垣添徹

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「俺をいじめて何が楽しいんだ。一度氏ね」
垣添徹 について、妙義龍泰成
「死ね。氏ねじゃなく死ね」
垣添徹 について、千代桜右京
「俺に呪われろ。じゃなきゃ氏ね」
垣添徹 について、千代大龍秀政
「彼は諸悪の根源だ」
垣添徹 について、藤島部屋消息筋

垣添 徹(かきぞえ とおる、1978年8月12日 - )は、我らが大日本帝国大分県宇佐市出身で、藤島部屋(入門時は武蔵川部屋)所属の現役SUMOUレスラー。日本体育大学出身であり、数々の後輩達からは剣武と共に死んでほしい人ランキングで上位にランクインする。一応、小結経験者。

来歴[編集]

少年時代[編集]

宇佐市といえば、時津風部屋創設者であり、史上最大の八百長の神様、殺人相撲の創始者などと誉れ高く現在まで言い伝わってきた、第35代横綱双葉山定次の出身地である。少年時代の垣添少年はドラマで双葉山役を務めた経験を持つといわれているが、そんな事実は無い(Wikipediaは事実を書いていない。Uncyclopediaが真実を書いている)。

小学校・中学校時代から無双を続けてきており、八百長を断った人は、再起不能になるまで徹底的に痛めつけた。中学時代は、あまりの弱小校ぶりに失意に満ちていた、陸上部員から助っ人として御呼ばれされ、200メートル走に駆り出されていた。相手の膝じん帯をあらかじめ痛めつけておく用意周到さにより、優勝という奇跡を達成する。

高校、日本体育大学時代にも相撲部に所属し続けており、高校時代は九州で一番関わりたくない高校生力士と呼ばれてきた。日本体育大学4年次には主将となり、「敵に回したら怖いけど、味方にしたら物凄く頼もしい」と言わしめた。ちなみに、後に同じ武蔵川部屋に入門することとなる剣武は、日本体育大学で副将を務めていた。

しかし世界には強者が多く、痛めつけてばかりだった垣添は、初めて痛めつけられる経験をする。剣武は本名の「宮本」の名で2001年3月場所、武蔵川部屋から初土俵を踏めたが、垣添は9月場所まで延期することとなった。

大相撲へ入門[編集]

武蔵川部屋に入門して初めての場所は、痛めつけられた膝が治らず休場。翌11月場所が事実上のデビュー場所となった。1場所遅れたことによりしょぼい相手ばかりとなったため、「痛めつけなくても勝てるか…」と油断していたら、朝日山部屋期待のホープ・大真鶴に負けた。次の場所では更にしょうもない相手ばかりに破れ、自分にはやはり、相手を痛めつけることでしか勝つことが出来ないことを身を持って覚えさせられ、初心を思い出すため日本体育大学へ帰る。この時、大学の後輩達を次々に痛めつけ始め(面白そうなので、剣武も付いていった。剣武はただ見てるだけ)、後輩たちからは次第に恐れられ始めた。この時、嘉風も痛めつけの被害に遭っている。嘉風はこのことに関してはノーコメントを貫くことが多いが、たまに恨みと取れる発言が独り言のようにこぼれることがある。

2002年3月場所では、1番相撲こそ準備期間不足で失敗したが、3番相撲の元十両・星誕期戦など、強い力士相手には痛めつけを実施して好成績を収めた。星誕期は陸奥部屋所属であるが、陸奥部屋まで行くのは面倒だったため、時津風一門連合稽古に「俺は双葉山の郷里が出身だ」と言い、半ば強引に参加させてもらったらしい。もっとも、星誕期はこの約2年前に十両で15戦全敗を記録するなど、落ち目にあった力士なので、本当に痛めつける必要があったのかどうかは不明である。しかし、この噂を聞きつけた幕下上位の番人・栃天晃は垣添の痛めつけに着手。1番相撲でその栃天晃に破れ、2番相撲の濱ノ嶋(現・尾上親方)戦からその場所は最後まで休場。番付を大きく下げる。

翌7月場所も痛めつけ不十分により、琴国らに敗れて2連敗発進。琴国と同部屋の琴春日がしょぼい奴なのに、八つ当たりするなどしてなんとか勝ち越した。その次、9月場所では安壮富士鳥羽の山といった実力者の痛めつけに失敗し、その2人との対戦の合間に対戦した星誕期にまで、オセロのように黒星を喫した。垣添はこの敗戦でさらに心が歪むこととなった。

