東京市長が東京都知事を兼任することとなり、多摩地方・伊豆諸島は完全に再植民地化された。 1968年小笠原地方がアメリカ連邦大帝国の三重植民地支配から解放され、再び今度は「東京都」の二重植民地となった。

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しかし、横田アメリカ連邦大帝国の四重植民地のままとなった。 ただし、立川市のために、立川基地は返還され、後、東京市の緊急災害発生時には立川市は「首都」となることが決まることとなる。都内にも基地があるといいたいらしい。東京市内に海がなく、逆に多摩地方に海があったら、今頃 原発が乱立していたに違いない。

この後、東京都は、東京(中央区のち新宿区に移転)に本庁をおき、大島、三宅、八丈、小笠原に支庁を置いたが、多摩地区にはおかれなかった。

大戦後も、多摩地方の経済・交通の中心は八王子である。 ヒートアイランドの中心も東京都周辺には大きな東京中心の風と小さな八王子中心の風が吹いていた。 鉄道・国道・高速など交通網、特に国によるものは東京中心と八王子中心にそれぞれのびていて、八王子からは東京、埼玉・群馬、山梨・諏訪、横浜、小田原へのびている。 八王子市は国と仲がよく、東京都第二の都市にして、都下一の市でありつづけた。 多摩地方の他の都市もあるものは東京市や横浜市・八王子市の郊外、あるものは東京市の衛星都市として、どんどん栄えていった。

なお、首都である東京市は、行政上は、政令指定市でも市ですらない、ソウルのような特別市でもない、特別区と呼ばれる23区よりなる都市となった。 通常、国の下に都道府県、その下に、郡市、その下に、町村区をおく。 東京市は、郡や市と同じ階層だが郡同様、行政機関は置かれず、町や村と同じ階層の区に行政機関をおく。 政令指定市が普通の市と同じく、区には行政機関は置ず、市に行政機関をおくのと対照的である。 しかし郡が都市計画を行わないように東京市も都市計画を行わず、しかし町村とことなり区ごとに行う必要はない。 実際に都市計画を行わなうのは東京市が支配する傀儡都道府県、東京都なのである。

八王子市は戦後、成長が著しく、中核市移行の条件を満たすようになったが、中核市移行には都道府県の承認が必要である。 中核市になると、都の支庁並の機能・権限が委譲される。 普通の都道府県は、都道府県内の市が中核市に移行するように促すのだが、東京都は、東京市と同一の自治体であり、東京都全体や都下市町村の利益より東京市23区内の利益を優先するから、東京第二の都市の成長を喜ぶはずがない。 寧ろ、脅威に感じ、断固反対をし続けた。

それどころか、都西部の拠点を立川市と位置付け、都の機関を多摩地区に置かざるを得ない場合はすべて立川市内に集中させた。 立川は多摩地区にありながら東京都と仲がよい。 八王子にライバル宣言をしているからである。

都立図書館は多摩地区に都立多摩図書館なるものを立てた。立川市に。 都立図書館は都下他の市町村立の図書館へ本を回しません。 直接きてね、奥多摩から、大島から、母島から。

旅券窓口など東京都の行政サービスは立川におかれた。 確かに八王子は多摩地方だけの中心というよりはより広域に周辺の県、埼玉西部、神奈川北部、山梨東部を含めての中心である。 しかし、立川は八王子から東京よりに10kmしか離れていないし、多摩地区の交通の中心も八王子にあり、立川が利便性がよい訳ではない。 すこしでも出易くなるのは、南武線~昭島くらいであろう。 距離的に八王子より近い多摩地方東部であっても、求心力を立川が八王子より得ていることは断じてない。 八王子への求心力が弱い武蔵野市などの多摩地方東部は、東京市への帰属意識が高いのであって、近い立川へ求心することは決してない。 そもそも東京市内でも都庁本庁は東京都心から立川よりに10km行った新都心の新宿に移転しており、何がしたいのか忌み不明である。 東京・八王子の二極構造から、東京・八王子・国分寺武蔵野の三極構造になるのならまだしも、新宿・立川の二極構造という発想が面白い。 なお、東京都本土の中央は、日野区である。 ただし東京市内はサービスが充実しているので、不便になるのは西多摩と神奈川県町田市くらいである。

