呂布

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「もはやスカウターで測定するようなレベルじゃねぇぞ!!」
呂布 について、モノウ・ルッテレ・ベルジャネーゾ
この絵を見られる場合、あなたは呂布の攻撃範囲内に存在することになります。呂布には絶対に立ち向かってはなりません。

呂布(りょふ、164年? -198年)は中国三国時代、五原郡九原県(現在の内蒙古南部)の人。字は奉先三国志随一の超将として知られる。は厳氏、ひとり袁術の子・袁燿の許婚者だった。

略歴[編集]

後漢朝当時の貴重な資料。

父の名は呂順といい、漢化した匈奴トルコ系)の末裔という。だが、幼くして父を失い、親戚筋だった丁原の養子となった。丁原は并州のヤクザの親分格であり、お互いに似た者同士だった。後に丁原が并州刺史になると、従事となった。

189年、丁原が何進の招聘を受けて、執金吾に昇進すると、呂布は雑号将軍と称して、秦宜禄張遼李粛張楊らとともに洛陽に南下した。だが、何進が宦官に惨殺されると、かわって実権を握った董卓に唆されて賄賂を受け取ったので、利害に弱い呂布は養父の丁原を暗殺して、秦宜禄・張遼・李粛・張楊らを率いて董卓に帰順した。以降は省く。

余談として、張飛犬猿の仲だったことを付け加えておく。また、曹豹の娘は側室のひとりである。

呂布という人物考[編集]

呂布に注意!

呂布は三国無双シリーズの無敵のゴキブリイメージが強い人物である。

彼のクレイジーな武勲は古代中国の三人の将軍が痴話喧嘩のついでに行った領土獲得戦争について書かれた伝説的な中国の長編小説「三国志演義」に克明に記録されている。様々な武勇伝が語られているが、全ての結論は「呂布に立ち向かってはならない」に収束する。

呂布には貂蝉という愛人がおり、貂蝉が敵に倒されると発狂して「うおぉおぉおぉお!!!貂蝉ンンンンンン!!!!!」と気違いじみた奇声を発し、敵の本陣にGKBRの如きスピードで突進していく。惰弱な人間であればこれだけでも恐怖のあまり即死するが、この時の呂布は攻撃力が数倍になっているので僅かに接触しただけでも軽く死ねる。まさしく鎧袖一触である。貂蝉を倒した後の呂布には絶対に立ち向かってはならない。

序盤に出会ったら味方武将を囮にでもして逃げること。序盤のヘナチョコ装備じゃ絶対に勝てない。もちろん、場数を踏み続けて熟練しても、うかつに「激難」に相当する『地獄』や『修羅』レベルで挑んでもいけない。おまけに最速の赤兎馬でGKBRの如く高速で近づいてくる。逆にPCとして使うと正に無双である。無限コンボも出来ちゃうしもう大変。

誕生[編集]

最近は完全に開き直り、全身黒光りするように…

呂布誕生の過程には様々な説があり、今でも歴史学者と生物学者の間で議論が交わされている。その中でもっとも有力な説を以下に示す。

通信交換進化説[編集]

当時中国では『GKBR』ボールを当てて捕まえ、育て、戦わせ、交換する風習があり、『GKBR』を交換する際交換する『GKBR』が進化の石を持っていたために、交換直後呂布に進化したとする説。

人間と『GKBR』との間に生まれた説[編集]

ある嵐の日、人間界が嫌になった女性がゴキブリ界に迷い込んで『GKBR』と婚姻を結びその間にできた子供が呂布であるとする説。ちなみにこの説では2年後の嵐の日『GKBR』界に董卓軍が乗り込んできて呂布とその両親をさらっていったことになっている。

『GKBR』に噛まれた説[編集]

ある青年が『GKBR』研究所を見学しているとき遺伝子を組み換えられた『GKBR』に噛まれたために超人的な能力を身につけ、その青年が呂布であるとする説。

テラフォーミング説[編集]