11月場所では、痛めつけが通用しない鳥羽の山以外には全勝した。この直前に大学で再教育を受けたためだ。ちなみに、嘉風は垣添が来たという噂を聞いて大分へ緊急避難しようとしたが、運悪く、佐伯市の実家まで、宇佐市出身の垣添は追いかけてしまった。嘉風は今でもこの事がトラウマらしい。

2003年1月場所、烈風拳の使い手である北桜相手につき       手で敗れる。ちなみに、増健がつきひ      ざを喫した相手も北桜であり、垣添は見事同じ手にはまっていることになる。東幕下3枚目で5勝2敗であったため、場所後の新十両が決定したが、師匠の武蔵川親方(第57代横綱・三重ノ海)の腹の虫の居所が悪く、出島(現・大鳴戸親方)同様、本名のまま土俵へ上がることになる。剣武は四股名を貰っているのに。

新十両以降[編集]

2003年3月場所が東十両11枚目、新十両場所となったのだが、北桜、栃栄(現・清見潟親方)、濵錦(現・春日山親方)、若兎馬蒼樹山(現・枝川親方)、皇司(現・若藤親方)の6人に敗れて9勝6敗と、納得いかない成績に終わる。痛めつけが通用しない力士が増えてきたため、真面目な相撲の稽古と、痛めつけの更なる強化を開始した。ちなみに、嘉風はこのために大学を訪れてきた垣添をぶん殴ろうとして、付き人をしていた剣武に制裁されたらしい。

5月場所は栃栄、金開山(現・千田川親方)、光法(現・二子山親方)、潮丸(現・東関親方)、玉春日(現・片男波親方)に、7月場所は光法、若兎馬、豪風霜鳥に敗れるなど、課題も見えてきたが、来るべき幕内の土俵に向けて、少しの取りこぼしを悔いるより、確実な勝ちを得る方向へとシフトした。このことを聞いた嘉風は「もう大学に来ない」と思い安心していたそうだが、結局痛めつけられたらしい。

幕内での実績[編集]

新入幕の9月場所は初日から4連勝(潮丸、皇司らにやっと痛めつけが効き始めた)していたが、5日目にガチンコ安美錦に無様な敗北。結果、8勝7敗であったという。転機が訪れたのは2004年1月場所。安美錦、朝青龍忍者の3人には敗れたが、魁皇に勝つなど相撲の成長ぶりを見事に発揮した。直前に大学に再び通っていたらしいが、嘉風はもう尾車部屋に入門しており、ようやく難を逃れることが出来た。

3月場所では、小結へと大抜擢(本人の弁)。しかし、初日に大関千代大海(現・佐ノ山親方)に敗れたことをきっかけに大崩れ。この場所が垣添の最大のピークだったと、後に言われることになる。ちなみに、この場所では、最大の天然ネタ力士・十文字に勝利している。

その後はつまらん成績が続いていたのだが、2005年3月場所では琴光喜相手につき       手をする。同年11月場所では、千代大海に大技・天使降臨を決められて無様に敗北する。また、翌日の旭天鵬戦では、勝ち名乗りまで受けていながら物言いが付き、髷掴みの反則を取られた。なんて有様だ。髷掴み反則をとった審判団の5親方、九重審判長(第58代横綱・千代の富士)、時津風審判(元小結・双津竜)、安治川審判(第63代横綱・旭富士)、陣幕審判(元幕内・富士乃真)、春日野審判(元関脇・栃乃和歌)に憎悪感を抱いていたらしいが、いつの間にか消えた。ちなみに、2010年3月場所では北勝力が垣添相手に髷掴み反則をして、三保ヶ関審判長(元大関・増位山)、立浪審判(元小結・旭豊)、田子ノ浦審判(元幕内・久島海)、立田川審判(元幕内・湊富士)、松ヶ根審判(元大関・若嶋津)の5人が総意で反則を取った。垣添はこの5人にはとてもよく感謝をしており、田子ノ浦親方が2012年2月13日に亡くなったと聞いたときは、すぐに哀悼の意を表すコメントを部屋を通じて発表している。