多摩地区・小笠原地方は、各市町村税のほか、東京都へ都民税を払わねばならない。 東京市民は市民税(多摩地区の市町村税より低額)と都民税を合わせて東京都に払う。 市民税分は、区部特別会計といって、市内のみにつかれる。東京都の東京市としての側面である。 では、都民税分は、東京都全体のために使われるかと言えば、そんなはずがない。

多摩・小笠原のひとは関係ない、東京市内のみで行う東京五輪の誘致。200億円ちょっとしかつかっていないし、市長のポケットマネー=都民税で賄われたため、市長いわく「痛くも痒くもない」とのこと。

東京市民すら使わない新銀行東京。(因みに東京は都民銀行、立川は多摩信、八王子は八信か山梨中央銀行)立川には立川出張所がある。えらい市長が作ったのだから間違いない。都民税も0.1兆円位しか投入していないのでつぶれても問題ない。 ゴミとかそういうのは東京都~~課/局とあっても東京市~~課/局がたまたま東京府と合併しただけだから、管轄は市内です。都下他市町村とは一切関係ありません、一切協力しません。


多摩は小笠原同様「首都」ではないから、植民地制圧のための警視庁以外、首都機能はなにもない。 03地域でないのだから、首都機能は必要ない。

埼玉県・千葉県にも路線を誇る高度高速度交通営団地下鉄(現、東京地下鉄)は多摩地区に走る訳がないし、JRでは乗り入れさえも吉祥寺・三鷹のみで、連絡運輸も立川までに限っている。 西武池袋線は埼玉県清瀬市ふきんに、小田急小田原線多摩線は神奈川県町田市付近には一部乗り入れている。


千葉県内にも路線を保有する「東京都」都営地下鉄は、「東京市」の市営地下鉄なので、当然「東京市」外の東京都多摩地区を走る訳がない。京王線に乗り入れようと、多摩地区中核の八王子市都心部へ乗り入れる訳にも行かず、調布から、橋本方面へ、乗り入れる。 京王京王京王八王子は都内で最初に地下に潜った駅だし。


都電は市電だから市内を出てはならない。 路線が減少し、もはや、一路線しかないが。 市内完結の、都営のライナーなるものも走ることになる(総工費1270億円)。 東京都交通局は東京市交通局なのだから、当然である。 但し、中央線が止まると日暮里・舎人ライナー全線で振り替え輸送をするので大変便利になった。 JRの構内放送でも地下鉄とは別格に何度も読み上げ、主要な振り替えとしての地位を得ているようだ。


多摩地区に地下鉄が必要なら自前でどうぞ。 京王京王京王八王子からほり進んで八王子市営地下鉄をつくるなら、市民税で。 地方交付税交付金があるでしょう? 多摩地区から絞り取った血税は東京市内のためだけに使わせてもらわないと。


東京市内の市営の地下鉄が特に利用者が少ないのは、意図的である。 多摩都民や埼玉都民や神奈川都民や千葉都民のために掘られているのではない。 あくまで市民の足である。 市内の団地で突然路線が途切れて、その先の市外に線路を引かず、そばの他の鉄道に乗り入れないのも市民のためである。


市外は空港にだけ乗り入れればそれでよい。 (多摩県の空港に関しては八王子市の項目をご覧ください。) むしろ、東京市外に連絡すると混んで困る。 市外の低所得者層があふれる郊外鉄道には近寄りたくない。


国際会館に負けてはならない。 大津区方面の市電が東西線の市役所前まで乗り入れるのは、市民のためである。 東京市も浦安区に東西線を引いてもらっているのは、市内だからだ。 市外府下の六地蔵に市営地下鉄が乗り入れているのは府営地下鉄でないからであって、市外都下に市営地下鉄を名乗らない都営地下鉄が乗り入れることがあってはならない。


大江戸線が、地理的にすぐ横を通る中央快速線・中央総武線はおろか東西線でもホームから人が落ち、電車に乗れないぐらい混んでいて、車内も、椅子の下、網棚の上、屋根の上、車輪の下にまで人があふれる朝のラッシュ時に、ゆったりと座れるように、否、横たわれるようにすいているのは、当然なのである。建設費もたった1.4兆円に過ぎないのだから。


