呂布 (蜀)

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

呂布(りょふ Lu Bu ? - 219年?)は、中国後漢末にいた武将。ちゃんと正史に載ってる実在の人物。マジです[1]

例の呂布と同姓同名だったため、色々と苦労したらしい。呂布に立ち向かってはならないが、呂布 (蜀)ならそんなに問題にならない。

目次

[編集] 略歴

小さい頃から例の呂布と間違われたり、からかわれたりしていたという。

特に「呂布を倒して名を上げたい」という連中から、不条理な攻撃を幾度と無く差し向けられてもいた。よく「呂布を倒した・負かした」という人物がいるが、あれはこちらの呂布をぶん殴って悦に浸っているだけである。劉備やら曹操やら李傕やらが、あの呂布に立ち向かえるわけが無いだろ・・・常識的に考えて。

しかし、こういった不遇の環境によって切磋琢磨され、呂布 (蜀)は武将としても成長していった。その後、その頑張りが認められて関羽に登用される。ヒゲ曰く、「名前が面白かったから登用した」とのこと。

建安24年(219年)、関羽主催の樊城芋煮会に参加。寒い中集まったみんなと共に、曹仁を囲んで突っついていた。主君の関羽とはだいぶ離れたところに位置どってしまい、ちょっと寂しかったと語っている。(『魏書』「満寵伝」より。本当だよ。)

そのとき颯爽と駆けつけた魔法少女曹操が芋煮を独占しようとして呂布 (蜀)に追突、横転して鍋に転落した呂布 (蜀)は全治10ヶ月の重傷を負ってしまった(同じく『魏書』「夏侯惇伝」に書いてあるんだから間違いない[2])。

未だ補償がなされていないのだが、関羽がやられちゃったとか何とかのごたごたによって半ばもみ消されてしまっている。本当にかわいそうなことに、その後正史には一切の記述が無い『三国志演義』に至っては登場させてももらえていない(下記のまめちしきを参照してください)。

某無双なゲームには名前だけ登場する。

[編集] かわいそうな呂布 (蜀)

  • 小さい頃のあだ名は「ニセ呂布」「ゴキブリ」など。立ち向かっても問題なかったため、よくいじめられていた。
  • マケボノに負けた。
  • やわらか戦車カツアゲされた。
  • 2ちゃんねるにおいてフュージャネイサンにひっかけられた。
  • 歴史家から存在が疑われており、なかったことにされようとしている。特に清の盧弼・趙翼・潘眉・陳景雲[3]あたりが眼の敵にしているが、これは自らの力では呂布に立ち向かえない脆弱な史家による言葉の暴力に他ならない。
  • ウィキペディアにおいても彼の項目があったのだが、管理者と称する独裁者によって削除されてしまった。これもまた、自らの力では呂布に立ち向かえない管理者らによる卑劣ないじめ行為に他ならない。無論、あっちの呂布の項目にいたずらするとブチ殺されちゃうのでこっちの呂布でストレスを解消する為である。

[編集] まめちしき

  1. 『蜀書』「関羽伝」、『魏書』「武帝紀」と「夏侯惇伝」と「徐晃伝」と「満寵伝」に蜀将・呂布の名と事項が記述されているようである。『三国志演義』に登場する周倉モデルの可能性も有り得る。
  2. 建安24年(219年)に、美髯公関羽が樊城で魏の曹仁を窮地に追い詰めた時に、武将の「呂布」を遊撃隊の将として、樊城の支城である城の攻撃を命じたとある(「満寵伝」「夏侯惇伝集解」)。だが、関羽の動向に驚愕を覚えた曹操は徐晃と趙儼を荊州遠征を命じ、関羽の軍勢と激突しこれを大破し、曹仁・于禁の救助に成功させた(「関羽伝」「徐晃伝」)。一方、魏王曹操が直々に十万の軍勢を率いて南方に猛進撃し、郟県の摩陂で蜀漢の呂布の軍勢を大破し、関羽の荊州全域制覇を断念させた(「武帝紀」「夏侯惇伝」、原文「太祖軍撃破呂布軍於摩陂」)。しかし、の学者の趙翼・潘眉・陳景雲らは「曹操が撃破したのは呂布ではなく、関羽か子の関平もしくは趙累の間違いだろう」と「呂布」の存在を否定する説を唱えている。だが、陳寿もしくは裴松之が著した「満寵伝」は「関羽が配下を郟に遣した」と記されており、ここでは原文を尊重視すべきとする。なお、『三国志集解』の著者・盧弼(清の学者)も趙翼と同様に「撃破呂布軍」の部分を誤字扱いにし、これを削除している。そのため後世の我々には関羽の武将の「呂布」の名が流布されなかったと思われる。『三国志集解補』(中華書局版)の著者・林国賛は「蜀将の呂布は存在したのだから、盧弼らがその存在を削除するのは明らかに間違っている」と批判している。
  3. 彼等は「小説大好きの北宋司馬光(『資治通鑑』の著者)先生が例の「呂布」の存在を肯定する電波系を発揮するから、これを廃絶しなければならない」と述べている。

[編集] 警告

呂布 (蜀)をいじめないでください。

ナニモノかがウィキペディアに「呂布 (蜀)」の項目を執筆しましたが、要出典厨削除厨の暗躍により削除されてしまいました