2006年9月場所では、遂に仕返しのチャンスを得た嘉風が13日目に挑んでくる。もちろん、垣添は華麗な叩き込みで退けるのだ。2007年1月場所、7月場所でも嘉風相手に叩き込みで勝利していたが、9月場所では逆に叩き込みで敗北している。なぜ、彼らはこんなに叩き込み合うのだろうか。その後の2人の取り組みには「叩き込み」は出てこないまま、現在は垣添の11勝5敗に終わっている。2010年5月場所以来、もう2年近く対戦が無いが…。

2006年1月、久々に日本体育大学へ行ったら、剣武がいい力士を発見した。彼の名は宮本泰成。のちの妙義龍である。こんな偶然もあるものか、と思い、垣添は妙義龍の傷めつけを開始した。その後、2006年の春には千代桜が、翌年の春には千代大龍が入ってきている。彼らももちろん、痛めつけの対象になっている。

2007年5月場所では初日から11連敗を喫して12日目から休場するという恥をかいている。まあ、15戦全敗してくれたほうが面白かったのだが。東前頭3枚目から東前頭16枚目まで落ちた翌7月場所は6勝9敗。しかしながら翌場所は西へスライドするだけという、華麗に幕内残留劇を見せ付ける。3度のスライド経験を持つネタ力士・十文字でも、こんな華麗な残留劇は見せたことが無い。ちなみに、この頃には妙義龍とよく痛めつけあっていたが、妙義龍はなかなか手ごわく、自信を喪失してしまったのだとか。それで、気晴らしに相手を千代桜に変えたら自信を取り戻した、ということらしい。藤島親方(元大関武双山)が審判部にいて良かったね。

2008年3月場所2日目には市原休場による不戦勝を獲得。前日に豊真将が痛めつけてくれたおかげであるので、これ以降は豊真将の所属する錣山部屋と、その本家井筒部屋、井筒系統にある陸奥部屋の3部屋の力士相手には痛めつけを行っていない。代わりに、千代大龍がとことん痛めつけられるようになった(才能を見出したのは付き人の剣武)。

体の衰えと地位の降下[編集]

しかし、次第に垣添の体は衰えが始まるようになる。2009年の春に妙義龍が大学を卒業して境川部屋へ、2010年の春に千代桜が卒業して九重部屋へ入門した頃から痛めつける相手が居なくなってしまい(その分、余計に千代大龍を痛めつけただけなのだが)、2010年1月場所を最後に上位からは遠ざかる。ちなみに、この場所千秋楽には日本体育大学出身者で初めて、これより三役の名誉ある土俵を務め(魁皇大関互助会長に敗北)、このインパクトが強烈だったそうだ。ちなみに、この場所が妙義龍の新十両場所なのだが、初日十文字に勝った妙義龍は次の日、臥牙丸に敗れて膝を痛めたらしい。グッジョブ臥牙丸。

それ以降は勝ち越せない日々が続き、3月場所は14日目の高見盛戦で、5月場所は千秋楽の嘉風戦で、7月場所に至ってはなんと10日目、北太樹戦で敗北したことによる負け越しとなった。しかも7月場所は3勝12敗の大敗な終わっている。

しかし、2010年7月場所では、大相撲野球賭博問題が発生しており、9月場所の垣添は奇跡的な幕内残留を決めた。4日目から若天狼十両互助会副会長、土佐ノ海(現・立川親方)、春日王の3連勝があったものの、2日目に旭南海へ幕内初白星を提供、8日目には豊ノ島へストレート給金を提供、14日目には木村山へ給金白星を提供、初日の対戦相手臥牙丸は調子付いて10勝5敗、9日目の豪風は12勝3敗、10日目の玉鷲は10勝5敗などと、非常に劇的に白星配給をして3勝12敗に終わった。これが垣添最後の幕内場所となったのだ。