西武新宿駅のすぐそばに都営の新宿西口駅を作るも乗り換えられないように地下通路は作らない方が都民=市民のためである。 都庁=市庁の人の出張ためである。 乗り換え駅は各駅しか停らないような小さな駅ばかりを選んでいるのは、決して偶然である。


他県が、多摩地区が、玉無地方が、何時間も人があふれる状態で何十km何百kmかけて通おうと市内交通とは関係ない。 東京市内に金の卵を運べばいくら混もうとどうでもよい。 多摩地区が交通問題を抱えているなら、東京都とは関係なく解決すべきである。


どんな都市も地下鉄は市営と決まっている。 多摩地区も各市がそれぞれ市営地下鉄を掘ればよい。 しかし、区営は作らなくてよい。 代りに市営=都営がつくってやる。 町村は郡営か町営、村営であるべきだ。 西多摩郡営地下鉄、府中市営地下鉄、国分寺市営地下鉄・・・。 たまたま都が東京市を兼ねているのであって、都内のためにためにやっているのではない。 東京市が実体をなくしたから、傀儡都道府県、東京都に市の機能を移管しているだけである。 でも都営というからには、都内全域からの税金を使わねばならない。


バスもまた本来、市営と決まっている。 都営バス都バスなるものが東京市内に縦横無尽に走っている。 全路線、あの大江戸線をも上回る大赤字である。 赤字の補填に地下鉄その他から血税を大いに投入している。 東京五輪の宣伝にためだけに日々走り続けている。 全路線均一料金で、「23区全線」なる市内パスが存在する。 市民の足だから、維持しなければならない。

しかしながら都バスは多摩地区にも路線を誇る。 ただし、青梅市周辺のみで、キロ数によって、値段がどんどん上がる。 多摩地区では主要な交通機関である民営バスがすべて対キロ制で、値段がどんどん上がり、市内のように安くは移動できないのだから、これに合わせているのである。 民業圧迫は良くない。 東京都交通局が唯一市外多摩地区にもつ路線である。 これをもって、東京都は、多摩地区の事も考えているのだと言う。


では青梅市と東京都が仲がよいのかと言えばそのようなことはない。 かつて、全国的に有名な多摩地方のイベントがあった:青梅マラソン。 東京市長の発案で東京都で東京マラソンを東京市内で行うこととなった。 青梅マラソンと同じ日に実施することになった。 莫大な広告費や招待選手を呼ぶ東京マラソン。 人の走らなくなった青梅の町。 以後、青梅市ではなぜか青梅マラソンの日をそれまでの伝統的な実施日からずらしたが、毎週走る人がいるはずもなく。


多摩地区にモノレールを作る計画がありました。 八王子から八王子市の副都心 南大沢へ、八王子から西多摩郡瑞穂町方面へ、日野・立川方面へ、及び、立川周辺、三鷹周辺、多摩全域に。

多摩都市モノレールを作りました。 珍しく東京都が出資してくれました。 できたら、立川駅から南北に伸びました。それでおしまい。


神奈川県・埼玉県にも路線を有する首都高速。 これは国道ではないから、決して、多摩地区に作ってはならない。 でも、首都高速4号新宿線は高井戸から中央道に乗りいれてもいいです。 多摩地区のために繋げてあるのです。 でも中央道の起点、東京市内の高井戸ICからは八王子IC方面に入れなくなりました。 東京市内から中央道に乗りたいひとは少しもどって、永福ICから首都高速を一区間ご利用ください。


仙台の如く、八王子市では地方都市として自前(お国)で八王子バイパスとか、圏央道とか作ってばよいのである。 多摩全域に、福岡都市高速、阪神高速を手本に、首都高速とは別に地方都市圏として多摩都市高速網をつくる予定である。


東京都が八王子市内ひよどり山に都道のトンネルをつくってくれた。 東京市内にはいくらでもある水準の道路である。 その名もひよどり山有料道路。 勿論、有料である。八王子に都民税を使う訳には行かない。 短い道路なので、通行量を払うために乗るためだけに通る道路だ。 民営バスも通る。 ゲート建設費用・人件費・建設費を全部回収したので無料開放された。 そして都道ひよどり山有料道路から市道ひよどり山道路になった。