火星に放たれ、成長した『GKBR』の中の一匹が呂布であるとする説。つまり、火星には呂布みたいなヤツがウジャウジャいるわけである。恐ろしや~

以上の冗談の数々の原点[編集]

本当は『GKBR』とは全く別の生物だが、『触角』という唯一の共通点だけをネタにされてしまった悲劇。

呂布伝説[編集]

第二次世界大戦で蘇った呂布。進化した兵器も呂布の進化には追いつけなかったようだ。十秒後には辺り一帯にクレーターが三つも出来ていた。

呂布は数百万人もの人間を虐殺し、戦場に大きな名誉を得た。或る日、董卓という将軍が呂布に対し、自らの下で働くよう促した。呂布は「黙れこの粗●ン野郎」と嘲り笑い拒否したが、董卓が当時の世界最速の馬(赤兎馬)を提供すると申し出ると、呂布は即座に養父・丁原の首を刎ね、董卓の配下となった。このように目先の利益で養父だろうが裏切りまくることを「呂布の利」と呼ぶようになった。

呂布は殺戮と破壊に情熱の大半を注ぎ込んだ。そして情熱の残りをナニに注ぎ込んだ。特に、董卓の女相手に自慢のあれを思う存分振り回していた。当然のように董卓は激怒し、呂布を非難する。が、董卓は基本的な事を忘れていた。「呂布に立ち向かってはならない」である。そして当然のように董卓は即死。後の歴史家は呂布が無双乱舞を用いて董卓の肉片をバラまいたと推察している。

呂布は曹操の軍に敗れ、一時期に劉備を頼り落ち延びている。ところが呂布は匿ってもらっている分際で、劉備の義兄弟にあたる関羽張飛を差し置いて「劉備よ、今日から俺がお前のお兄ちゃんだ!」とド厚かましい態度を取って劉備が住む下邳の土地を権利書ごと強奪し追い出してしまう。しかし劉備はのちに曹操を頼り逆襲に成功し、懺悔室に入る呂布へ向けて携える二刀流で×印を作り劉備は敬意を表し「呂布お兄ちゃん、死刑!!」と言って別れを告げた。

歯向かえる人間は全て殺したため、退屈していた呂布は中国全土をぶらつき、目に付いた人間を適当に殺しまくった。この行為は何年にもわたり続き、この間中国の人口は半分以下になったと言われる。呂布の配下は、彼が殺戮を行うのをすっかり見飽きていた。配下はスキを見て呂布を縛り上げ、曹操という武将に引き渡そうとした。しかし呂布の眼が光った瞬間、配下はバラバラにくだけちった。そのまま呂布は曹操軍をなぎ倒し始めたので、曹操は「げぇっ、呂布!」と言うヒマもなく逃亡した。(出典:「三国志 外伝~そういえばゴキブリみたいな奴いたよね?~」陳寿著)

その後もしぶとく生き延び、今現在は天安門広場地下深くに核爆弾以上の最終兵器として眠っている。ちなみに、第二次世界大戦でも呂布は日本軍を滅ぼそうとした中国軍に使用されたが暴走し南京大虐殺が発生、呂布1人によって大量虐殺が行われたことは言うまでもない。東条英機は彼をゴキブリと見間違え、あまりにも慌てたことから誤って死刑台から転落し、絶命したが、世間では東条は絞首刑扱いされていることには遺憾の意を称したい。

また、2008年に発生した四川大地震が中国政府が地下呂布実験を行った際に呂布が暴走したために発生したことは言うまでもない。

警告[編集]

呂布に立ち向かってはならない

そう、絶対に立ち向かってはならない

関連項目[編集]

Wikipedia
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にーこにっこどーが♪
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Quqpacmanlogo3.png
呂布が放った発言は、後世の物好きのために、有志たちによって「Unquotable/武将」へ収録されています。

外部リンク[編集]