2010年11月場所は東十両7枚目と一気に落とされた。しかし2日目に場所後引退の土佐ノ海に初白星を、7日目に境澤へ7連勝の白星を、14日目に前場所幕下だった再十両力士・大道に勝ち越しの白星を、千秋楽に栃乃若に優勝決定戦進出の白星をそれぞれ供給した。垣添はこの場所、千秋楽に負け越している。ただし、3日目には十両優勝決定戦まで進出した豊響に勝っていたりはする。翌2011年1月場所では、初日に場所後相撲協会を不当処分によって追放される星風に初日白星を、4日目に場所後引退する安壮富士に白星提供、6日目に場所前痛めつけたはずの舛ノ山に報復されて6連勝の白星を(その後、痛めつけが効き舛ノ山は休場、再出場、再休場となる)、8日目に絶不調の新十両鳰の湖に貴重な白星を、10日目にはこの場所後引退する旭南海へ白星を、12日目にはこの場所後引退する境澤へ白星を、13日目にはこの場所後八百長を次々に暴露し、逃げるように引退して郷里へ帰っていった千代白鵬現役最後の白星を、千秋楽には幕下の磋牙司へ白星を提供するという体たらく。場所後引退する清瀬海など、4人から白星をあげるので精一杯だった(うち1人は負け越した幕下力士・北磻磨だった)。

元小結が幕下へ陥落した技量審査場所[編集]

2011年5月技量審査場所では、ついに給料の貰えない幕下へ転落。しかも千代大龍が大学を卒業し、垣添に「引退できなくなる呪い」をかけてしまった(剣武が慰留したというのはガセ)。この場所勝てた相手は、隆の山を除けば、十両の大負け力士の城ノ龍益荒海だけ。2日目に芳東に関取初勝ち越しのために勢いづく2連勝の白星を、5日目に関取経験のないへ新十両のためにも貴重な白星を、7日目には同じく荒鷲へ白星を、11日目には再十両に挑んでいたヘボ力士・上林へ白星をそれぞれ提供した。ちなみに、上林は約1年後、大岩戸の名で覚醒する。しかし、ここで超エキサイティン!師匠の藤島親方(元大関・武双山)と、部屋付きの大鳴戸親方(元大関・出島)の2人が審判部にいる幸運さで、負け越していながら十両返り咲きを決めた(この不自然さを緩和するため、荒鷲も負け越し昇進させた)。

2011年7月場所[編集]

再十両の7月場所、4日目に垣添同様負け越し昇進であった荒鷲には勝てたものの、他は全敗で1勝14敗の大恥をかいた。初日に新十両千代の国に関取初白星を、2日目に妙義龍に報復されてあっけなく白星を、3日目に飛天龍へ新十両での3連勝白星を、5日目に天鎧鵬へ再び白星を、6日目に城ノ龍に恩返しされて白星を、7日目に益荒海へ勢いづく4勝目を、8日目にここまで7連敗であった上林に初白星を、9日目に負け越しの危機にあった濵錦が踏みとどまる白星を、10日目に鳰の湖へ再十両確実となる勝ち越しを、11日目に明瀬山へ関取最後となる白星を、12日目に松谷へ踏みとどまる白星を、13日目から千秋楽は、それぞれ既に負け越していた華王錦佐田の海碧山へ白星をそれぞれ提供するという、特筆すべきことしかない白星ばかりを配給しつづけていた。そして、この場所を最後に、再び幕下へ落ち、以降関取の座へ戻ってくることは無かった。

幕下での大恥、三段目への期待[編集]

2011年9月場所では、後に関取へ定着することになる旭日松、大岩戸、千代鳳へ白星を提供したが、阿夢露をはじめとする他の4人には勝ち、久々の勝ち越しとなった。しかし、これが現在までに最後の勝ち越しとなっているのである。

翌11月場所では、5日目に誉富士と取り直しになる勝負を演じるなど、勝ちにこだわった部分はあったのだが、もはや壊し屋でなくなり、体の衰えた垣添にはもう勝ち越せる余裕は無く1勝6敗という惨めな成績に終わっている。ちなみにこの場所は剣武の新入幕場所であった。そして、剣武のほうが遥かにマシな4勝11敗という成績だった。

2012年1月場所では更に弱くなった対戦相手に3勝4敗、翌3月場所ではなんと7戦全敗という大恥を喫した。その当時は年寄名跡「田子ノ浦」が空いており、借りられる状況にあっでも、ここまで現役へ心を突き動かす垣添、果たして、垣添さんはどこまで伝説を残してくれるだろうか。嘉風、妙義龍、千代桜、千代大龍の4人はこの事態を「辞めたくても辞められない。俺達を痛めつけてきた天罰だ」と語ったらしい。垣添本人も「ここで負けたら引退」と決めておきながらぜんぜん引退しない。こんな奴が引退して年寄を襲名することには反対論も多い。理由として、現在1枠空いているのは14代田子ノ浦(元幕内・久島海)が夭逝したために空いている、というのが理由であり、彼の詩を悪用する非常に不謹慎な引退になってしまう、という理由である。誠実な親方の穴を埋めるのが諸悪の根源であってはならない。枠が埋まるのは構わないが、故人のためにも誠実な人物に親方になってほしい。これが我々の総意である。