このように、 国・八王子市 vs 東京市=東京都・立川市 の構図が生じてきたのである。

歴史Ⅲ(独立戦争)[編集]

長年、圧政に耐えてきた多摩地区だが、自治権を与えられることはなかった。 多摩・小笠原・伊豆諸島地方の人々は、東京県民と呼ばれていた。 東京市長が都知事をなのる仕組みになっており、都議会も多摩・小笠原・伊豆諸島地方選出の議員はごく一部で、殆どが、東京市選出の議員で占められていた。 小笠原には、東京市の人口の数倍に上る小笠原人がいたものの、存在を否定され、選挙権を与えられることはなかった。


ある、東京市民にだけ大人気の、右翼与党系の東京市長が都知事となると、独裁恐怖政治をおこない始めた。 都教育委員会では愛国教育が謳われ、都立の学校の教員は僅かでも右翼的でない言動を行うと、懲戒免職とされ、治安維持条例が出された。 敷地の関係でかつて多摩地区に追い出した都立大学では大規模な改組が行われ、日本でも有数の研究をしている学部がどんどんなくなった。しかも首都にないため、首都の市長によって「首都大学東京」に改称させられた。

中国人等追放令を出し、北朝鮮等の国家的な公共施設に都独自に税金をかける仕組みを強行した。 首都機能を利用して、国内外の機関・施設を財源とするのである。

東京市長は下僕にもかかわらず「おれは東京で一番偉いんだ」などと発言し、都民を隷属させて、同じ下僕の内閣総理大臣を支配下においた。 更に国粋主義者である自らが最も崇める天皇も東京在住ということで臣下の礼を取らせるにいたった。


国の機関は旧国鉄や河川国道事務所など、多くが八王子に拠点がある。 東京地裁もやはり、東京都内には本庁のほかに八王子支部があった。 しかし、東京都は東京で一番偉い東京市長の御名において、最高裁・東京高裁・東京地裁に北朝鮮の財源化を例に挙げ、裁判所の支部を八王子から立川に移転するように進言した。 勿論、裁判所が、圧力に屈することは決してないが、最高裁は独自の判断で東京地裁の支部を八王子から立川に移転した。 また、共に検察支部も移転した。 裁判所の所在地は単に建物のある無しではなく、日本の国の都市の階層構造を示し、行政の地方中核都市、県庁所在都市などといった階層構造に相当する非常に重要な意味をもち、会社の所在地等とは重みが全く異なるのである。 最高裁所在都市、高裁所在都市、高裁支部所在都市、地裁所在都市、地裁支部所在都市、家裁所在都市、簡易裁所在都市、その他の都市という司法における都市の階層構造を対外的に明確に示すものであり、日本の国としての方針を示す大変重要なものである。 支部の移転は多摩地方中核都市の八王子から立川への遷都宣言にも相当する。


かねてよりの立川への都の機能集中により、図書館や旅券課の為になぜ立川へ行かねばならぬのかという東京県民の不満に、裁判員もかということとなり、また、多摩地方全域に付設するはずのモノレールも立川モノレールとなったことから、都・立川への不信感が増大した。


更に、青梅マラソンに合わせての東京マラソン開催決定、都民銀行への大量の都民税投入に加え、当初より神奈川とは協力しても(後に撤回)多摩地方では絶対に開催しない前提での東京五輪の誘致に膨大な都民税をつぎ込む都の姿勢に東京県民の怒りは頂点に達した。


これをうけて、都は都立図書館の資料の市町村図書館との提携拒否等を発表。 東京県民はデモ活動を行って応戦するも、こんな時のための警視庁によって、武力鎮圧。


全世界 都市毎に立候補する五輪に東京市の代りに東京都が出場し、東京市内のみでコンパクトに開催すると発表した。 代表として都知事がプレゼンに向かうも、東京で自分より偉くないはずの皇太子が出場を拒否し、制作費5億円の10分間のプレゼン映像によって見事に落選し、落ちたのは他都市の賄賂のせいだとして、出兵し、日本の他都市とは協力せず、敗因を200億円しか使わなかった誘致費のせいだと分析し、再度の立候補と次回の賄賂を決定した。


