執筆者がマジになっている記事

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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執筆者がマジになっている記事とは、アンサイクロペディアには決して存在しないにもかかわらず、何故か貼り付けられてしまうレッテルである。

概要[編集]

アンサイクロペディアには、初心者が読むと、ユーモアを全く感じることが出来ず、執筆者が宣伝、使命感、私怨など何らかの強迫観念に駆られているように見えてしまう記事が存在している、と言われている。こうした記事に、アンサイクロペディアの趣旨を理解しない者たちによって貼り付けられるレッテルが「執筆者がマジになっている記事」である。たいていは、「執筆者がマジになっているからつまらない」等と、否定的に評価される傾向にある。しかしこれはアンサイクロペディア初心者ゆえの誤解にすぎない。

アンサイクロペディアは、嘘と出鱈目にまみれています[編集]

「執筆者がマジになっている記事」が本当に存在していると確信してやまない初心者諸君、君たちはここが嘘八百のアンサイクロペディアであることを理解するべきである。少し考えてみて欲しい、執筆者が本当に宣伝その他の為に記事を執筆するとして、わざわざこのアンサイクロペディアを選択する必要はあるのだろうか。人類が我々の考えている以上に衰退していない限りにおいて、そんな馬鹿な奴はいないはずである。もし自分のクソ真面目な主義主張をアンサイクロペディアに書き込んだが最期、それらは全て取るに足らないジョークユーモアに成り下がってしまうのだ。このことからも、「執筆者がマジになっている記事」というレッテルが、初心者特有の偏見、先入観によって生まれた誤解に基づくものであることは、明らかである。

執筆者の真意[編集]

実際のところ、「執筆者がマジになっている」というレッテルを貼り付けられる記事の執筆者は、自分が思ってもいないことを、必死にひねり出して記事を書いているのである。それは、初心者の想像を絶する作業であろう。場合によっては、自分の思想信条と正反対のことを、自分のをぐっと押さえつけながら、記事に書き込んでいる。この作業を極めたアンサイクロペディアンは、アンサイクロペディア人格というもう一つの自分を発現させ、ただ面白い記事を書くという一点を除き、もはや自分の心に囚われることなく、自由自在に記事を書くことが出来るのだ。もちろん、そんな仙人のような執筆者は多くはない。しかし、執筆者たるものはみな、その極地に達しようと努力している。その必死の努力の結果生まれるのが、初心者に「マジになっている」というあらぬレッテルを貼り付けられてしまうほど、完成度の高い記事なのである。ベテランの読者は「執筆者がマジになっている」などと文句を言う前に、心にもないことを必死に並べ立てる執筆者の労苦を感じ取り、その姿を想像しながら記事を読むものである。それができれば、君も初心者卒業だろう。

とはいっても、どれだけ執筆者が努力をしようが、目に見える決定的な成果を出せなければ、ゴミも同然であり、ゴミ同然の記事を書いている記事は、無能なくせに必死になっている滑稽な存在ということになってしまう。多くの読み手にとって大事なのは、執筆者がどれだけ努力したかなどではなく、そいつの書いた記事が読むに耐えるか否か、それだけでしかないのだ。欧米に学んだ歪曲した日本の成果主義の弊害が、アンサイクロペディアにも如実に現れているのである。

関連項目[編集]