引退[編集]

結果から先に語るが、2012年5月場所の番付が発表された2日後の4月25日に垣添は引退することとなった。4月12日に元幕内・金開山の千田川親方が、夭折した元幕内・久島海の遺族から年寄名跡「田子ノ浦」を借りて名跡変更、4月23日に元小結・闘牙の押尾川親方が、2年前に停年退職した元大関・前の山から購入を前提に年寄名跡「千田川」を借りて名跡変更(のち本当に取得)、4月24日に元大関・旭國の大島親方が停年退職、そして空いた枠に滑り込むようにして「押尾川」を襲名した。押尾川襲名の際、多額の現金を前にした豪風は金で心を動かされ、ついに貸してしまったのだった。

ちなみに、剣武も同時に引退している。

引退相撲を待たずして年寄名跡・雷を襲名。もちろん垣添が先代雷(元・春日富士)を罠に陥れてタダ同然でせしめた。先代雷の不倫も不正経理も相撲人の間では公然の秘密であり、皆仁義を通して黙殺し抜いた。しかし、垣添は持ち株を襲名するために仁義に反して警察当局に先代雷を売ったのだ。事実上の部屋の師匠が(不当な形で懲戒処分同然の)廃業に追い込まれ、まだ若輩の自身がオーナーとして運営を任され、ウィンドサーフィン並みに不安定な未来を託された春日山(元・濱錦)は現在垣添を殺そうと思っている。

私生活の面[編集]

  • 2007年に、元女子相撲の横綱・浅井栄美と結婚し、1男1女を設ける。長男の名前には「四股名にしたら格好言い」という理由で玄空(はるく)と名づける。そんなDQNネームの通り、ダウン症、知的障害などを持っているらしい、という噂がある。家では丁髷を模した髪型で模擬刀を振り回し、ひたすら大声を出して住んでいる賃貸マンションでも迷惑がられている。
  • 金が無いため、家庭ではお金を使わせない、という方針である。そのため、家族はめったに旅行や遊びに行けず、食材以外のものも満足に買えない。現在までに確認されている旅行は、家族が垣添のロサンゼルス巡業に動向してロサンゼルスへ行った、というものだけである。垣添に関してはもちろん、巡業行う協会が費用負担をしており、実質的には2人分しか出費していない。破けてしまった家の障子も古い番付表で埋めている。しかし、当の垣添本人は賭博に金を費やしているのだ。力士ともなれば、賭博をやらなければ男じゃない。野球賭博は行っていないが、他種の賭博には頻繁に興じており、この資金のために家族には苦労してもらっているそうである。

風間トオル=垣添[編集]

じゃん。

垣添を嫌っている力士の一人である千代大龍秀政は『クレヨンしんちゃん』の愛読家であり、以下のようなエピソードを知っている。

千代大龍「風間君の両親は実は事実婚の関係にあった。父親は知っての通り単身赴任の身であり、忙しくて婚姻届を出せなかったという。」     「父親の苗字が、これが垣添って言うんだよな。」     「風間君は中学上がる直前に神奈川へ引っ越して、それに際して両親が正式に婚姻して、風間改メ垣添徹になるわけだ。」     「苗字が変わり、しんちゃんたちは再会の望みを断たれ、その後二度と風間君と会わなくなった。」     「10年後、テレビを付けたら大相撲の垣添が取り組みを行ってた。」     「しんちゃんは、あの垣添っての風間君に似てるな~でもまさかねぇ、と感じたという。」

これは千代大龍曰く、臼井儀人の家の前のゴミ捨て場に落ちてたメモから判明したネタであるとのこと。


関連項目[編集]

朝青龍殴られ 01.jpg この項目「垣添徹」は、ちゃんこ不足のようでごわす。
さあ、そこの新弟子も力士の要たるちゃんこを作ってみるでごわす。強く当たったらあとは流れで行くでごわす。ごっちゃんです! (Portal:スタブ)