巨大な誘致費に呆れた東京県民は県民全員の弾劾署名を集めるも都知事の解任は東京市長の解任であり、東京市民の弾劾がなければ無効であった。市長が独裁してから使用した市長のポケットマネー=都民税も大江戸線、ライナー、銀行、マラソン、五輪、及び一族の政治等全て合わせても、未だ2兆円には届かないことから、無駄ではないとの東京市民の判断である。


2008年、東京県民はJR八王子支社が首都 東京市のメイン大幹線である中央快速線の車両をすべて担っている点を利用し、いつものJRのミスを装い、中央快速線の6時間停電事故を決行。 さらに、続けて、沿線火災や、志願兵による命懸けで電車を1時間止める特殊攻撃を行い続けるも、中央快速線が停っていることは殆ど当たり前であるから、影響は局所的であった。

しかしJRは6時間停電事故による乗客密封事件をうけて、駅間で列車が何時間も停らない仕組みを開発した。 遅れ発生時に全列車を駅構内に留置すべく、新たに発車しない仕組みである。 この効果で、急病人発生等の数分の遅れも30分以上の遅れに増大することが、可能となった。 遅れが遅れを呼び、各駅で、数分ずつ多く停車するのである。 この後、朝夕の所要時間は立川新宿で平均90分、八王子東京間120分になった。


この画期的なシステムにもかかわらず、東京市と協力するJR東京支社は積極的に自殺客を京王線に振替える作戦にでた。 それでも、東京県民はJRのミスを装ったポイントや信号、架線のトラブルをおこし続けた。 さすがのJR東でも、こんなにミスが続く訳がないし日本の鉄道がこんなに遅れるはずがないため、偽装であることが発覚した。


また、人身事故に不慣れな京王線沿線の東京県民の不満も高まった。 京王線でも中央快速線を見習って、志願兵による命懸けで電車を1時間止める特殊攻撃発生時は1時間以上停るようになった。 また、スーパーあずさ(960円)より速い京王線特急(350円)の新宿-八王子間の所要時間も見直した。 これにより、京王線の安くて速くて、定時的、人身事故でも、遅れは最大20分というイメージが払拭された。


以後,京王線は中央線青梅線と遅さ比べのみならず、朝夕の遅延量比べにも挑むようになる。 (ただし、多摩地方の電車の遅さ比べでは、西武新宿線拝島線が優秀。)


この後、平成の大合併に伴い、津久井郡が独立を保てなくなった。 津久井郡は市外局番も八王子と同じであり、八王子の植民地であるが、神奈川県が宗主権を主張していた。 そこで、なぜか、東京都に入り込んでいた町田市を正式に神奈川県に譲渡し、津久井郡を東京都とする、津久井町田交換条約の締結を試みた。 ところが、八王子や相模原の政令指定市移行を懸念する東京市はこれを拒否、東京都として、無視に徹した。 が、八王子と昔から仲のよい横浜の県庁としては津久井町田交換条約に前向きであったし、相模原を脅威と思うよりも、五輪問題だけでなく、いつも横浜を犬扱いする東京にむしろ憤っていた。


しかし、交換条約が果たせぬからといって、津久井を相模原に吸収し、町田を八王子に吸収する訳には行かない。 相模湖藤野から橋本相模原へは八王子を通るし、八王子から町田へも橋本を通るのである。

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もし、津久井を相模原に吸収したら、津久井3町がたった一つの区さらには、橋本の支配する緑区の一部にされて、八王子を挟み込むことになっていたかもしれない。 津久井の人々は区役所に行くのに八王子町田を通りぬけねばならぬようなことになっていたかもしれない。 八王子もついに区と接することになって、区にいくには松本方面へ行かねばならないことになり、八王子では区と言えば西というイメージが定着していたかもしれない。 (あくまで仮定の話である。このような仮定の話を述べるのは不適切であるから、不真面目な別の百科事典に当たられたい。)


八王子・相模原・津久井・町田・日野周辺全部の大合併も検討されたが、越県合併には都道府県の承認が不可欠である。 多摩・北相模が独立するにも、「民主的な」都道府県の同意が必要なのであった。

