台湾沖航空戦

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台湾沖航空戦(たいわんおきこうくうせん)とは、昭和19年10月12日から10月16日にかけて、台湾島とフィリピンのルソン島の間の海域で発生した太平洋戦争の戦いである。

概要[編集]

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畏クモ天皇陛下ハ御自ラ全臣民ノ爲ニ
本項ノ全内容ヲ天覽遊ハサレタリ
Naval Ensign of Japan.svg 大本營認可
本項ノ全文章及全内容ハ完全ニ正シキ事實トシテ大本營ニ依リ認可セラレタリ
全臣民ノ爲ニ畏クモ現人神タル天皇陛下ハ御自ラ本項ニ御目ヲ通サレ給ヘリ
此ノ項目ノ内容ヲ疑フハ現人神タル天皇陛下ヲ疑フト同義ニシテ
誤リタル思想ヲ持ツトセラルヽ場合ハ政治犯思想犯トシテ内亂罪ノ對象トス

鬼畜米英飛び石作戦なる卑劣な作戦をもって無敵を誇る日本軍の前に立ちふさがった。然し、有史以来ただの一度も敗北を喫したことのない皇国が西洋の夷狄どもに敗北することは原理上決してありえず、やがて全滅級の逆転劇を食らうことは米英軍に待ち受ける必定の命運であった。その舞台となったのが、日本善政の現場たる台湾であった。日本軍は植民地ならぬ外地の民のために血を流して戦った武を尊ぶ勇者の軍勢である。

戦果[編集]

日本軍は勇猛果敢に奮闘した。

空母17隻、戦艦6隻、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦10隻、駆逐艦 58隻 の米軍に対して、日本は航空機 1251機で迎撃し、

  • 撃沈 空母11隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻、巡洋艦or駆逐艦1隻
  • 撃破 空母8隻、戦艦2隻、巡洋艦4隻、巡洋艦or駆逐艦1隻、艦種不詳13隻
  • 撃墜 112機

という多大な戦果を挙げた。


その後の我が皇軍[編集]

日本軍は312機とその搭乗員が犠牲になったと自軍の被害を客観的に伝え、戦いは日本軍の大勝利に終わった。昭和天皇はこの大戦果に御嘉尚の勅語を発せられ、日本側主要都市で大勝利祝賀会が開催され、大勝利を祝う歌[1] が制作され、小磯国昭首相出席の一億憤激米英撃砕国民大会まで開かれ、空母を11隻も失ったアメリカは降伏するかにみえた[2]。しかし、アメリカ海軍の第三艦隊司令長官ウィリアム・ハルゼー・ジュニア提督は秘密結社魔術により撃沈した全艦艇を萌え深海棲艦として復活させることに成功。その後ルソン島の守備隊は沈んだはずの空母から発艦した航空機の亡霊による空襲で壊滅してしまった。ああ、嘆かわしい。















注:アンサイクロペディアは、嘘と出鱈目にまみれています。
以上の文章も嘘や出鱈目である可能性が高いです。
…と、言いたい所ですが、アンサイクロペディアにあるまじき事態なのだが……以下の話が事実である。
日本には後藤喜一はいなかったのである。

本当の概要[編集]

大量の戦力を誇る米軍は飛び石作戦で日本軍の前に立ちふさがった。然し、有史以来ただの一度も敗北を喫したことのない米軍が東洋のイエローモンキーどもに敗北することは原理上決してありえず、やがて全滅級の惨敗劇を食らうことは日本軍に待ち受ける必定の命運であった。その舞台となったのが、日本悪政の現場たる台湾であった。日本軍は植民地ならぬ外地の民のためにでもなく、ただ無駄に戦った愚かな軍勢である。

本当の戦果[編集]

戦後の調査によると、日本の航空機312機は正確だが、アメリカは

  • 航空機89機、搭乗員約100名
  • 大破 重巡1隻、軽巡1隻 小破 空母1隻

沈んだ船は無い上、魚雷が命中したのは重巡・軽巡各1本だけ。1251機も投入し、312機もやられて魚雷2本と空母にかすり傷だけである。


真相[編集]

そもそもこの戦いは、マリアナ沖海戦で空母3隻と艦載機、基地航空隊まで全滅し、迎撃をしたくても空母も無く、燃料も無く、洋上戦闘[3]ができるベテランパイロットはほとんど戦死していて、3~6か月だけの机上訓練と、10人当り1機しかない訓練機の6か月間の訓練だけの素人部隊のかき集めで、何とも迎撃をしようがないが何とかしなければならない[4]中の希望的な案[5]として発動された。

しかし、もはや緒戦の頃のように陸海空で戦える高度な技術を持ったパイロットがおらず、予科練出ただけの新米と、母艦や基地を失ったパイロットの掻き集めと、対艦攻撃が主体ではない陸軍による混成……というより、ただの掻き集め、当時の日本軍の全てを集めただけで真珠湾攻撃前の演習のようなことは全くやってない上、やるだけ時間も物資もなかったのに、出撃すればなんとかなる、そう、なんとかなるのです!。

が、結局、各隊がバラバラのタイミングで攻撃を仕掛けることになり、マリアナ沖海戦でのアメリカ軍による七面鳥撃ちと同じ状態になっていた。

さらに、素人部隊による夜間攻撃のため、「命がけで魚雷(爆弾)投下したはずなんだけど、逃げるのに精いっぱいで、逃げる途中にチラッと見たら炎が上がってたから命中したんじゃねえ」という報告を真に受け、「こんなに自軍に被害が出てるんだから敵も大被害を被っているに違いない」とした結果、そんな馬鹿な話があるかという正論より、死んだ英霊に悪いと思わんのか、という理論が採用され、でたらめな話が真実になってしまったのである。

なお、陸軍の中にはいくらなんでもこの話はおかしいと思い、現地の航空基地へ無理やり海軍機に乗せてもらい調査しにいった情報部の少佐がおり、その少佐が「この戦果おかしい、精々二隻ぐらいじゃないのか」と電報を打ったが、大本営の中の人は握り潰した[6]。当初陸軍はルソン島決戦の予定で準備していたところ、大本営海軍部発表に基づき大本営陸軍部はレイテ島迎撃に変更することにした。山下奉文大将は転任してきたその情報部の少佐から戦果がデタラメだとの報告を得ていたため、この作戦変更に強く反対したが、無能な二世元帥はこれを叱りつけ元帥命令だとして強行させた。ルソン島の防衛は台湾駐留部隊を派遣し、その穴埋めで沖縄決戦部隊から抽出し派遣することにしたため、元々不足していた歩兵が更に不足し、沖縄戦での兵力不足に拍車がかかった。また、台湾沖航空戦で制空権を失っており、上陸用の大発などが不足し大型兵器を揚陸できないにもかかわらず、ほとんど無防備でレイテ島へ輸送を強行した結果、最初の輸送船以外全部撃沈され、生き残りは物資も兵器も無いままレイテ島を彷徨い、なすすべなく自滅することになるが、前線の指揮官以外誰一人責任は問われなかった。

脚注[編集]

  1. ^ 台湾沖の凱歌』(作詞 サトウハチロー 作曲 古関裕而)
  2. ^ 日本ニュース第230号
  3. ^ レーダー誘導、暗視装置なんか無く、燃料計と経験と勘から計算尺で出した数値で飛行していたから遭難は日常茶飯事
  4. ^ 降伏など一億玉砕して昭和天皇が自害するまで無い!
  5. ^ 作戦立てた本人でさえ、もし空母11隻沈めればいいなとしか言ってない
  6. ^ 瀬島龍三らしい

関連項目[編集]