埼玉県立熊谷高等学校

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埼玉県立熊谷高等学校
国公私立の別 国立学校
設置者 彩の国さいたま
設立年月日 1895年明治28年)6月1日
共学・別学 男子校
課程 全日制
定時制
学科 普通科
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埼玉県立熊谷高等学校(さいたまけんりつくまがやこうとうがっこう)は、最高気温60.9℃のクソ暑い彩の国さいたま熊谷市にある国立男子校である。略して熊高(くまたか)とも呼ばれる。国内で2番目に設立された。同校は通常4年制で、4年次は大宮校舎やお茶の水校舎、池袋校舎などの別校舎で授業を受ける。飛び級で3年で卒業する生徒もいるがごくまれで、10年に1人もいない。

概要[編集]

1895年明治28年)に浦和高校に次いで2番目に設立された。生徒は1日早く設立された暑いアイツらに一方的に対抗心を持っているが、あちらさんにはまったく相手にされていない。この記事もその対抗心で書かれたものであるが、誰も気にしない。でも、暑さは1番である。

設立当初は中学校だったが、1948年(昭和23年)に名前ばかりの格上げが行われた。開学以来男子校で女の子はいない。地元ではトップレベルの進学校であると言われており、近年も多くの卒業生を有名大学に送り出しているつもり[要出典]。また、大半の生徒は18歳以上であるということになっていて、前述のように女の子は(画面・脳内以外には)いない。

比較的早い時期から制服は廃止されたが、熊谷の気候を考えれば当然のことであろう。制服指定の無い高校は全国に数あれど、制服自体が無い高校は本校ぐらいのものである。というかあまりに暑いため学校内では全員全裸である。そのためろくに授業が出来ず、教師も生徒もみんなアーン♥♥してしまう。ゆえに青春真っ盛りの野郎たちはみなNice boat.に走り出してしまう。

授業中にアーン♥♥することや、うちわを使うこと、休み時間にプールで泳ぎ身体を拭かないまま授業にでることは黙認されているが、教科書をつかって扇ぐと退学処分となる。熱血教師が多いのも、熊谷の暑さで血液が加熱されるので仕方ないことであろう。

校則[編集]

本校の校則は以下の1文のみである。

電車通学の者は下駄を履いてはならない

その昔、登校時に車内で同乗者の足を踏んでしまった生徒がいたことから定められたと言われている。

設備[編集]

管理棟(本部棟)3階建
職員室や、各教科の研究室(教員休憩室)が入っている。
古い校舎(木造)は熊谷の暑さで自然発火して燃えてしまったが、その気候を考えれば当然のことであろう。火元は北側1F軽音部部室付近との情報があるが、部室の窓際に置いてあった金魚鉢が熊谷の暑さで自然発火したものと思われる。決してタバコの吸い殻が原因ではない。ちなみに焼けたのは3月である。今度は燃えないように鉄コン筋クリートで造られたが、暑さで鉄筋がグニャグニャ。
校内で数少ない女子トイレがある建物であるが、決して覗いてはいけない。何度も言うが女の子はいない
教室棟 4階建
熊谷市の暑い気候に対応するため、窓やドアが取り付けられていなかったが、近年熊谷市の最高温度記録 (60.9℃) を塗り替えるべく全教室に冷房機が設置されたため、可動式のものが取り付けられた。
冬も暑いので暖房器具は設置されていないが、熊谷の気候を考えれば当然のことであろう。
各教室にゲーム機が設置されていて、Windows XPがインストールされている。システムファイルを変更することはできないが、OSの再インストールは可能。唯一女の子がいる場所。ほぼ全滅した。
理科教室棟 3階建
現存する中でもっとも古い校舎。薄暗いので女子生徒はあまり入ってこないが、よく考えたら男子校なので女の子はいない。
大地震が起こると1階部分がつぶれて衝撃を吸収する設計になっている。
同校の治外法権地帯。その証拠に、全教室冷房化が謳われたときも冷房化されなかった。

:2011年の夏休みに改修工事が行われ、教室がきれいになり、明るくなった。さらに2012年夏、冷房化され校内教室の冷房化が完成した。

図書館(記念館)
設立80周年記念で建てられた。蔵書はすべてライトノベルである。電撃文庫全巻コンプリート。
コンピュータールームが併設されており、生徒はしばしば「先生に注目」という画面で制御を奪われる。なお、このコマンドは無効化することがた易いことが知られている。
3階には和室があり、涼しくて綺麗で快適なその部屋を使うために茶道部が設立されたと言われている。
屋内プール
設立100周年で建てられた。屋根は2枚で電動可動式だが、電力的な制限により片方ずつしか動作させられない。熊谷市は暑いので、自然に温水プールになる。
晴天の日は屋根を開放して授業をする。暑いからである。
雨天の日は屋根を開放して授業をする。水道代節約のためである。特にスコールの時などは意地でも閉めない。