結局、日野市は政令指定市移行後も市域を保つことを条件に、八王子市に吸収合併され、翌年、八王子市は政令指定市に移行はした。 しかし、東京都の圧政は続いた。


時を同じくして、小田原の北条氏が横浜入りし、県庁を制圧、小田原県都宣言をして、全神奈川県の支配権を主張し、小田原に遷都した。

横浜市は巻き返して、横浜市・川崎市全域を制圧したが、横須賀の美しい帝国が一方的に同盟を表明し、厚木市周辺等の譲渡を条件にし、神奈川全土へ出兵した。

ここに、多摩県が東京都からの独立を宣言し、小田原の県庁は多摩県の独立を認め、八王子の多摩県庁と津久井町田交換条約の締結を行った。 なお相原周辺は、多摩県に編入された。


横浜市は静岡市とも同盟し、小田原を挟み撃ちにしながらも、戦後処理の為に多摩県に接近し、独立と条約を認めると共に相互不可侵条約を結んだ。


ここに東京都が多摩県に宣戦布告し、いつもの手などを使いながら、横田の美しい帝国と立川市と同盟し、一時多摩川を越える勢いであったが、多摩県に同盟する山梨県から、騎馬隊が到着し、B29を蹴散らし、劣化ウラン弾も馬の腹が消化してしまった。


さて、横浜に同盟した静岡では、兼ねてより圧政に耐え兼ねていた伊豆県と浜松県が独立を宣言し、小田原の神奈川県とともに三県同盟を結び、静岡市・横浜市に進行した。 更に、多摩県・山梨県とも同盟した。


東京市東京都立川市美しい帝国とともに横浜とも同盟を求めたが、美しい帝国が厚木座間のみならず横須賀のより強い支配権や山手のより広い支配を要求してきており、東京市も多摩川に関する一切の権利を要求し、義務を与えてきていたので、同盟を拒否し、降伏を模索しており、先に降参していた静岡県とともに、多摩県と山梨県の仲介で、神奈川県ノ県都ヲ小田原トスルコト、横浜県ノ独立スル事、多摩県ハ独立自治ノ県デアルコト、伊豆県浜松県ノ独立スルコト、静岡市山梨県ニクヒコミタルヲ以テ山梨県トスルコト、山梨県・多摩県・神奈川県・伊豆県・浜松県・静岡県・横浜県ハ未来永劫ニワタツテ運命ヲ共同シ同盟セルコトを確認した。


しかし山梨県は、騎馬隊が多摩県保護のためと称し駐屯を続け、翌年には、多摩県を併呑し、県都を甲府に置く玉無県となった。


しかし、これには兼ねてより山梨県の県都は八王子であると思っていた山梨県東部からも異論が発生し、玉無県の県都を八王子市に移転させた。 しかし、騎馬隊勢力が、再び甲府に県都を置き、一時二重政府状態が続いた。 改めて江戸時代より続く三国文化圏を中心に多摩県を独立させるべきとし、山梨県東部・旧多摩地方・相模原・町田・厚木周辺に加えて、埼玉県西部を支配地域として、県都を八王子におく多摩県を、県知事には武田氏が代々つくことを条件に、独立させた。


しかし、一方的な埼玉県西部の多摩県編入に激怒した埼玉市浦和区は出兵したが、熊谷は寧ろ何故今迄県庁が浦和にあった方を問題視し、熊谷こそが県都に相応しいとして、県庁をおき、川越・所沢がそれぞれ独立する中、春日部大人帝国にのみこまれ、埼玉市内でも浦和区から新都心への県都機能全移転論が生じ、市内鎮圧と埼玉市周辺の制圧のみに苦慮し、結局、埼玉県西部 寄居・秩父が多摩県に帰属し、熊谷に埼玉県、さいたま市ださいたま県(県庁は大宮区)をおくことで多摩県・山梨県と和解している。


((この後、、川越・所沢・春日部や、東京、新しく独立した ちばらき県などと多摩県との関わりはそちらをご覧ください。))  

歴史Ⅳ(八王子戦争)[編集]

詳しくは八王子市の八王子戦争参照のこと。

八王子市内戦に敗れた八王子市防衛軍の無条件降伏で、多摩県本土と多摩領植民地はすべて羽村市に占領併合され多摩県は滅亡した。

関連[編集]

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