周瑜

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周瑜(しゅうゆ)は三国志の登場人物。字を公謹(こうきん)。後漢末期に存在した自称魔法使いの放火魔である。

人物・略歴[編集]

幼少期[編集]

幼い頃はよく「黄巾族とかぶっている」といわれ、いじめを受けていた。更に楽奏に精通していたため、周りからは「音楽ヲタキモwww」と嘲りの対象となっていた。

しかし周瑜は根暗で頭がいいという、非常に人間として問題のある少年であった。期を同じくして、江南一帯で火事が頻発、一部では放火といわれたが決定的な証拠が存在しなかった。しかし共通して「周瑜をいじめた人物の家が燃える」「夜、白装束に身を包み、松明を両手に持った幽霊をみた」といった証言があがるが、いろんな意味で名家であった周家の権力で操作網は叩き潰され、うやむやになった。

そのため「楽曲(の、なじり方)を間違えると周瑜が(意味深に)振り向く」と言われ、密かに恐れられた。この恐れられるときの快感を周瑜は楽しんでいた。しかし、周りからは「Sな消防キモwww」と言われてしまったと晩年回想している。

孫策との友情[編集]

周瑜はその後、袁術のペットとなっていた孫策が独立を企図して楊州を攻め始めたため、「うまく取りって、いままでいじめてきた奴らに禁則事項ですしよう」と考える。 その後、魯粛という名家の人物の家に迫り「兵糧が足りない、もし供出しなければ……わかっているよな」と真顔で迫るや否や、近くの家が突如として出火するという事態に見舞われ、魯粛は身の危険を感じて倉庫の中を開放。周瑜はケツの毛一本も残らないほどに略取すると、「ああそういえばココにも食料が」といって魯粛も強奪した。アッー!

その後、呉夫人の「しゃきっとせんかッ!」という助言もあって、孫策と周瑜はいろんな意味で仲良くなった。アッー!。 しかし楊州にとってそこからが本当の恐怖であり、孫策が「王朗って邪魔だよな」といえば翌日には王朗の家が燃える、「厳白虎って……」という具合に瞬く間に江東を支配。江東の名士はその支配方法に身を震わせたため、悉く孫策の下に従った。

しかし孫策が刺客によって卒去すると、孫権があとを継いで君主となった。こうなると放火癖を隠し続けることは難しくなってしまい、周瑜はその怜悧な頭脳を5分ほどフル回転してある言い訳を思いついた。曹操が史実でもアニメでも魔法少女であることは周知の事実であるが、周瑜もあるときから「俺は魔法少女だ」と、形容するにしてはいけない領域の発言をしてしまい、周家の権威を恐れた家臣団たちは恐る恐るうなずいたのであった。

赤壁の戦い[編集]

しばらくたった後、曹操が孫権の家に大軍を率いて「一緒に江南で狩りしよー? ねー♪」という書状と共に遊びに来たため、周瑜はこれを侵略と勘違いして戦争がおっぱじまった。 軍議はおおむね「だから一緒に狩するだけだっ……」「殿!此度は火、火でございます!」 (……いつも火じゃん)といった具合に進行したため、赤壁の戦いは火計を用いて戦うこととなった。

所詮は圧倒的不利であったが、曹操軍の多くは船酔いで参っていた。さらに周瑜とハードなSMプレイをしたため、ついに参ってしまった黄蓋が大量の焼き芋をもって降伏。曹操軍はにこやかな空気に包まれて焼き芋大会を開催するが、近くには大量の火薬とTNTが積まれていた。

それに気づいた曹操は慌てて、「みんな、だめー! 火遊びは禁止! 禁止だよ☆」
と叫んだ。そこで諸将軍は我に返り消火活動に走るが、肝心の曹操の電波が暴発。周瑜なんて目じゃない大火計が吹き荒れ、烏林一帯は阿鼻叫喚の地獄と化し、呉軍は偶然にも勝利してしまった。ちなみに黄蓋はどさくさにまぎれて英雄として帰還した。

諸葛亮との確執[編集]

しかし曹操不在による荊州の領土争いが劉備との間で勃発、加えて江陵で一進一退の攻防を繰り広げていた。しかし曹仁はひきこもりがちで戦にならなかったため、自分が火遊びをして火傷をしたと噂を流布、曹仁はあっという間に引き寄せられてしまった。しかし待ち構えていた周瑜は曹仁に対して「病を(仮病と)見抜けない人は将軍になるのは難しい」「火事を(放火と)見抜けない人は火を扱うのは難しい」と魔法少女っぽいことを言い放ち、数万余りの兵を焼き払い殺戮し。江陵から曹操軍を追い出した。

しかし江陵一帯を順調に一帯を放火していた矢先、「はわわ荊州は私たちが貰ったです」と諸葛亮から書簡が届く。 加えて次々と書簡が届き、ほとんどの内容は過去の周瑜の放火の所業を暴くもので、さらにその過去がフライデーされてしまった。

しかし諸葛亮の追及も酷く、切羽詰った周瑜は尋問されるたびに「俺は魔法少女なのだ」と言い続けてしまった。あくまで自分は魔法少女と言い張るも、受け入れられたのは呉国内だけの話であり、2ちゃんねるの「痛いニュース」板で晒されるのを見て精神的に耐えられなくなり吐血。 「天はこの世に周瑜を生みながら、なぜフライデーを発刊したのだ」と遺言し卒去した。

しかし一説によると実は周瑜は生きていて、死んだとみせかけて弔問に訪れた諸葛亮を暗殺する計画だったと言われる。しかし諸葛亮はそれは百も承知で、に開けておいた空気穴を持っていた蝋燭の蝋ですべて塞いでしまい、その中に潜んでいた周瑜は窒息死した。結局放火魔は蝋燭の火によって死んだという事で、自業自得である。

関連項目[編集]