行事[編集]

入学試験(3月)
体育館に全受験生が集められ、受験番号と氏名を順番に言う。終わった人から帰宅が許可される。それだけであるが、熊谷の気候を考えれば当然のことであろう。
入学式・始業式(4月)
新しく来た校長先生の品定め会。それだけであるが、熊谷の気候を考えれば当然のことであろう。
長辺50cmの出入り口が1つあるのみの体育館からの退出はエクストリームスポーツ・渋滞を彷彿とさせる。
かつては入学者の一族係累すべてに対して、詳細な身分調査(熊谷高校・熊谷女子高校出身者のみ)が行われ、一族係累に5人以上関係者がいる生徒はエリート、10人以上関係者がいる場合にはスーパー・エリートの称号を得ていた。一方で一族係累に一人も関係者がいない生徒はニューフェイスとよばれ、学内ヒエラルキーの最下層に分類されていたが、特に一族係累に浦和高校・浦和第一女子高出身者がいる場合は、「うらわもん」と呼称され踏絵(浦和高校の校章)の対象となった。この制度は、1年必修の生物の時間に行われていたが、同高生物科教師大○保五一の定年退職とともに失われてしまった
40kmハイク(5月)
熊谷市荒川河川敷より長瀞町秩父鉄道上長瀞駅まで約40kmを歩く行事で、女子高生やメイドさんも多数参加するが、くどいようだが女の子はいない
途中の「残り○○km」という看板は体感で置かれているが、それを疑うものは誰もいない。たまに残りの距離が増える。
臨海学校(7月)
1年生が新潟県柏崎市の鯨波海岸に行ってクラゲと遊ぶ行事である。
水に入れるだけで狂喜乱舞する生徒も多いが、熊谷の気候を考えれば当然のことであろう。
浦和高校茨城県東海村に遠泳に行く行事が存在するが、原子力的に考えても関連は絶対に無い。
文化祭(9月)
女の子が来る!!!
体育祭(10月)・スポーツ大会(年数回)
「がんばったでしょ?」といって担任に奢りを求める行事。最下位を免れたクラスはおおむね担任から「支援」がある。
しかし、「がんばり」を担任に認めさせるには、一般的に「戦力の3割減」「5人以上の行方不明者」が要求される。
ハイライトはエクストリームスポーツ・棒倒しであり、死傷者の7割はこの競技で生み出されている。
卒業式(3月)
3年次までの課程について証書がもらえる。
卒業生による挨拶では、もう1年別校舎に通うことを保護者に謝罪する。

在校生の出身[編集]

かように暑い土地柄であるにも関わらず、「自由闊達」という校風に惹かれて、県北を中心に生徒が集まってくる。

チチビアン
秩父出身者を指す。
比率としては少ない方に属するが、ある意味スーパーエリート。
「秩父支部劇」は文化祭に欠かせない出し物のひとつである。
ホンジョリアン
埼玉県の最北部、或いは群馬県の最南部に位置する隠れ里、本庄市出身者を指す。
高崎線で通学する者が多いが、そのほぼ全員が車両基地である籠原駅を憎悪している。
ギョーディアン
熊谷のお隣、行田市出身者を指す。
距離の近さゆえに、比較的人数が多い。
羽生人(はにゅうびと)
秩父線でやってくる、羽生市出身者を指す。
距離としては秩父の方が圧倒的に遠いのにも関わらず、なぜか「遠路はるばる」という印象を持たれがちである。
原住民、土人、土着民
お膝元である熊谷市出身者を指す。
人数的には確実にマジョリティに属するが、チチビアンの異常なまでの存在感に隠れて、今ひとつ影が薄い。

他にも、鴻巣、北本、桶川、上尾といった、比較的南寄りの高崎線沿線出身者がいるが、全体的に人数が少なく、また傾向として存在感を主張することもあまりない。

かつて生息してた教員[編集]

ツエツエ
授業中に質問をし、生徒を指す/刺すと必ずその生徒が寝ている/寝てしまうという、眠り病を伝染する社会科教員。

最後に[編集]

家に帰るまでが高校生活です。日射病に気をつけてお帰りください。

関連項目[編集]


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